第6話 視えてるの
少女は銀の杭を構えたまま、ゆっくりと距離を詰めてきた。
切っ先は、正確に俺の喉元を向いている。
「動かないで」
凛とした声だった。凛としすぎて、かすかに震えているのが余計に分かる声だった。
「……今の、見ていました。あなた、九位を――喰った」
九位。あの影のことか。
「そういう固有種の報告は、ない。存在喰いが存在喰いを捕食する事例も、ない。だから答えて。あなたは、何」
「何、って聞かれてもな」
俺は両手を上げた。降参のポーズ。喰ったばかりで満腹だし、こんな夜中に女子と決闘する趣味もない。
「人間だよ。……いや、人間だった、が正しいのか? 自分でもよく分かんねえんだわ」
少女の眉が、ぴくりと動いた。
彼女は杭を構えたまま、じっと俺を見た。上から下まで。それから、信じられないものを見る目で、もう一度俺の顔を。
「……嘘。存在値が――視えない。ゼロ?」
「そのゼロってやつ、あんたには視えるのか」
「ゼロは『視えない』の。観測できないから、ゼロ。なのに、あなたはそこに立ってる。輪郭がある。声がする。目が、合う」
少女の声から、敵意よりも先に、混乱がこぼれ出していた。
「ありえない。存在値がゼロになった人は、器ごと消えるのに。残らないのに。なんで、あなた――」
そこで彼女は言葉を切って、一歩だけ、さらに近づいて。
「……見える。あなた、視えてるの? あの子たちが――存在喰いが」
「視えてるよ」
俺は言った。
「視えてるし、触れるし、ついさっき知ったんだが、どうやら喰える。あいつらは俺を仲間だと思ってて、警戒すらしない。……で、そっちこそ何なんだ? あんた、俺が視えてるだろ」
「わたしは――」
「いや、その前にさ」
自分でも驚くくらい、勝手に言葉が出た。
「あんた、さっきから俺を見てるよな。ずっと。目、逸れてないよな」
「……? 見て、いますけど」
「三十秒以上」
「はい?」
「俺のこと、三十秒以上見てる。会話が、続いてる。……あんた、俺を忘れてないよな? 今、話の途中で『どちらさまでしたっけ』って、ならないよな?」
少女は、きょとんとした。
それから俺の言葉の意味を理解したらしく、ゆっくりと、杭を下ろした。
「……あなた、名前は」
「灰島トワ。灰色の島に、永遠のトワ」
「灰島、トワ」
――その瞬間のことを、どう説明したらいいんだろうな。
喰われてから五日。母さんは俺を「どちらさま」と呼んだ。慎吾は「どちらさん」と呼んだ。役所の職員は俺を検索できなかった。世界中のどこにも、俺の名前を呼ぶ人間はいなかった。
それを今、初対面の少女が、確認するみたいに、二回。
「灰島トワ。……観測、できてる。わたし、あなたを認識できてる」
喉の奥が詰まって、返事が遅れた。情けない。名前を呼ばれただけだぞ。呼ばれただけで、こんな。
「……ああ」
それだけ言うのが、精一杯だった。
少女は銀の杭を腰の後ろに収めて、姿勢を正して、俺に向き直った。生真面目を絵に描いたような、直角のお辞儀だった。
「白羽ヰナ。灯守――存在喰いの討伐機関の者です。灰島トワさん」
顔を上げた彼女の目は、もう震えていなかった。
「あなたの話を、聞かせてください。最初から、全部。……大丈夫」
なにが大丈夫なのか、彼女はこう続けた。
「わたしは、途中であなたを忘れたりしないから」




