29.シェリエルの誕生日
九の月の最終日。みんな忘れているがこの日はシェリエルの誕生日である。
そして、この国で初めての公衆サロンなるものを皆にお披露目する日でもあった。
開宴早々にとんだ珍客が現れ、講義やら離縁の儀やらがはじまってしまったが、陣形成の祝詞が存在しない魔法も内在世界から発現することに成功し、意外にもシェリエルはふくふくとご満悦だ。
「シェリエル、まだ魔法陣のことを?」
「少しだけ……」
「ほら、皆が揃ったようだよ」
ユリウスの声に誘導されて庭の一等華やかな場所を見る。
そこにはディオールやセルジオ、それにアリシアまで揃っていた。
「アリシア! アルバラ先生のお手伝いはもう終わったのですか?」
「ええ、遅くなってごめんなさいね」
「いえ、いろいろあったので。ちょうど良かったです」
「……?」
「シェリエル、お誕生日おめでとう」
「お母様! ありがとうございます!」
「僕、なんだか良い機会を逃してしまった気がするんですけど……」
「気のせいですよ、まだ始まっていませんから」
セルジオは麻薬捜査犬みたいに小鼻をヒクヒクさせ、さっきまでコンラッドがいたあたりでピタと視線を止めると片眉をグッと寄せる。
野生の勘ってそんな精度なの? 怖すぎる……
と、シェリエルは父を視界に入れないようにした。たしかに穢れは特有の臭いがするが、もう土地は祓ったのでキレイになっているはずだったのだ。
遅れて来てくれてよかった、なんて思ったりもしたが、これは偶然二人が遅刻したというわけではない。
ディオールたちが遅れてやって来たのには……
「皆様、どうぞお入りになって」
ディオールの艶っぽい声に、正門からぞろぞろと貴婦人たちがやってきた。
彼女たちはディオールが別のお茶会から連れてきた王都の貴婦人たちである。
なかにはベリアルド領から連れてきたシャマルやジゼルの母をはじめ、白薔薇の館会員勢も混ざっているが、ほとんどがディオールが選び抜いたご新規さんたちらしい。
「まぁ!」
「素晴らしいお庭だこと!」
「あれが噂の水晶の館ですわね」
庭は更に華やかに、色鮮やかに染まる。
ディオールが招き入れた貴婦人の群れは感嘆の囀りで賑わっていた。
そこに、泣き腫らした目を癒したグレースが困惑した様子でディオールのもとへとイザベラと共に歩いてくる。
「でぃ、ディオール様……」
「ごきげんよう、グレース様。あら……? まあいいでしょう、今日は祝いの日ですからね」
ディオールは疲れの見えるグレースに何か思ったようだが、貴婦人の群れににっこり笑ってグレースを紹介する。
「こちらが王都で初となる菓子専門のサロン兼商店。グレース様とイザベラ様が経営する、サロン・シャティエルですわ」
わぁ!と喜色が溢れて、グレースが顔を真っ赤にしてしまった。
『サロン・シャティエル』
内装と菓子の意匠はディオールとデヴィッドが、建築や運営指南はシェリエルが。というように、ベリアルドが全面監修したグレースとイザベラの事業である。
シェリエルの前世でいえばカフェ併設のパティスリーに近いだろうか。
この名付けにも大変な苦労があった。
ベリアルドでは名前を真面目に考えなかったため、自然と「白薔薇の館」だとか呼ばれるようになっているが、書類上は「ベリアルド侯爵家所有・サロン二四八室」となっている。
それでは色気がないのでお店の名前を考えることにしたは良いが、生憎シェリエルは命名センスが最悪だった。
そこでイザベラとグレースに丸投げするも、ふたりは事業を譲ってもらった身で名づけまで、ましてや自身の名を冠するなど畏れ多いと首を振る。
イザベラなど、「いっそサロン・シェリエルで良いじゃないの」なんて言い出す始末。そんなことはまったくもって御免のシェリエルは無いセンスを搾り出し、ギリギリ語感の似たそれっぽい名を考えた。
それで、まあ散々な紆余曲折を経て『シャティエル』となったのである。
グレースとイザベラは“エル”の付く名に「これでシェリエルが発案したとすぐに分かるわ」と満足した。
のちに、シェリエルの関与した施設にはすべて“エル”が付くことになるのだが、それはまだ少しあとのお話である——
「皆様、自由にご覧になってくださいましね。お席は自由ですから、それがシャティエルでの作法ですわ」
そわそわ好奇心とトキメキを抑えきれない貴婦人たちは一斉にサロンを散策し始めた。
残されたグレースは恐縮し切って胸の前で指先をモジモジさせる。
「あ、あのディオール様…… これほど盛大なお披露目会をご用意いただいて、なんとお礼申し上げて良いか」
「あら、わたくしの手がけたサロンですもの、派手にお披露目するのは当然のことでしょう?」
「あ、はい…… もちろんです。ですが、こんな、わたくし…… の日々の訓練も、その…… ディオール様にお返し出来るものがありません」
グレースはキュウと小さくなっていた。
ヨーガや入浴、ディオール式ボディトリートメントは一切対価を払っていないのだ。グレースが小さくなるのも無理はない。
が、ディオールはフ、と口端だけで笑って美しく伸びた人差し指を一本軽く上げた。
すると、ディオールの後ろにザッと貴婦人が整列する。下位から上位と色は様々。しかし、彼女たちは艶髪を風に揺らし、滑るような肌には光を帯びていた。
肌艶だけではない。ただ立っているだけなのにその立ち姿は騎士のように凛々しく、水鳥のように優雅。顔の造形がどうだとかはもはや何の評価にもなり得ない。肉付き、骨格、皆それぞれ違っているが、それでもやはり美しいのである。
彼女たちはベリアルドで磨き抜かれた白薔薇の館初期会員たちであった。
その優美な集団のなかでもディオールは一等強く美を放っている。
まるで群舞を従えたエトワール。
最上の美は埋もれない。真の美しさは美の中で更に美を際立たせるのだと、ディオールはその身で証明してみせた。
「わたくしも以前は他人に美を授けるなんて、と思っていたのですけれど。うふふ……」
「はッ……」
グレースはこの施しが自分のためでなく、ディオール自身のためのものだと納得した。
散々言われて来たにも拘らず、これを見るまでは半信半疑であったのだ。でももうこの光景を目にしては脳に直接叩き込まれたも同然で、理解するしかない。
彼女は王に跪くように最上の礼をとっていた。
いまできる精一杯の美しい所作をもって、湧き立つ信仰を表すにはこれ以外に方法がなかったのだろう。
「よろしくてよ」
シェリエルはこれを「わぁ〜」と見ていた。
人が宗教にハマるときってこういう瞬間だろうな、と思って。
何にせよ、あの血液風呂で死にかけた母が真っ当に美を追求しているのは良いことだ。誰も傷付けず、変な病気も貰わない。
安全第一、倫理遵守。十年近く頑張ってよかった、と。
「さ、わたくしたちも行きましょう」
ディオールとグレースが隣り合って歩き出すと、その後ろを澄まし顔のピシッと整った貴婦人が続く。
取り残されたセルジオは「あれ? 僕は?」と空になった左腕を見て、そのままシェリエルと見つめ合った。
「シェリエルどうぞ」
「あ、じゃあ失礼します」
なんだかよく分からないが、父の腕に手を添えて美婦人集団を追う。
そういえばお父様にエスコートされるのなんて初めてだな、なんて思いながら。
「なんだか最近ディオールがつれないんですよねぇ」
「気のせいではありませんか」
「僕、勘だけで生きているので気のせいってことは無いと思うのですが」
「そうですね、気のせいが続いたら死んでしまいますものね」
シェリエルは父の話をあまり聞いていなかった。
適当に返事しているがセルジオもあまりよく考えてないので会話は成立している。
ふわふわした父娘のお喋りはサロンに入るとまた別のものに変わる。
「シェリエル! これは!」
「菓子のショーケースです。こちらのケースには保冷の魔法陣を入れてあるのでチョコレートや冷たい菓子も並べられるのですよ」
「これは館の受付台に似ていますね」
「そうですね、ここで菓子を詰めて会計するのです」
白薔薇の館では基本テーブルチェック、化粧品などは受付でまとめて会計になっているので販売だけのカウンターは初めてだった。
「あの硝子窓は思い切ったことをしましたね。壁一面となると襲撃の際、屋敷が崩れ易くなりますよ」
「間の柱に補強の地魔法を入れてあるので。あと、屋敷全体に固定の陣を施しています」
「なるほど、なるほど」
大窓は特に珍しいものではなかったが、このサロンは庭に続く壁をすべて取り払って開閉できる硝子窓を入れてある。天気の良い日は開け放して庭続きにすることもできるのだ。
これは解放感と給仕のし易さを考えてのことだったが、壁一面というのが珍しいのか意外にも好評だった。
屋敷の造りはシェリエル監修なので驚く父にひとつひとつ説明して回る。
しかし、シェリエルにも驚きがあった。
「お? え、アレは?」
「ん? ピアノですか? 貴女が入れたいと言ったのでしょう?」
「わ、あ? あれがピアノ?」
サロンの一角には見慣れない大きなオブジェがあった。
一見、人が入れるくらいの大きな鳥籠のようだが、柵は複雑に曲線を描きながらシャンデリアのようにいくつも飾りを揺らしている。
そして一番大きく膨らんだ中腹に輪っかのようなクリスタルの鍵盤が嵌め込まれていて、入り口だけ申し訳程度に途切れていた。
上部を囲む細くキラキラした囲いは弦であるらしい。近くに寄ってみると、シャラシャラ垂れ下がる飾りだと思っていたものはカットが施された魔法石だった。
「なん、なんですかこれは」
「だから、ピアノだと…… ああ、サロンに入れるのでと簡素な物にしましたけど。気に入りませんでした?」
「これで…… 簡素」
「無翼ですからね」
「翼? え、羽の生えた楽器があるんですか?」
「ピアノですから……」
「え?」
「、?」
噛み合わない。
ただでさえ他人の感情に疎いベリアルドのなかでも、それを知力で補おうとしないセルジオはこういった時に意思の疎通が壊滅的なのだ。
これがディディエであったならば洞察力と経験である程度のことを察して会話を成立させるのであるが……
そういったことを体感コンマ二秒で考えたシェリエルは「お、オニィサマぁー……」と小声で呼んだ。
大声を出すには知らない人が多過ぎるし、絶賛お説教中のディディエでもシェリエルの声ならば聞き逃すことはないので。
セルジオが「うん?」と首を傾げているあいだに兄はすっ飛んで来た。一大事とばかりにお説教を振り切って来たらしい。
「珍しいじゃない! どうしたの!」
「お兄様、これがピアノで合っています?」
「ああ、シェリエルは見たことなかったっけ? 合ってるよ、これがピアノ。鍵盤を叩けば音が出る」
「翼があるものもあるって聞いたのですけど…… 生き物ではないのですよね?」
「アハハっ、かわいー! それたぶん五歳児くらいでやるやつ! その見た目から有翼ピアノとか言うけど、ハープみたいなものだよ。貴族の楽士は魔力を使うから、一人で同時に演奏できるようになってるんだ」
「ほぉ〜、では平民用の楽器は形が違うのですか?」
「うん。ピアノだと鍵盤は真っ直ぐでこういう蓋付きの箱みたいになってる」
ディディエがうねうね動かす手の動きは前世でも馴染みのあるピアノを表していた。聞けば、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器も貴族用と平民用では少し違うらしい。
弦が剥き出しのため良く音が響き、飾りだと思っていたイエローの魔法石で音の調整をするという。
「ということはこれも魔導具……」
「そうだよ。弾いてみる?」
「いえ……」
すでに人もたくさんいるのにポロポロ子どもみたいな試奏をするのは気が引けた。でも興味はある。どんな仕組みになっているのか、この目で確かめてみたいとウズウズして、チラ、と兄を見上げてみる。
「ふふ、しょうがないな」
「わ! 弾けるのですか!」
「嗜む程度にね。でも魔力奏はできないよ?」
シェリエルがコクコクと頷くと、ディディエはクス、と笑って身体を横にしながら籠のなかへと滑り込んだ。
そして、小さな丸い椅子に腰掛けると、パラパラと澄んだ雫の音がサロンに響く。
「は、わ…… わぁ……!」
これだから天才は……
ディディエは少し肩を入れて、泉に小雨を落とすような音の粒を弾けさせた。小さな小さな音の連なりに合わせて無翼ピアノに散りばめられた魔鉱石がチカチカと光を放つ。
サロンを散策していた貴婦人たちは足を止め、ほぅ…… と雫が戯れるディディエの鳥籠を見つめていた。
低音は重く、大河の濁流のように。繊細な高音はスズランから溢れる朝露のように。
ディディエは気分が乗ってきたのか、円形の鍵盤を身体を大きく使って、ドラマチックに展開しはじめた。
「おや、珍しい」
「センセ、先生も弾けますか?」
「私は弦楽器専門だね」
「え、弾けるのです?」
「嗜む程度には」
「どこで習ったのですか」
「陛下が慰めにとね」
「なるほど」
せせらぎのような旋律は次第に不安を煽り、ノスタルジックな切なさを胸に残して音を止めた。
静寂の少しあと、ワッ!とサロン中が沸き立ってディディエが「アハハ、久々だから緊張した」と思ってもない事を言いながら笑みを溢す。
「お兄様! 素敵でした! いままでで一番!」
「え、そんな? もっと素敵なところなんてこれまでたくさんあったよね?」
「楽士に転向を勧めたいほど素敵でしたよ」
「そう? でもこんなのただの道楽だよ。楽士は魔力奏が普通だからね」
「へぇ……、?」
「君が一等を主張しないなんて……」
「楽士って特殊だから。ギフト持ちだっているし、なんていうか…… まあ、その道の天才もいるよね」
「ほぅ。では普段一等を主張するものは本気でそう思っていると?」
「当たり前だろ?」
やれやれと首を振るユリウスの隣でシェリエルはポケッとまだ余韻に浸っていた。それはサロンの貴婦人方も同じである。
「シェリエルは音楽にも興味があるのかい?」
「人並みには。というより、十五年生きてきて今日が初見なんてことがありますか?」
「ヴァルプルギスの夜にも特大のが入っているよ?」
「え?」
よくよく聞くと、楽団が集まっていた豪勢な舞台はそれ自体が有翼ピアノであったらしい。王宮だから舞台も派手だな、なんて思っていたのでまったく気に留めていなかったシェリエルはその様相もほとんど記憶になかった。
「見学はそれくらいにして、そろそろお茶会を始めますよ」
話の進みが悪くてすみません。
【備考】
貴族→騎士、魔術士、服飾士、楽士
平民→服飾師、庭師、楽師、細工師
というように、貴族を(士)、平民を(師)で書き分けています。
楽士は平民と貴族が混合の場合が多いので「楽師団」とか書いてるかもしれません。





