31.黄金の麦畑
すっかり定例となった有識者会議の後。
王宮のとある一室でクフクフ笑う男が数人。
「カカカ、愉快、愉快。あの娘が他領にまで手を出し始めるとは」
「だから言ったであろう、何のために私が彼女を学院に入れたと思っている」
「入学時には魔力が皆無とされていたのでしょう? よく教師陣を言い包めましたな」
「魔力不全の子らもいる故、教師も無碍にはできぬよ。私が少し言えばそのくらいどうとでもなる」
「では、卿は本当に彼女の才を見抜いていらっしゃたというのです?」
「まあ、何を為すかまでは未知であったが、ベリアルドはいつの時代も我々には幸運であるからな」
「違いない」
「ええ、本当に」
膝を突き合わせて満足そうに笑う彼らは——
元老院に席を置き、貴族学院の長をも務めるゴルハルトと、侵攻派の有力貴族たちであった。
その日の有識者会議はシェリエルが授業を休みたくないというので夜の開催になったのだ。すでに元老院をはじめとして、シェリエルの発明や知識は最も優先すべきものとなっている。
「それで…… 上手く行きそうですか?」
比較的若い侯爵が機嫌の良いゴルハルトに問う。するとゴルハルトはニッ、と片頬を気前よく上げて「ああ、もちろん」と力強く言った。
「改革派も、教神派も、貴族派でさえもベリアルドを上手く使えなかった。が、我々は違う。最後に笑うのは我ら侵攻派よ」
不安そうにしていた者もその自信満々の笑みに自然と頬を緩める。
「いやしかし。驚きました、ガーランドが心を崩すとは。あれはベリアルド…… とユリウス殿下の仕業でしょうな」
「そうに決まっている。あの狐がまだ疫病の段である最厄で心を乱すものか」
「なんでも、裁判の準備も進んでいるとか」
「悪事を握られ強請られでもしたか」
「おお怖い怖い」
口ではそう言いつつも、侵攻派の面々の顔は明るかった。元々、侵攻派と貴族派は利害が一致し易く手を取ることが多かったのだが、だからと言って気心が知れているというわけではない。
まだ幼いフェルミンの方が御しやすいので、これはこれで良い風向きだと捉えているのである。
まさか極刑、ましてや直系が連座となるほどの罪だとは夢にも思わず余裕の笑みを溢すのであった。
◆
そんな、さまざまな思惑が立ち込める王宮の片隅で。
「アル、ねえアルッ! どういうことなの! なんとか言ってちょうだい!」
コンラッド・ガーランドが神殿に入れられた。
その一報を受けて、ライアは取り繕うこともできずに息子アルフォンスに言い縋っていた。
アルフォンスはそんな母を見て、グッと唇を噛む。
「母上……」
「裁判をするって本当なの? ねえ、アル、嘘よね? アレが手を回したのでしょう? あの悪魔が…… コンラッド様を……」
「兄上は、悪魔ではないよ」
「アルフォンスッ! あなた騙されてるの、目を覚ましてちょうだい!」
母がこれほど取り乱すところを久しぶりに見た。
元々、感情の起伏が激しい人だったので、泣くところも怒るところもそれなりに見てきたが、この日は常軌を逸していた。
それで、「ああ、やはりそうなのだな」と思って、アルフォンスは声を落とす。
「目を覚ますのは母上です。彼が何の罪で裁判にかけられるか、ご存知ですか?」
「え……? 罪って…… え? アル?」
「俺は誰の子ですか」
「あ、アル…… そんなの、陛下の子に決まっているじゃない」
ライアは「やだ、何言ってるの」と涙でぐしゃぐしゃになった頬で壊れたように笑う。
母は何の前触れもなく愛する人が廃人になったと聞き、それがユリウスの復讐だと思ってそれ以上の現実的なことを考える余裕がなかったのだろう。なにせ、それを聞いたのはつい今しがた、有識者会議の後だったのだから。
「すべて、証拠は揃っています。できれば、母上には…… 罪を償って欲しいと、思って。……います」
「な、なんの、なんのこと」
「密会に使っていた屋敷、使用人、手紙、金銭の流れ…… 俺が、集めた。母上、もう…… 俺にこれ以上のことをさせないで……」
アルフォンスは静かに泣いた。
喉が詰まって、最後まで言うのがやっとで、それでもきちんと自分が告げるべきだと思って言った。
兄に断罪させるわけにはいかない。母が自ら罪を告白して牢へ入れば、極刑は避けられる。そう、兄が約束してくれたから。
もう信じられるのは兄だけだった。
父は自分の子でないと分かると問答無用で俺も母と一緒に処刑するだろう。
それを阻んでいるのが兄なのだ。
母にもこれまでずっと裏切られていた、けれど、だからと言って嫌いにはなれない。
母を改心させて、牢に入れる。それが唯一自分にできることで、兄が望んだことだと思って、いまこうやって真摯に語りかけている。
が、俯くアルフォンスは信じられない声を聞く。
「あなたは、陛下の子よ……」
「え?」
喜ぶべき言葉のはずが、アルフォンスの背筋にはぞわりと鳥肌が這い広がっていた。
感情を削ぎ落としたような、ゾッとする声だったのだ。
思わず顔を上げると、肌の騒めきは頭皮にまで上ってきた。
あまりにも冷たく、あまりにも……
「コンラッド様の子がこんな腑抜けなワケがないでしょう? アルは陛下の子よ。でもね、わたしはあなたを愛してるわ。誰の子でも、どんな薄情者でも、わたしの子に変わりないもの。ウフフ、いいのよ。アルったら昔から手のかかる子だったから、お母さん、慣れてるわ。だいたい、誰のために…… ここまで……」
「母上?」
「全部アルのためなのにッ! わたしがこれまで誰のために頑張って来たと思ってるの! アルのためじゃない! それがなによ! アルまでわたしを捨てるっていうの! 愛してるのに! わたしにはもうアルしかいないのに!」
喉が裂けるのではないかと思うほどの叫びだった。
嗚呼、もう母上は正気ではないのか……
分かっている、母は自分を愛している。どんな悍ましい悪事も、すべて自分のためなのだ。もう、一緒に処されるのがこの愛に報いる唯一の方法なのではないか。
アルフォンスはそう思って、胸から込み上げてくる痛みに耐えるのでやっとだった。
「ねぇ、アル? 大丈夫よ、お母さんが何とかしてあげるから。安心してちょうだい?」
蜜のような甘い声で、赤子をあやすようにライアはアルフォンスを抱きしめた。
もう腕の回り切らないほど成長したアルフォンスの背を爪が食い込むほどぎゅっと掴んで、トクトクと毒のような愛を注ぎ込む。
「可哀想に…… 悪魔に洗脳されてしまったのね。大丈夫、大丈夫よ。すぐに元に戻してあげるわ…… アル、わたしの可愛い子…… 良い子だから、お母さんを悲しませないで?」
「……ッ」
痛いくらいの愛がアルフォンスの心臓をギリギリと締め付ける。
もうどうすれば良いか分からなかった。
「ね、アル? コンラッド様のこと、お願いできる? アルはやればできる子だもの。賢いアルなら分かるわよね? コンラッド様ならアルを助けてくださるわ。だから、コンラッド様を助けて」
「あ……」
これは、愛なのか。
自分は行き場のない愛を注ぐための代替の器なのではないか。
もう何も考えたくないのに、嫌な考えばかりが胸に渦巻いてどうにかなりそうだ。
「アル?」
「……ウッ、……」
吐き気がこみ上げて来て、思わず母を引き剥がす。
口元を覆って片手で母を押し退けると、そのまま逃げるように走りだした。
「アル! どこ行くの!」
そんな声が後ろで響いていたが、振り返る気にはなれなかった。
ひたすら走って、馬車に乗る気にもなれなくて、広い王宮をあてもなく走り続ける。
補佐官を置いてきたとか、護衛騎士が付いて来ていないとか、そんなことを考える余裕もない。
本来馬車で移動するくらい広い王宮は街ひとつ分ほどの面積がある。
喉から血が出そうなほど全力で走って、どこかの庭園の隅っこでドサッと倒れ込んだ。
「ハァ……、ッウ…… ハァ……」
熱い息切れが身体をバラバラにしてしまいそうだった。
明るい星空ですら眩しく感じる。片腕で目を覆って、大声で、思い切り泣いた。
「あら、どこの子どもが迷い込んだのかと思ったら…… 家主ではありませんか」
「……グス……」
聞き覚えのある棘のある声に「最悪だ……」と思いながら、ガシガシ袖で目を擦ってチラと目を開ける。
覗き込むように、イザベラが長い髪を垂れ下げていた。
「またディディエ様にでも虐められたのですか」
「……ちがう」
その方がまだマシだ。だが、泣いている理由を彼女にだけは言いたくなかった。
彼女は昨日、ちゃんと実の父親と訣別したのだから。
どうしても情が捨てきれないとか、母の愛が信じられないとか、滅茶苦茶になった感情をそのまま話す気にはなれない。
恥ずかしいし、彼女にも失礼だし、それに。
「また、バカにするのだろう。俺が年下で、無能だから……」
「あら、お気付きになっていたのですね」
「お前……」
「ふふ、婚約するのですからこれくらいの軽口はお許しください」
「俺が許さなくても、バカにするくせに」
「よくご存知ですこと」
イザベラはファサ、とドレスを広げるように隣に座り、華奢な腕でアルフォンスの頭を膝に乗せる。
え? と固まっているうちに、サラサラと頭を撫でられていた。
その行為にも驚いたし、そもそもあの傲慢で気位の高いイザベラが地面に座るなど信じられなくて、瞬きも忘れて身動きひとつとれない。
「な、な…… え」
「ジッとなさいませ。上手く出来ています?」
「あ、え? なにが」
「ですから…… ハァ、察しも悪いのですね。わたくし、これまで弟を甘やかした事がないでしょう? ですから練習をと思って。これからは良き姉になりたいと思っていますの」
「知らんが……」
「またひとつ分かり合えましたわね」
「や、いや…… なにひとつ分からん……」
イザベラの手はたしかに少しぎこちない。
弟の練習台…… やはり弟にしか思えないか……
そう思ってズキッと胸が痛んだ。これは身代わりにされたことを思ってなのか、男の矜持が傷付いたのか。
しかし、ぎこちなくあってもその手は優しかった。押し付けられた愛に窒息しそうになっていたアルフォンスには、これくらいの軽薄さが心地良い。
「お前は…… 強いな。父親を、その。……平気か?」
「わたくしはもとより情などありませんでしたから。あれは、“飢え”だったのでしょう。ですから麦畑に憧れ、求め続けた…… それだけだったのです。でもやっとそれがただの原っぱだったと気付きました。最初から麦など育っていなかったのです。虚しくはありましたが、諦めはつきました」
「……飢えは、どうなった。満たされないままか?」
「いいえ。わたくしのうしろにはずっと豊かな麦畑が広がっていたのです。それに気付きました。少し手を伸ばせば実り豊かな果実の木まで。もう飢えることはないでしょう」
「そうか……」
トゲっぽいと思っていた声がいつしか心地よくなっていた。彼女の芯のある艶っぽい声は飢えに耐えた強さに思えて。
イザベラが辛くなくて良かった、と軋んだ胸に温かいものが広がっていく。
その実りに俺は含まれているだろうか……、いや、そうである必要は無い。なにを考えているんだ、俺は。
感傷的になっているのか、自身の心すら儘ならない。
これはイザベラがこんなことをしているからで…… と、そよそよ髪を撫でる彼女の指先のせいにした。
「なにか?」
「お、お前ならそこら辺の仔鹿でも自力で狩りそうなものだがな」
「最近は草や根も食しますわよ? ふふ、そう言えば…… 殿下の髪色は黄金の麦畑のようですわね」
「俺は美味くないぞ?」
「美味しく育てて差し上げますわ」
「ま、またバカにして」
「ふふ、可愛らしいこと」
アルフォンスは夜で良かったと心の底から思った。
きっともう、顔は見ていられないくらい真っ赤になっているだろうから。
女には慣れている、と自分で思っていた。人並み以上に異性には興味があったし、その手のことだって年相応には経験がある。
それが、女を知らないみたいな反応をしてしまって、恥ずかしくて仕方ないのだ。
「クソ、俺は女運が最悪らしい」
「でしたらわたくしで大逆転ですわね」
「クッ……」
だから賢い女は嫌なんだ。何を言っても言い負かされるし、一生イザベラに勝てる気がしない……
「殿下、もし、無事に結婚できたら……」
「……?」
「わたくしが殿下の一番の家族になるとお約束致します」
それは、愛と言って良いのかは分からないが、心を震わせる告白であり、プロポーズだった。
「お、おま、俺たちは、ただの契約で」
「どの婚姻も契約には違いありませんよ。そこからどう関係を築くかが重要なのだと、両親を見て学んだのです」
「あ、そういう…意味、か。ああ、俺も…… 良き夫になる努力をするつもりはあって、だな」
まったく格好付かなくてドモドモ言い訳のようにイザベラに約束する。
もう、彼女との時間が居心地の良いものになっている。これまで夜のお茶会をしてきて、ドキドキだってしていた。
けれど、イザベラを愛することは自分も母と同じように彼女を身代わりにしようとしているのではないか。
不安になって瞳が揺れる。
イザベラはフッ、と笑ってアルフォンスの前髪を優しく分けると——
「……ッ!」
アルフォンスの額にキスを落とした。
「あら、案外初心ですのね」
「イッ、ァ。え」
アルフォンスはもうなんで自分がこんなところで寝転んでいるのかも忘れるくらいビックリして、心臓をこれでもかというほどバクバクさせて。
——す、好きになってしまう……
と、思った。





