第8話 灯守と九つの位階
翌日の夕方、ヰナに連れて行かれたのは、駅裏の雑居ビルの一室だった。
看板には「白羽災害調査事務所」。中は資料の山と、ホワイトボードと、几帳面に整頓されたデスクが一つ。
「灯守の詰め所です。表向きは、災害調査の外郭団体ということになっています」
「表向きは、ね」
「地震でも事故でもないのに人が消える『災害』を、調査して、討伐する。それが灯守です。読みは『ひもり』。喰われた人の残り火を、守る者」
ヰナはホワイトボードの前に立って、教師みたいにマーカーを構えた。この講義のために資料を徹夜でまとめたらしい。目の下にうっすら隈があるのは指摘しないでおいた。
「では、始めます。第一回、存在喰い概論」
「第一回って、何回あるんだ」
「十二回を予定しています」
「多いな!?」
◇
要点はこうだ。
一つ。存在喰いには「位階」がある。九位から一位まで。数字が小さいほど強い。俺が河川敷で喰ったのは最下級の九位。それでも一般人なら、遭遇した時点で人生が終わる。
一つ。やつらが喰うのは「存在値」。その人がどれだけ世界に存在しているかの量。喰われれば記録から消え、記憶から消え、最後は器――肉体ごと消滅する。
「だから、あなたはありえないんです」
ヰナはボードに「灰島トワ」と書いて、丸で囲んだ。
「存在値ゼロで、器が残った人間。前例がない。理由も不明。……でも、そのおかげで説明がつくことがあります」
「化け物どもが、俺を素通りすること」
「はい。存在喰いは、存在値を持つものを『餌』として感知します。存在値ゼロのあなたは、感知に引っかからない。それどころか――」
ヰナはボードに書いた。同族誤認、と。
「やつらから見れば、存在値を持たずに動くものは、自分たちの仲間だけ。だからあなたを同族と誤認して、警戒しない。……あなただけが、あの化け物に不意打ちできる。世界でただ一人」
「昨日から思ってたけど、その『世界でただ一人』ってフレーズ、俺たちの周りに多すぎないか」
「……そう、ですね」
ヰナはちょっとだけ目を伏せて、マーカーを置いた。
「わたしだけがあなたを観測できて、あなただけが、やつらを狩れる。……偶然にしては、できすぎてると思います」
◇
「それで、一番の問題です」
ヰナは机から端末を出した。ガラス板みたいな計器に、細かい数字が流れている。
「灯守の討伐は、存在喰いを『消す』だけです。討伐しても、喰われた人は還らない。存在値は怪物の中で霧散して、終わり。……ずっと、そういうものだと教えられてきました」
「ああ」
「昨夜のあなたの数値を見てください」
端末には、グラフがあった。ずっと底を這っていた線が、昨夜のある時刻を境に、ほんのわずか――でも確かに、浮いていた。
「存在値、ゼロ・ゼロ・三。誤差じゃありません。あなたは九位を捕食して、あの子が溜め込んでいた存在値を、取り込んだ」
学生証の滲み。あれは、気のせいじゃなかった。
「灰島さん。あなたの捕食は、喰われたものを『取り戻せる』のかもしれない。あなた自身の存在も――もしかしたら、いつか、喰われた人たちも」
ヰナの声は、途中からかすかに震えていた。
討伐しても誰も還らない世界で、ずっと計測係をやってきた少女が、初めて「還るかもしれない」数字を見たんだ。震えもするだろう。
俺はと言えば、単純だった。
喰えば、戻る。
なら、やることは一つしかない。
「ヰナ。この街に、九位は何匹いる」
「観測範囲で、確認済みが四。未確認を入れれば、もっと」
「よし」
俺は立ち上がった。腹の底で、あの飢えが、待ちきれないというように口を開けている。
「狩りに行こう。今夜から」




