35.有色者の矜持
「おかえりー! 早かったんだね」
「お兄様もお帰りなさいませ。遅かったですね」
「ちょっと面倒なのに捕まって。で、ガーランドはどうだった?」
「症例はベリアルドの比ではありませんね。さすがでした」
シェリエルはリビングでディディエを出迎えて、そのまま食堂へと案内する。
「なんだ、ユリウスいたの」
「お先に。今日は白身魚のソテーだそうだよ」
「へぇ、なら葡萄酒かな。白ある?」
「持ってきた」
ふたりは自室かのようにお決まりの席に座って、自室かのように補佐官にお酒のボトルやグラスを用意させ、自室かのようにシェリエルを待った。
「どうした? 座りなよ、食事にしよう」
「はい……」
ふたつのグラスには微かに色のついた葡萄酒が注がれ、三種のチーズとスナックみたいな細長いパン、それにオリーブの塩漬けが乗った皿がサーブされた。
「ガーランドってたしか血涙病が出てたよね?」
「はい。あ。その血涙病なんですが、遅病との併発が見られまして」
「うわ、厄介。たしか血涙病は治癒魔法と相性が悪かったような」
「そのようですね。遅病には治癒が必須だというので、いまのところ血涙病を先に治すしかないみたいなのですが……」
「血涙病は中等症まではほとんど風邪だからなぁ」
束の間の沈黙。
お兄様なら何かとんでもない薬草でも知ってるかと思ったのに。
などという淡い落胆は絶対に表情には出してはいけない。もし少しでも態度に出せば意地になった兄が何をしでかすか分からないので。
しかし、そんなシェリエルの心配は不要だったらしい。ディディエはしきりにユリウスの思考を探っているようだった。
「先生はなにか知りませんか? 他国のお薬とか」
「薬は知らないけれど、病人を増やさない方法は知っている」
「なん——」
「ダメだよ、ユリウス」
シェリエルの期待の声は即座にディディエに遮られた。これまで聞いたこともない、肌がヒリつくような低い声だった。薄いグレーの瞳は冷たく、微笑みの消えた端正な顔立ちは恐ろしいと感じるほどだ。
そのあまりの圧にシェリエルもふたりを交互に見るばかりで次の言葉が出てこない。
ユリウスはたいして気にしていないように口端を片方だけ上げて瞳だけディディエに向ける。
「頃合いだと思ったんだけどね」
「まだだろ。それだけはダメだ」
「あの…… なにか方法が、あるのですよね?」
「あるにはある。君がどうしても疫病を終わらせたいというなら私が力になろう」
疫病を終わらせる、それは治療の域を出た根本的な解決を意味する。
「……えと、それは。何か大きな代償があるのですね?」
「時間、かな……」
「時間?」
「ユリウスいい加減にしろ。シェリエルもそれ以上この件に触れるな」
「え、でもお兄様」
「お前は絶対に後悔するからやめておけ」
いつもの軽薄で飄々としたディディエはどこにも居なかった。
日頃、もう少ししっかりしてほしいとか、真面目にやってほしいとか、大人になってほしいとか思っていたけれど。次期領主らしいこの威厳だか何だかは、あまりにも怖くてちょっと嫌だ。
何が彼をそうさせたのかは分からない。が、なにか良からぬことが裏にあるのは確実。
「間引きと称して民の半分を虐殺するとかですか……」
「シェリエル、あのさぁ……」
ディディエはふにゃ、と表情筋を緩めて兄の顔になった。
生暖かい視線に、バカにしたような口元。これはこれで腹が立つ。
「もういいです。聞きませんからお兄様も何も言わないでください」
「アハハ、何を言われるのか心当たりあるんだ? ね、自覚あるんでしょ?」
「わたしはただユリウス先生がやりそうな“嫌なこと”を考えただけですが」
「それはあんまりじゃないかい?」
急に常識人みたいな顔で不満を口にするユリウス。もうすっかり自身の発言を忘れたようにポタージュを口に運んで満足そうにしていたのにだ。
シェリエルは風向き悪し、と判断して話題を変えることにした。
「そういえば、お兄様の方はどうだったのですか?」
「ああ、問題ないよ。これだけお茶会やら夜会が頻繁だと今週中には流れが出来てると思う」
「そうですか、良かったです」
「それだけ? この僕があのイザベラ君のためにここまでしてるのに? もっとこう情熱的な感謝の言葉とかないわけ?」
「情熱的、とは」
たしかにこれは「お願い」だったのでちゃんとお礼をするべきかもしれない。
というのも、ガーランド侯爵の進退が決まらない今のうちに、サロン・シャティエルがグレースとイザベラの事業であるとか、ふたりがガーランドから籍を抜いただとか、できるだけ早く周知する必要があったのだ。
大衆の認識は誰かの誤解で思わぬ方向へ傾き、それが訂正されないまま定着してしまうことが多々ある。そのため、最短最速でふたりの離籍を印象付けようとディディエにそれらをお願いしたのである。
ディディエは嫌々ながらも授業後にシャティエルやお茶会に顔を出し、情報が欲しくてたまらない貴族たちにそれとなく口を滑らせて来てくれた。
そんなわけで、言い方というものがあったな、と反省はするのだが。情熱的な感謝なんて前世でも経験がない。
「ふふ、困ってる」
「……お礼、考えておきますね。本当にありがとうございます。感謝しています」
「いーよ、いーよ。僕も楽しかったし」
「なにか面倒なことがあったのでは?」
「あー、うん。悪い話ではないから」
「……?」
ディディエはフォークの先を上に向けてクルクル円を描きながら、「気にしないで」と夏の終わりに吹く風みたいにサラサラ笑った。
さっきの緊張感が嘘みたいにいつものお兄様だ。
そこにネージュとノアがやってきて、ぴったり寄り添い並んでシェリエルを見上げた。
「あら、匂いで分かりました?」
「君が変な癖を付けるから。精霊が人の食事を欲しがるなんて聞いたことがない」
ソワソワと尻尾を揺らす二頭にユリウスは怪訝に眉を寄せる。ちょうどタイミング良くメインのお皿が運ばれてきた。
白身魚のソテーはネージュとノアの大好物だ。
猫の嗜好なのか、はたまた魂の記憶にある嗜好なのか。ちなみにノアは鶏肉も好んで食べたがる。
「ちゃんと用意して貰っていますよ。サラにもらってください」
ノアが小さく「ミャオ」と猫らしく返事すると、ネージュはスタスタとダイニングの横にフリースペースへと大きな尻尾を揺らして歩いて行った。
窓に面したその空間はいまネージュたちの遊び場になっている。ふかふかのラグで日光浴をしたり、シェリエルが授業で育てた桜もどきの木に登ったり、ノアも一緒にゴロゴロしていることが多い。
「精霊を人の生活に近付けすぎるのはどうかと思うのだけど」
「どうしてですか?」
「魂の格が落ちるのではないかと思って。いつか、悪魔の森で妖精が言っていただろう。輪廻を繰り返し練度の高い魂が精霊になると」
「ふむ……」
ただの食事で魂の質が変わるだろうか。でも精進料理があるくらいだし…… いや、それは煩悩とか殺生とかそういうアレだったはず。ん? でも煩悩なのか? 精霊に煩悩ってあるの?
と、よく分からないところまで思考が飛び、精霊料理を持ったまま立ち尽くすサラに隣の部屋から催促の鳴き声が響く。
「気にしなくていいよ。こいつノアがシェリエルに懐くのが面白くないだけだから」
「そんなことあります⁉︎」
「そんなことはない」
間髪入れず否定したユリウスだったが、目元は不機嫌そうにシワを寄せていた。
シェリエルは知らないうちにリヒト横領の復讐をしていたらしい。
「もう先生ったら…… ノアはちゃんと先生のことも大好きですから心配いりませんよ」
「そういう話ではない」
ムッと顎に力を込めるユリウスは拗ねた子どものようだった。ディディエはそれをニコニコと揶揄い、ユリウスのスッキリした顎先は梅干しみたいにシワシワになっていく。
なんて可愛いの……
などと思っていれば、今度はディディエが棘のある声で「そのまま見放されたらいいんだ」と拗ねはじめた。
穏やかな夕食の時間。
シェリエルはこの日、初めて民が疫病に苦しむ惨状を目の当たりにした。が、案外冷静でこのまま平民で疫病を抑えられれば学院戦はできそうね、なんて考えている。
その頃、アリシアがショックで食事も喉を通らず、涙声でイザベラと話し合っているなんて露知らずである。
「それでお兄様。学院戦はどの段階なら決行なんでしょうか」
「貴族街にまで入って来なければ…… かな?」
「ではやはり神殿も貴族と平民で分けた方が良さそうですね。あとは商人の疫病検査を徹底するとか」
「商人の検査は手を回してあるよ。少しベリアルドの予算を使ったけど、これは後で回収する」
「ッ! お兄様が! そこまで?」
「母上の願いでもあるしね。僕はべつにやらなくても良いんだけど」
ん? と違和感をおぼえてシェリエルの手が止まった。
ディディエは澄まし顔でパリッと焼かれた皮めにナイフを入れて、優雅に切り分けている。
「お兄様は学院戦をしたくないのですか?」
「そんなことはないけど…… やらなくても良いかなって」
「なぜです。一番にやる気を出しそうなのに」
「ジェフリーが可哀想だし」
「そんな理由ですか?」
「まあ、嘘だけど。このところ忙しかったからゆっくりしたいなって」
「そんなことあります⁉︎」
「そんなこともあるの」
緩く肯定されたが、あり得ない。何より退屈を嫌う男が「ゆっくりしたい」だなんて……
一生好奇心のままに全力で走り続けてそのまま崖から落ちるタイプの人間なのに。
「もしかして、それほど学院戦は危険なのですか? 例えばわたしにまで害が及ぶとか」
「自意識過剰」
「でもお兄様が乗り気ではないなんてそれくらいしか考えられません」
「ふふ、シェリエル。ディディエは君に害があると分かれば乗り気でないどころか絶対に決行させないよ」
「そうとも言い切れないでしょう? 以前は襲撃騒ぎをお膳立てしたくらいですから」
「すまないディディエ、庇いようがなかった」
「お前はもう黙ってろ。余計なことしか言わないな、本当」
ユリウスは心外だな、と言わんばかりにムッと口を閉じたが、すぐに白身魚によってその口は開かれる。
ふたりのギスギスなんてそんな程度のものなのだ。
「あ、そうです。コンラッド卿の処遇はいつごろ決まりそうですか。まだフェルミン様の地盤が固まっていないのであと一週は待っていただきたいのですが」
「それなら心配ないよ、ひと月はかかる。まず聴取出来る程度に回復させてから裁判になるからね」
「あ、もしかしてそのために彼を堕としたのですか?」
ディディエはさも当然みたいに短く「うん」と頷いたが、すぐにユリウスが「半分以上は趣味だよ」と訂正した。
これもある種の利害の一致というのだろうか。
不慮の事故などで当主が倒れた場合、幼い後継ぎは爵位を継いでも貴族を掌握しきれずに追い出されることがあるという。
当主不在のまま、地盤を固める時間があるとその危険度は一気に下がるのだ。
それに、人を虐めることを何より楽しみにしているディディエとユリウスの趣味が重なった。そう考えるのが自然だろう。
シェリエルは怒ろうかと思って、やっぱりやめた。
私情により、目にもの見せてやるわ、とふたりの暴走を止めなかったという自覚があるので。
翌日。
シェリエルはガーランドで何をするかぼんやり考えながら授業を受け。騎士学科の授業ではユリウスにボコボコにされ。リヒトに「あんな酷い訓練がある? ねえ、わたし女の子よ?」と愚痴を言い。「ユリウス様は手加減しておられましたよ。私は毎度四肢が半分は飛びますから」と優しい顔で言われてゾッと背筋を冷やした。
いまでもリヒトと剣術の訓練をしているようだが、四肢が飛ぶとはこれいかに。
リヒトの治癒力とユリウスの魔力があれば綺麗に斬ればくっ付くのだろうけれど。
それにしてもあんまりだし、比べられても困る。
「普通は訓練で四肢を飛ばさないと思うの」
「そうなんですね」
「順応性があり過ぎるのも困り物ね……」
「申し訳ありません。気を付けます」
気を付けてどうにかなるものでもないが……
そんなことを話しながらアルバラの研究室へ向かうと、朝食のときには顔色が悪かったアリシアがシャンと背筋を伸ばしてお茶を飲んでいた。
「アリシア、お待たせしました」
「いいえ、わたしもいま来たところよ」
「アリシアは今日はどうしますか。フェルミン様と城に残ってもらっても良いと思っているのですけど」
「……?」
「ええ、ええ。そうですね。一度現場は見ましたから我々は統治の授業らしく頭脳で貢献致しましょう。治療の専門家ではないのです。授業の趣旨は目の前の病人を救うことではなく、これから先数千年に及んで病人を出さないというのが本筋なのですから」
「アルバラ先生は行きたくないだけでは?」
「クッ……」
しかしまあ。そういうことだ。
大領地、しかも商業が盛んで人が動き回るガーランドでより多くの症例を集め、内政的な対策も確立できれば、それは他領でも応用できる。
シェリエルは目の前に難題があると解きたくなる性分なので、医療現場に足を踏み入れた瞬間から治療法の方に意識が向いてしまっているのだが。
「今日は二手に別れましょうか。わたしだけなら転移で向かえますし」
「貴女ひとりで行かせられないわよ。自領と同じように考えてはダメよ?」
「リヒトを連れて行きます。四肢が飛ぶような訓練をしているらしいので」
「な、え……? どういうこと?」
アリシアはやっと落ち着いた顔色をまた青ざめさせてティーカップを揺らした。
リヒトは「期待されている!」と、これまでにないほど目を見開いてモーゼスみたいな顔をしていた。
そんなわけで、ガーランドに転移するとふたりにモーゼスを預けてシェリエルとリヒトは神殿へと転移した。
「ヨハン、ご苦労様」
「よう、今日は嬢ちゃんだけか」
「治療法はなにか分かった?」
「そんなすぐには分からねぇよ。でも遅病と血涙病を併発した患者には片方に薬を飲ませて治験を始めた」
「助かるわ」
「そういや、ガーランドの貴族が騒いでたぜ? 今日も来てるが、うるせぇから地下牢に入れてある」
「はい?」
なぜそうなるのか。
ヨハンはお清め隊のボスではあるが階位は下の下。他領の上位貴族に何してくれてるの! とさすがのシェリエルも肝を冷やす。
「シェリエル様、仕方なかったのです。彼らが遅病患者の隔離室に無理やり入ろうとするので…… なんでも迷子の親が居るかもしれないとか」
「あら、意外と迷子係が板についたのね」
「看護師も神官も忙しく、たらい回しにされて気が立っていらっしゃったみたいです。申し訳ない事をしました」
「なるほど。迷子の親は見つかったの?」
「はい……」
シェリエルとリヒトはざっくり報告を受けてから、牢のある地下へと降りていた。
「造りは中央神殿と似ていますね」
「そうね、神殿も中央から徐々に広まったのかも」
神殿の成り立ちなんかを想像しながら、ふたりはグズグズ啜り泣く声のする牢に辿り着いた。
そして、ふたりはその光景に言葉を無くして目を丸める。
「うぅ…… グス」
「おじちゃん、だいじょぶだよ、泣かないで」
子どもが泣いているのかと思ったら、泣いているのは昨日の上位貴族三人組で、それを子どもたちが慰めていた。
なにがどうなったらそんなことになるのか。
「なにがあったのですか…… いえ、そうですよね。申し訳ありません、すぐに出しますから」
「シェリエル嬢か…… クッ…… 貴様ら…… ズビ」
怒っているような、いないような。
彼らはただ自身の無力感に打ちひしがれているようにも見えた。
「子どもたちのことを気にかけてくださったのですね」
「こんな、こんなことが…… もうヘジもメメも親に会うことすら出来ぬのだぞ! どうにか出来ないのか! 貴様ベリアルドだろう!」
「ベリアルドは神様ではないので……」
「いや、これは八つ当たりだな。悪魔に願うことではなかった。すまない」
彼らはしょんぼりしてポツポツと話し始めた。ほとんど愚痴というか、悟りというか、誰かに聞いてほしいというアレだ。
「民は、平民は、人なのだ」
「体温がある。生きている。我らと同じ人間なのだ」
「貴族が彼らを使役し得るのはこの魔力と権威のためであるというのに、私は何もできない。しまいには牢に入れられ…… もう私は平民以下…… 畜生よりも役に立たないただのおじちゃんなのだ……」
「あー、あー、あー…… 穢れ貰ってますね。申し訳ありません、疫病に気を取られてすっかり忘れていました」
彼らは病人が集まる神殿で穢れに触れ、感傷的になっているらしい。気が弱るというか、ダウナー極めるというか。
お清め隊は神官か医者、あとは穢れの影響が薄い平民で構成されていて、ヨハンなどは個人的に穢れの耐性を付けているのでここまで顕著に気が落ちることはなかった。
というよりも、ベリアルドの民は日頃から魔力と穢れが濃い土地で生まれ育ち、図太い人間が多いのでそういう人材を集めやすいのだ。
シェリエルはごめんなさいね、と軽く謝って牢内に向けて祓いの儀をする。
この程度なら内在世界を繋ぐ必要もない。埃を払うようにパパッと、ササッと……
「ハッ……!」
「これは……!」
「なんということだ!」
活力を取り戻した迷子係三人衆。
祓ったのは負の感情だけで、不安や焦燥感、無力感が消えただけ。その思いや考えが塗り替えられるわけではないので、元気になった三人は煮詰めた憤りを貴族の矜持へと変える。
「ヘジ、メメ。お前たちが安心して暮らせるよう、我々が手を尽くす」
「いつか親にも会えるよう環境を整えよう」
「いや、病の研究に投資してはどうか。金ならある、学院戦で研究者の…… 学生も纏めて面接をしよう」
「そうだ、それが良い。ベリアルドの姫君よ、どうか力を貸してほしい。其方のお清め隊はどこよりもその知見を持っているだろう! 金なら出す! 頼む!」
「そんなことあります?」
急に慈善活動家にジョブチェンジした貴族たちを見て、シェリエルは、
「これが最厄期かぁ……」
と思った。
更新遅くなりすみません。
『死期を悟った伯爵家の令嬢が婚約する話』という短編に浮気していました。
最近ひたすら疫病のことを考えていたので「人魚病」の女の子のお話を書きました。
時期や国が違うので穢れの概念はありませんが、そういう感じで読んでいただけると嬉しいです。





