第9話 同族誤認
二匹目の九位は、閉店後の商店街にいた。
シャッターの影から影へ、ぬるりと渡っていく黒い輪郭。あの縦裂けの口が、酔って歩く大学生の背中に狙いをつけている。
「手順、確認します」
アーケードの柱の陰で、ヰナが囁いた。
「まずわたしが正面から仕掛けて、注意を引きます。存在喰いは観測者を敵として認識するので」
「あんたは敵扱いで、俺は仲間扱い。ひどい世界だな」
「その誤認が、あなたの武器です。わたしが引きつけている間に、背後から捕食を。……本当に、大丈夫ですね?」
「昨日ぶっつけでやったことを、今日は打ち合わせ付きでやるんだ。楽勝だろ」
強がりだったけど、半分は本音だった。腹の底の飢えが、さっきからずっと、早くしろとせっついている。
ヰナが柱の陰から出た。
銀の杭――彼女いわく、灯守の制式武装「残灯」――を構えた瞬間、九位が跳ねるように振り向いた。大学生への興味を捨てて、口をヰナへ向ける。
なるほど、あれが「敵として認識される」ってことか。
昨日までの俺なら、あの敵意がヰナに向くのを見て焦っただろう。でも今夜の俺は知っている。あいつの世界に、俺という脅威は存在しない。
俺は堂々と、真正面から歩いて近づいた。
九位の横を、素通りする。やつは俺を一瞥もしない。ヰナに気を取られているから、ですらない。最初から、俺は景色なんだ。
残灯が一閃して、九位の腕を焼く。影がのけぞり、憎悪のすべてをヰナに集中させる。
その無防備な背中に、俺はゆっくりと両手をかけて。
「――悪いな。俺、お前らの仲間じゃないんだわ」
喰った。
◇
冷たさが喉を落ちて、熱に変わる。二度目でも慣れない、あの染みるような熱。
そして今夜も、流れ込んでくる。
縁側。将棋盤。詰めが甘いのう、と笑う声。孫の字で書かれた敬老の日のハガキ。仏壇の妻の写真に、毎朝欠かさず供える茶。
――じいさんだ。この九位は、どこかの縁側から、将棋の好きなじいさんを喰った。
ハガキを書いた孫は、もう、じいさんがいたことを知らない。
「……覚えた」
俺は呑み込み終えて、夜空に向かって言った。
「縁側のじいさん。将棋。朝の茶。……覚えたからな」
誰に届くわけでもない。でも、言わずにはいられなかった。俺の中に流れ込んできたこの人たちの欠片を、黙って腹に沈めるのは、あんまりだと思ったから。
振り向くと、ヰナが残灯を収めて、俺をじっと見ていた。
「……灰島さんは、喰った相手の中の人を、覚えていくんですね」
「勝手に流れ込んでくるだけだよ」
「覚えてるって、口に出すのは、勝手じゃないです」
ヰナは手帳を出して、何か書きつけた。あとで知ったが、彼女はこの夜から「還るべき人リスト」というページを作り始めていた。縁側のじいさん、が最初の一行だった。
◇
帰り道、コンビニに寄った。
水と、パンと、ついでに夜食。セルフレジじゃなく、うっかり有人レジに並んでしまって、しまったと思った。店員の視界を素通りして、気まずく商品だけスキャンされる、あの時間が来る。
「いらっしゃいませ」
……ん?
顔を上げると、店員のあんちゃんが、俺を見ていた。ほんの一瞬、確かに俺の顔を見て、それから商品に目を落とした。
「あたため、大丈夫っすか」
「……あ、はい。大丈夫、です」
袋を受け取って、店を出て、俺はしばらく歩道の真ん中に突っ立っていた。
いらっしゃいませ。あたため大丈夫っすか。
たったそれだけの、どこにでも転がってる言葉が、五日ぶりに俺に向けて発射された。
存在値ゼロ・ゼロ・いくつか知らないけど、ゼロじゃない俺に。
「……効いてる」
喰った分だけ、俺は世界に戻ってる。
夜道を歩きながら、俺は自分の影が妙に濃いことに気づいた。街灯の下、俺の影だけが、輪郭をざわりと波打たせている。
喰った九位の「何か」が、俺の中で目を覚まそうとしていた。




