第59話 名簿になる
一月の第二週、俺は支部長室に呼ばれた。
九条シキは、机の上に、二枚の書類を並べていた。
「――二つ、報告がある」
「はい」
「一つ目。西の第三支部の存在値ゼロ反応、続報が来た」
俺は、身を乗り出した。
「――見つかったんですか」
「見つかっていない」
彼女は、書類を指した。
「反応が、消えた」
◇
部屋が、静かになった。
「――消えた、って」
「観測されなくなった、ということだ」
彼女は、正直に言った。
「二通りある。一つ、完全に消滅した。二つ、観測圏外に出た」
「――どっちですか」
「わからん」
彼女は、書類を畳んだ。
「第三支部は、前者だと結論した」
俺は、拳を握った。
三か月。
三か月、誰も探しに行かなかった。
「――支部長」
「なんだ」
「灯守は、なんで探しに行かないんですか」
「観測手段がないからだ」
「白羽さんがいます」
「白羽ヰナは、一人しかいない」
彼女は、俺を見た。
「そして、彼女は、君の教育担当だ」
◇
「――二つ目の報告だ」
支部長は、もう一枚の書類を出した。
『存在値ゼロ視認能力に関する研究依頼 灯守本部』
「本部が、白羽ヰナの体質を研究したいと言ってきた」
俺は、顔を上げた。
「――研究?」
「あの体質が、後天的に獲得可能かを調べたい、と」
彼女は、書類を指で叩いた。
「可能なら、灯守は『見える職員』を量産できる。……存在値ゼロの人間を、全国で拾えるようになる」
「――それ」
「いい話に聞こえるか」
「はい」
「私もそう思う」
彼女は、頷いた。
「ただし、被験者は一人しかいない」
◇
俺は、その意味を、飲み込んだ。
「――ヰナが」
「そうだ」
「危険は」
「不明だ」
彼女は、あっさり言った。
「不明、というのは、灯守の書式では『危険』と同義だ」
俺は、椅子の肘掛けを掴んだ。
「――断れるんですか」
「断れる。……本人が断れば」
「じゃあ」
「――もう、受けている」
◇
俺は、立ち上がった。
「――なんで!」
「聞け、灰島くん」
支部長は、手を上げた。
「白羽ヰナは、昨日、私に言った。『第三支部の反応が消えたのは、視える人間が一人しかいないからです』と」
彼女は、俺を見た。
「『私が二人目を作れるなら、作ります』と」
◇
俺は、その日、地下五階に戻った。
イチが、ノートに絵を描いていた。三週間で、絵は少しマシになっていた。まだ野球には見えないが。
「――トワ」
「おう」
「ヰナは?」
「――本部だ」
「ほんぶ?」
「遠いところ」
「――かえってくる?」
俺は、答えられなかった。
◇
その夜、俺は、地下五階の机に座った。
目の前に、記録票の束がある。八十件になっていた。
そして、その隣に、俺の八冊目のノート。
――イチのノートだ。
俺は、新しい紙を一枚、取った。
様式第七号。
『氏名』の欄に、俺は、書いた。
『白羽ヰナ』
◇
『年齢:十六』
『消失日:――』
消失日の欄は、空欄にした。
――まだ、消えていない。
そして、『生きていた記録』の欄に。
俺は、書き始めた。
『毎朝五時半に起きる。コーヒーが飲めない。苦いから』
『報告書の様式にうるさい。赤ペンで三十七か所、丸をつける』
『存在値ゼロを視認できる。灯守で唯一』
『三十七回、印刷に失敗して、三十八回目に油性ペンを買いに行った』
『笑うのが下手。口の端が、少しだけ上がる』
『――他人のためだけにやっている人間は、途中でやめると言った』
『――自分のためにやっている人間は、やめないと言った』
俺は、ペンを止めた。
そして、最後に、こう書いた。
『――だから、この人は、やめない』
◇
「――トワ」
イチが、俺の手元を覗き込んだ。
「なに、かいてるの」
「――名簿だ」
「めいぼ?」
「そう」
俺は、その紙を、束の一番上に置いた。
「――名前を、書いておく紙だ」
イチは、その紙を見た。
字は、まだ読めない。
でも、あいつは、こう言った。
「――ヰナ?」
俺は、驚いて、顔を上げた。
「――読めるのか」
「よめない」
イチは、首を振った。
「でも、ヰナのかたち、してる」
◇
俺は、笑った。
笑って、それから、天井を見上げた。
万を超える背表紙。百二十年分の、落とされた記憶。
――俺は、何になるんだろう。
三年前、俺は、思い出してもらいたかった。
今は、少し違う。
「――俺は、名簿になる」
俺は、そう言った。
誰に言ったのでもなかった。
喰った分だけ、覚える。
覚えた分だけ、書く。
書いた分だけ、消えない。
――それが、俺の戦い方だ。




