第58話 大晦日
大晦日、俺は家に帰らなかった。
母さんに電話した。
「――仕事」
『年末に仕事!?』
「言ったろ。討伐者に年末年始はねえって」
『じゃあ、年越しそばはどうするの!』
「そこか」
『そこよ!』
俺は、笑った。
「――こっちで食う」
『こっちって、どこ』
「図書館」
『図書館!?』
◇
結果から言うと、母さんが来た。
夜の八時、図書館の通用口に、鍋を持って。
「――なんで場所わかったんだよ」
「あんたの上司さんに聞いたの」
「支部長!?」
「白羽さんよ」
「――ヰナ!!」
通用口の脇で、ヰナが背筋を伸ばしていた。
「お母様が、大変ご心配でしたので」
「あんた、規則は」
「家族への情報開示は、様式第十四号で認められています」
「様式!!」
◇
地下五階の閲覧室で、年越しそばを食った。
俺と、ヰナと、母さんと、ユメと、イチ。
――五人だ。
「あら、この子」
母さんが、イチを見た。
一拍。
二拍。
三拍。
――四拍目に、「あら」と言った。
「――お名前は?」
「……」
イチは、答えられなかった。
「イチだ」
俺が、答えた。
「イチくん。……あら、いい名前ね」
母さんは、そう言って、そばを一番大きい器によそった。
「はい、たくさん食べなさい」
「――多いって」
「多くない!」
「多いだろ! 見ろよ、この量!」
「育ち盛りは食べるの!」
イチが、その器を、両手で受け取った。
そして、固まった。
「……いいの?」
「いいのよ」
「ぼく、しらないこだよ」
「知ってるわよ」
母さんは、あっさり言った。
「イチくんでしょ」
◇
イチは、そばを食った。
三十分かけて、一本ずつ、大事に。
途中で、二回、こぼした。
二回とも、母さんが拭いた。
――誰も、何も言わなかった。
ユメが、テレビの話をした。ヰナが、様式の話をした。母さんが、俺の子供の頃の話をした。イチが、聞いていた。
地下五階の、背表紙の壁に囲まれて。
万を超える、落とされた記憶に囲まれて。
――普通の、大晦日だった。
◇
十二時前、俺は屋上に上がった。
図書館の屋上。三年間、閉鎖されていた建物の上。
街が、見えた。
――イルミネーションと、初詣に向かう人の流れと、遠くの花火。
「――灰島さん」
ヰナが、上がってきた。
「はい、と言え」
「はい」
「言えって言ってねえよ」
俺は、笑った。
この会話を、三か月で、五回はやっている。
「――一年、終わりますね」
「ああ」
「今年、何がありましたか」
「――全部だろ」
俺は、フェンスに寄りかかった。
「八月に喰われて、三年経って、九月にあんたに見つけてもらって」
俺は、指を折った。
「十月に灯守に入って、十一月に七位を喰って、家族に思い出してもらって」
俺は、下を見た。
地下五階に、灯りがついている。
「十二月に、イチに会った」
◇
「――ヰナ」
「はい」
「一つ、聞いていいか」
「はい」
「あんた、なんで俺を推薦した」
彼女は、少し黙った。
「――言っていませんでしたか」
「聞いてねえ」
「そうですか」
彼女は、フェンスの向こうを見た。
「――九月十四日に、私は、あなたを見つけました」
「ああ」
「駅前の交差点でした」
彼女は、続けた。
「そして、その二日後、私は本部に報告書を出しました。『存在値ゼロの生存者を確認』と」
「――で?」
「――『観測誤差』として、処理されました」
俺は、顔を上げた。
「本部は、信じなかったのですか」
「信じませんでした」
彼女は、あっさり言った。
「八十年、そんな事例はありませんでしたから」
◇
「――だから、推薦状を出したんです」
彼女は、言った。
「観測記録は、誤差として消せます。ですが、**推薦状は消せません**」
彼女は、俺を見た。
「推薦者の名前が入るからです」
俺は、その意味を、理解するのに、少しかかった。
「――あんたの、名前」
「はい」
彼女は、頷いた。
「白羽ヰナが、灰島トワを推薦した。……この一行があれば、灰島トワは、灯守の記録から消せません」
彼女の声は、いつも通り、淡々としていた。
「私が消えない限り」
◇
街で、花火が上がった。
年が、変わった。
「――ヰナ」
「はい」
「あけましておめでとう」
「――あけまして、おめでとうございます」
彼女は、深く頭を下げた。
「――今年も、あなたを記録します」
「かたい挨拶だな」
「はい」
彼女は、そこで、少しだけ笑った。
この女が笑うのを見るのは――もう、数えるのをやめた。




