34.白装束の中身
ガーランドの仮設診療所、もとい神殿は大変な騒ぎであったが、シェリエルは案外落ち着いていた。
隣を歩くアリシアはときどき立ち止まって、苦しそうにする病人の背中を摩ったり手を握ったりしている。
彼らはアリシアが誰だか分かっていないが、とんでもない貴族のお姫さまだというのは分かるらしく何度も頭を下げてお礼を言った。
フェルミンは誰にも触れないようガードされていて、歯痒そうにその光景を見ている。
「シェリエル、彼らを助けられる?」
「どうでしょう。治療は専門外なので」
「じゃあ……」
「まあ、死ぬことは無いと思いますよ。ここにいる人たちは軽症ですしね」
「これで軽症なのね」
アリシアはショックを受けたようにキュッと胸の前で手を握り合わせた。
リヒトは神殿で育ったせいか眉ひとつ動かさず淡々と歩いているが、モーゼスやアルバラも心なしか顔色が悪い。
いくら軽症と言っても実際に目の前に広がる光景は酷いものであった。
頭皮が鱗のようにひび割れて髪がまばらに抜け落ちている者や、壊れたブリキ人形のようにカタカタと不規則に身体を揺らしている者。
シェリエルだって人の身体がこうも変わってしまえば多少は恐ろしく思う。が、前に石になりかけたことがあるので慣れていると言えば慣れていた。
「怖いのは熱病や内臓を溶かす病ですね」
「その通りです。ランツ熱や腐蝕風邪はそのほとんどが死に至ると言われる恐ろしい病ですからね。これまでは病が確認されると村を丸ごと焼くのが鉄則でした。それをこんなふうに集めるなんて。ガーランドが滅んだら私たちの責任ですよ」
「……人が病を運ぶという概念がなかったのに焼くという発想になったのは面白いですね」
「シェリエル君、話聞いてますか?」
「はい。それで、どうして焼くことになったのですか?」
アルバラはやれやれと首を振って、「えー、まず火葬がはじまったのは疫病がきっかけと言われていまして……」と講義をはじめた。
まだ穢れが何たるかを知らない旧時代。当時は土葬文化であったという。魔力持ちは丁重に祓いの儀をしていたが、疫病で多くが亡くなった時などはそのまま一か所に埋葬していたので、ある最厄期にとんでもない魔物が這い出して来たのだとか。
わ、ゾンビだ……!
と、内心ワクワクしてしまったシェリエルだったが、顔だけは神妙にしていた。
「——と、まあそんなわけで、穢れに触れた者たちを焼くというのは葬送の意味合いが強いのです。病が流行るほど土地に穢れが溜まっているならば、当然畑も根腐れしている。家屋もなにも穢れに触れたと考え、火の神によって地に還し、祓い清めるしかないと」
「なるほど。結果的に被害が抑えられたということですか」
病原菌を焼き尽くし、かつ依代となる遺体も残らない。穢れもそのまま霧散し薄れていくのだろう。
「すでにガーランドも数カ所で集団火葬が行われていますからそれほど死者が増えていないのでしょう」
「お清め隊は間に合いませんでしたか」
ガーランドでも運送業や組合の準備は進んでいる。けれど、慣習をすぐに切り替えられるのはベリアルドの民くらいなので、まだ完璧とは言えなかった。
「あのぉ…… ベリアルドはどうやってこれだけの人材を集めたのですか? 神官ではない者も多くいるようですが」と、申し訳なさそうに口を開くフェルミン。
「スラム街の女性陣を看護師として集め訓練したのです。治療というよりは清掃や病人のお世話ですけれどね」
「スラム街の! そんなことが可能なのですか」
「寝床と給金を用意すれば意外と志願者はいましたね」
「シェリエル君は簡単に言いますがね! そんな政策、普通は上手くいかないものですよ。貧民街ではまともに働ける者も少なく、徴兵の際も肉壁とするほかない。我々研究者もその点だけは納得し難いといまでも議論しているところです」
「まあ、ベリアルドですから。時間をかければ他領でも可能なのではありませんか?」
「まずは生活を支援するところからでしょうかね。それをする価値があるかを判断するのも領主によりますし——」
フェルミンは来年の予習と言わんばかりに真剣にアルバラの話を聞いている。難しい内容になると分かりやすく眉間を険しくし、ムムムと何やら考え込んでいるらしい。どんどん顔は険しくなって知恵熱を発したかのように真っ赤になっていた。
アリシアはそれとなくフェルミンの隣りへと移り、お姉さんの顔で優しく声をかける。
「フェルミン様、これは順当に進級しても四年次の範囲ですから、分からなくて当然ですよ」
「シェリエル様は二年次ではないのですか? 私はこれから領地を継ごうというのに、こんなことでは……」
「彼女は飛び級していますからね。ベリアルドの呪い持ちの話を聞いたことは?」
「皆、天才だと」
コクリと頷いたアリシアは「あまりご自身と比較されませんように。持つべき自信まで失くしてしまいますよ」と経験者らしく笑った。
すると、モーゼスが呑気な声音で「セルジオ様も日頃から“得意なことだけ頑張れば良い”と仰っていました!」と口を挟み、シェリエルは額に手をあてて天を仰ぐ。
良いことを言っているふうだが、ことセルジオに限っては丸投げ精神を正当化するために言っているだけだろうから。
そうやって授業半分、雑談半分という具合に茶色頭に埋め尽くされた庭を歩いていると。
「おい、あれ。フェルミン様じゃねぇか?」
「んなわけ」
「いや、フェルミン様だって!」
「え、うそ」
「フェルミン様だ!」
治療を受けて休んでいる者がフェルミンの存在に気付いてしまった。目元しか出てないのにどうしてバレてしまったのか。
無論、偽名も使わず普通に名を呼んでいるからである。
「わ、どうします? 騒ぎになりますよ」
「……?」
ベリアルドなら一気に囲まれて金物を鳴らし出すので、そんなことになると区分けした意味が無くなってしまう。
転移で場所を移すか、剣を抜いて黙らせるか……
焦りを覚えるシェリエルに、フェルミンとアリシアはコテと首を傾げた。
「フェルミン様、手を振って差し上げてください」
アリシアの落ち着いた微笑みは目元だけでも領主の娘を体現していた。
フェルミンは騒ぐ病人たちを宥めるように軽く手を上げ小さく上品に手を振る。
すると……
フェルミンの姿を見ようと立ち上がっていた者たちも一斉に膝をついて頭を下げた。
「皆、礼を取る必要はない。しっかり身体を休めるように」
柔らかい声をかけると、皆が涙を浮かべてフェルミンの気遣いに感謝した。
「す、すごい……」
「どういうこと?」
「え?」
アリシアはベリアルドの騒乱を知らないのでシェリエルが民にどんな扱いを受けているのかと訝しむし、シェリエルはシェリエルで易々と場を収めるフェルミンとそれを当然とするアリシアに目を丸める。
この二人の齟齬が解消するのはきっとずっと先のことだろう。
そうして難なく外の区画を見てまわり、特に問題は無さそうだと判断して一行は神殿内部へと入ることにした。
神殿内はキレイに清められ、症状が重い患者が集められている。さっきまで外にいたヨハンもすでになかで診察をはじめていた。
「ヨハン、なにか分かった?」
「ン、ああ。やっぱ土地と病にそれらしい因果関係は無さそうだな。この血涙病は中央を飛ばして北と南でほぼ同時期に発生してるって話だ。もう少し調べる必要はあるが……」
「穢れが病を生むというのは間違いではないみたいね」
「ま、でも人が病を運ぶってのも間違いねぇぜ。ここに来てはじめて症状が出たって患者が何人かいる」
「あら!」
場違いに明るく発したシェリエルにヨハンもニヤリと笑う。ヨハンは持ち上げた人差し指をクイクイと前後させながら、肩越しに「おい、メアリ。アレ」と、うしろにいるメアリを呼び付けた。
メアリは「まったく……」と溜息を吐きながらも、紙束をめくって何枚か選ぶとサッとシェリエルに差し出す。
シェリエルがそれに目を通す間、ヨハンは患者を診ながら口だけ動かし続けた。
「フグ病はやたら発症が早えーな。汗か呼気、まあ、感染者の発するなにかに触れると即座に顔が腫れ上がる。発症済みの患者と乗り合わせた人間が全員顔パンパンにしてやがった」
「あー、それでフグ病…… 相性の悪い病は?」
「人魚病のやつがひとり呼吸困難になってたがいまは安定してる」
「喉が腫れあがって声が出なくなる病気ね。たしかに相性は悪そうだけれど…… 人魚病も珍しい病でしょう?」
「ガーランドは商業が盛んだからか病の種類が多い。人魚病は発症が遅せえし他領で貰って来たんだろうよ」
「なるほど。やはり一番最初にガーランドにして良かったわね」
「ああ、これで一気に症例が集まる」
多種多様な病に冒された民を一ヶ所に集めることは大きな賭けであった。
弱っている病人をさらに凶悪な病に晒すことになるからだ。
けれど、だからこそ意味がある。
「あ、珍しいと言えば、遅病がいたぜ。この時期にお盛んな奴らめ」
「偏見は良くないわ。血涙病と併発していたりしない?」
「あー…… クソ、マズイな」
遅病、それはかつてディオールに迫っていた不治の病。
その名の通り、感染から発症までの期間が長く、発症すると数日で死に至る。発症を抑えることはできるが、神殿で暮らすことになるためまるっきり人生が変わってしまう病である。
メアリはヨハンの補佐が板についていて、すぐに記録を確認していた。
「遅病と血涙病を併発した者は二名います。遅病は隔離していますのでこれ以上の拡散はないかと」
「ここでは良くても村単位だとヤベぇな」
「拡散力が跳ね上がるわね。血涙病は生活に支障がないから動けてしまうもの」
「おまけに遅病は発症が遅い…… メアリ、おやっさん呼んで来てくれ」
外科を研究していたヨハンに診察や薬草学を教え込んだベリアルドの医者たちである。
最初は医者を馬鹿にしていたヨハンも「おやっさん」と呼ぶくらいには馴染んでいた。
「アルバラ先生、領内で人が動かないよう布令を出すことは可能ですか? 人が動かないようにするのが一番なのですが」
「物資の流通が滞ることになりますからね。難しいでしょう」
「やっぱりお清め隊を編成するしかないですね。対策済みの人間を各地に派遣して地道に治すしか」
「ええ、村を焼くにも病が特定できない以上は判断も付きませんし」
その会話にフェルミンは重責を背負ったように沈み込んでいた。お清め隊を派遣しても、いまのガーランドでは焼いてしまうしかない。死神を派遣するようなもので、その判断がフェルミンに委ねられることになるのだ。
「なんだヨハン、この忙しいときに」
「遅病って治せないんだよな?」
「それができれば爵位をもらえるくらいの功績じゃな」
「だよな。んじゃ、血涙病を初期段階で治すしかねえか。とりあえず、血涙病の薬が遅病に影響しないか調べてくれ」
「治験の承諾はどうする」
「それは嬢ちゃんに聞いてくれ」
一斉に視線が集まりシェリエルはうーむ、と顎に曲げた人差し指をあてて思案する。
ベリアルドでは普通に治験が行われるようになっていた。が、ここはガーランド。最厄期ということもあり死ぬよりマシだろうと強行することもできるけれど、フェルミンがどう判断するか。
「ええと、フェルミン様。治験というものがありまして……」
とりあえず、ざっくり説明するとフェルミンは目を輝かせた。それに補佐官がいくつか耳打ちし、その度にフェルミンは輝きを失っていく。
「やりましょう…… 責任は私が取ります」
「良いのですか? 他の貴族から糾弾されかねませんよ。今日来ていた彼らとか」
「私を糾弾したい人間は何をしてもその理由とするでしょう。もとより、ガーランドは民の犠牲を厭わないので…… 貴族の治療のためと説明すれば納得はするかと」
フェルミンにとっては苦渋の決断だろう。まだ幼くも領主らしい判断に周りは感心する。
重苦しい空気に和やかな笑みが混ざり、喧騒のなかでそこだけ静かな時間が流れていた。
が、それも一瞬だけのこと。
「おい! そこのお前! そいつに治癒をかけるな、ど素人が!」
ヨハンがグワっと叫び、向こうで治癒魔法をかけていたガーランドの神官がバッと両手をあげて飛び退いた。
それから近くにいたお清め隊がフォローに入り、処置の仕方を教えている。
「ヨハン、患者の前で叫ぶでない。石のように固まってしまったではないか」
ヨハンの診ていた患者は目を見開いたままカチコチに固まっていた。
「お清め隊の前に正しい治療法ですかね。治験の説明をしてから、治療法を研究しつつガーランドの神官と医者に覚えてもらいましょうか」
「ガーランドに長居する予定はねぇぞ?」
「ええ、二、三人残ってもらってあとは指南書にまとめます。どうせ他の領地も必要になるので。アルバラ先生、それで構いませんか?」
「ええ、そうですね。一か所ずつ回るのも無理がありますから、大まかな指導は書面や有識者会議で通達するのがよろしいでしょう」
疫病対策という名の授業方針が決まったところで、今度はおやっさんが「また貴様らか! ジッとしておれと言っただろうが!」と大声で叫んだ。
ヨハンの手元ではまた患者がカチコチに固まっているし、おやっさんの視線の先では迷子係三人衆がビクッと肩を縮めていた。
◆
迷子係三人衆は聞き覚えのある声に怒鳴られてまた泣きそうになっていた。
彼らは上位のガーランド貴族である。こんなふうに怒られることなんて学生の頃でも数えるほどしかなかったのだ。
どこに行っても邪魔者扱いされ、実際何の役にも立たずにうろうろと歩き回るだけ。
そんなわけで、迷子の子たちよりもへこんでいる。
「おじちゃん、げんきだして」
「うむ……」
三人衆を慰めるヘジとメメのマスクには簡単な陣が描かれていた。二人はそれを気に入ったらしく、お清め隊になりきって行く先々で「だいじょぶですよ」とか「すぐよくなりますよ」とか覚えたての言葉を病人にかけている。
「血涙病はここだな。親はいたか?」
「んーん、いない」
ヘジは相変わらず首を振る。
メメも抱っこされたまま首を伸ばしてあたりを見回し、やっぱり見つからないようでしょんぼり肩に顔を埋めた。
背中をポンポンと叩いてやりながら、どうしたものかと溜息を吐くしかない。
「まさか……」
「いや、口にするな。私が聞いてこよう」
三人の頭には「もう死んでいるのでは」と嫌な考えが過って、ヘジを抱えた男はギュッと腕に力を込める。
一人がその場を離れて白装束の女を捕まえた。
「もし、そこの君。尋ねたいことがあるのだが」
「ぁい?」
「死者はどこに収容されている。……今日、死者は出ているか」
「一応、地下に収容所は構えてますけんど、まだ死人は出ちゃいませんよ」
「そうか…… いやね、迷子の親を探しているのだが、血涙病だというのにどこにも見当たらんのだ」
「はえ。したら、あっちの部屋に隔離されとんのかもしれんですね」
「おお、まだ部屋があったのか! 助かった。しかしお前、どこの家門のものだ。ベリアルドは教育が……」
「あしは田舎生まれの貧民街育ちですんで。家門なんてありゃしませんよ」
「お、おま、平民…… スラムの人間か!」
「なんか文句ありますんで? 用が無んならもう行きますよ。あー、忙しい忙しい」
女は布を積み上げた桶を抱えて足速に去って行った。
放心状態で四人のもとに戻った男はぽそりぽそりといま聞いたことを話す。
「べつの、部屋に居るかもしれん。す、スラムの人間と初めて喋った…… 普通の人間と変わりないのだな……」
「は?」
「いや、そんなものではない。我らが迷子の親ひとり見つけられぬというのに、あの白装束は病人に狼狽えることもなく治療を行っているではないか。それが平民で貧民で……」
「何を言っている」
「だから! あの白装束には平民も混ざっていると言っているのだ! それがどういうことか分かるか! 我々は民の価値を測り違えていたのだ!」
子どもを抱く二人もやっと意味が分かってサーーっと顔を青ざめさせた。
ガーランド貴族の多くは民を家畜のように思っている。
平民は自分たちを肥やすための労働力であり、民を庇護するという貴族の義務も資産を守るためのものであるという意識が強い。
彼らの代わりはいくらでもいるが、自分たちは神々に選ばれし特別な人間だ。平民を増やすも減らすも貴族の都合次第だ。と、考えていた。
けれどこの場ではどうだ。
居ても居なくても良い存在は自分たちではないか。むしろ邪魔になっているくらいで、誰の役にも立っていない。
人の価値を改めて考える。
この子どもたちだって将来、彼らのように人を救うかもしれない。ヘジが作った小麦でできたパンを食べるかもしれないし、メメが繕った衣装を着るかもしれない。
腕のなかの体温は感情を持ち、母が見つからないと泣いて、簡単な陣を描くだけで手を叩いて笑った。
彼らはこの場の空気に呑まれていた。
もしこれが会議の場であればいくら言葉を尽くされようが一笑していたかもしれないが、誰に言われるわけでもなく肌で感じ取ってしまったのだ。
「必ず、母を見つけてやるからな……」
言えることはそれくらいのことだった。
キュッと肩口を掴んで「うん!」と嬉しそうに笑う小さな命を見て、鼻の奥がツンとした。
・シェリエルの年齢と学年
学院は満13歳で入学。シェリエルは9月生まれなので、今二年生で15歳になったところです。
ちなみにアリシアは前半生まれ?なので15歳の三年生です。





