第60話 改めて、よろしく
白羽ヰナが帰ってきたのは、二月の頭だった。
三週間ぶりだった。
支部の入り口で、彼女は、いつも通り背筋を伸ばして立っていた。
「――ただいま戻りました」
「――おかえり」
俺は、彼女を、上から下まで見た。
変わっていなかった。
髪も、制服も、立ち方も。
「――どうでした」
「結論から言います」
彼女は、鞄から書類を出した。
『存在値ゼロ視認能力 研究報告(第一次)』
「――後天的な獲得は、不可能でした」
◇
「――不可能?」
「はい」
彼女は、あっさり言った。
「三週間、あらゆる検査を受けました。脳波、視神経、存在値の微細変動、家系調査」
彼女は、書類をめくった。
「結論。私の体質は、**先天性の変異**です。訓練でも、投薬でも、獲得できません」
「――じゃあ」
「灯守に、二人目は作れません」
◇
俺は、その場に、しばらく立っていた。
「――ヰナ」
「はい」
「無駄足だったのか」
「いいえ」
彼女は、即答した。
「収穫が、二つあります」
彼女は、指を立てた。
「一つ。私の体質が、遺伝的なものである可能性が高いとわかりました。……つまり、**私と同じ体質の人間が、他にもいる可能性があります**」
「――探せるのか」
「探せます」
彼女は、二本目の指を立てた。
「二つ。私が三週間、本部の検査室にいた間」
彼女は、少し、目を伏せた。
「――西の第三支部の反応が、再観測されました」
◇
俺は、息を呑んだ。
「――生きてるのか!?」
「わかりません」
彼女は、正直に言った。
「反応は、一度だけです。一月二十八日、二十二時四分。三秒間」
「三秒」
「はい」
彼女は、書類を出した。
地図に、赤い点が一つ。
「――ですが、場所が、動いています」
彼女は、九月の観測地点と、一月の観測地点を指した。
二つの点は、二百キロ離れていた。
「――こっちに、近づいています」
◇
俺は、その地図を、しばらく見ていた。
「……なんで」
「わかりません」
「偶然か」
「かもしれません」
彼女は、そう言って、それから、付け足した。
「――ですが、灰島さん」
「なんだ」
「図書館の記録票の件、本部の会議で報告しました」
俺は、顔を上げた。
「『存在値の低い者だけが入れる場所に、消えた人の記録を置いてある』と」
彼女は、俺を見た。
「――全国の支部に、通達されました」
◇
俺は、その意味を、飲み込むのに、時間がかかった。
「――届いてるのか」
「わかりません」
「でも」
「――届く可能性が、生まれました」
彼女は、はっきり言った。
◇
その日の夕方、俺たちは図書館に行った。
地下五階。
イチが、机で絵を描いていた。ノートは、もう三分の一埋まっていた。
「――ヰナ!」
イチが、駆け寄った。
――一拍もなかった。
俺は、それに気づいた。
「イチ。……お前、今」
「え?」
「一発でわかったな、ヰナのこと」
イチは、きょとんとした。
「――わかるよ」
「いや、そうじゃなくて」
俺は、ヰナを見た。
彼女は、鞄から測定器を出していた。
「――イチくん。腕を出してください」
◇
測定器の輪が、イチの細い腕に当たった。
三秒。
ヰナの手が、止まった。
「……灰島さん」
「なんだ」
「――〇・四です」
俺は、その場に、座り込みそうになった。
「――ゼロじゃ、ないのか」
「ありません」
彼女は、測定器を、二度、当て直した。
「三回、同じ値です」
「――なんで」
「わかりません」
彼女は、そう言って、それから、机の上を見た。
イチのノート。三分の一まで埋まった、ぐちゃぐちゃの絵と、俺が書き足した一行たち。
「――ですが」
彼女は、静かに言った。
「一つ、心当たりがあります」
◇
俺は、そのノートを、手に取った。
一ページ目。
『十二月三十日 イチが、野球の絵を描いた』
二ページ目。
『十二月三十一日 イチが、そばを三十分かけて食った。二回こぼした』
三ページ目。
『一月一日 イチが、初めて「あけましておめでとう」と言った』
――三十九日分。
俺が、毎日、一行ずつ書いた。
「……これか」
「たぶん」
ヰナは、頷いた。
「あなたが三年間やっていたことを、今、イチくんは、あなたにやってもらっています」
◇
俺は、ノートを閉じた。
膝が、笑っていた。
「――イチ」
「なに?」
「お前、消えねえよ」
「――え?」
「消えねえ」
俺は、そのノートを、あいつに渡した。
「ここに、三十九日ぶん、書いてある」
イチは、それを両手で受け取った。
そして、ぎゅっと、胸に抱えた。
◇
その帰り道、俺とヰナは、並んで歩いた。
二月の夕方は、まだ寒かった。
「――灰島さん」
「はい、と言え」
「はい」
彼女は、そこで、足を止めた。
「――改めて、名乗らせてください」
「え?」
彼女は、俺に向き直った。
そして、深く、頭を下げた。
「――白羽ヰナです。改めて、よろしくお願いします」
俺は、一瞬、面食らった。
それから、笑った。
「――なんだよ、急に」
「三か月前、私はあなたを『観測対象』として見つけました」
彼女は、顔を上げた。
「今は、違います」
「――何なんだよ、今は」
彼女は、少し、考えた。
それから、こう言った。
「――同僚です」
「かてえな!」
「――と、友人です」
彼女の耳が、赤かった。
◇
俺は、笑って、それから、名乗り返した。
「――灰島トワだ」
俺は、言った。
「存在値、八・〇。……三年前は、ゼロだった」
俺は、手を差し出した。
「――覚えとけよ」
「はい」
彼女は、その手を握った。
「――記録します」
◇




