第54話 ユメの夢
年末は、忙しかった。
支部の仕事納めがあって、地下書庫の整理があって、記録票を三十件書いた。
そして、家では、母さんが本気だった。
「トワ、明日、大掃除だから」
「俺、仕事」
「休みなさい」
「討伐者に年末年始はねえんだよ」
「あるでしょ! 蒐だって正月くらい休むわよ!」
「休まねえよ!」
――実際、休まない。
年末年始は、人の記憶が濃く集まる時期だ。灯守は、一年で一番忙しい。
でも、俺は、大掃除に参加した。
三年ぶりだったからだ。
◇
窓を拭きながら、ユメが言った。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ」
「わたし、お兄ちゃんが消えてた三年間さ」
あいつは、雑巾を絞りながら、続けた。
「時々、夢に出てきたんだよね」
俺の手が、止まった。
「夢?」
「うん」
ユメは、窓の外を見た。
「知らない男の子の夢。……顔は、はっきりしないんだけど」
彼女は、少し笑った。
「その人、いつも、うちの階段の上に座ってるの」
◇
――階段の上。
俺は、三年間、あそこに座っていた。
夕飯の時間に、物置部屋を出て、階段の上に座って、下の物音を聞いていた。
母さんが炒め物をする音。テレビの音。ユメが「お母さん、醤油」と言う声。
――毎日、そうしていた。
「……いつから」
「え?」
「その夢、いつから見てた」
「うーん、いつだろ」
ユメは、指を折った。
「二年前くらいかな。……最初は月に一回とかだったけど、去年の秋くらいから、けっこう毎週見るようになって」
――去年の秋。
俺の存在値は、その頃、まだ〇・〇だったはずだ。
いや。
――違うかもしれない。
俺は、あの頃から、ノートを書き始めた。
誰にも読まれないノートを、毎日。
◇
「――夢の中で、俺、何かしてたか」
「してない」
ユメは、あっさり言った。
「ずっと座ってるだけ。……一回も、降りてこないの」
彼女は、雑巾を桶に落とした。
「わたし、それが、なんかすごい嫌だった」
「……嫌?」
「うん」
あいつは、俺を見た。
「なんで降りてこないの、って、夢の中でずっと思ってた」
俺は、言葉に詰まった。
「――で、目が覚めると、忘れてるの。誰の夢だったかも、なんで嫌だったかも」
彼女は、笑った。
「今、思い出した」
◇
俺は、雑巾を持ったまま、しゃがみ込んだ。
「――トワ?」
母さんが、廊下から顔を出した。
「なんでもない」
「なんでもなくないでしょ、その顔」
「――窓、拭いてるだけだ」
「しゃがんで窓は拭けないわよ」
母さんは、俺の隣にしゃがんだ。
そして、俺の背中を、一回だけ叩いた。
「――降りてくればよかったのに」
彼女は、そう言った。
「え?」
「三年間、あんた、階段の上にいたんでしょ」
俺は、顔を上げた。
「――なんで」
「なんとなくよ」
母さんは、立ち上がった。
「なんとなく、四枚目のお皿を出したのと、同じ」
◇
その夜、俺は屋根の上に上がった。
自分の部屋の窓から、三年ぶりに。
十二月の空は、澄んでいた。星が出ていた。
――俺は、三年間、降りなかった。
降りても意味がないと思っていた。誰も見ないし、誰も気づかないから。
でも。
母さんは、四枚目の皿を出した。
ユメは、階段の上の男の子を、夢に見た。
――誰も、俺を忘れていなかった。
覚えていられなかっただけだ。
◇
携帯が、鳴った。
ヰナだった。
『――灰島さん。今、大丈夫ですか』
「屋根の上にいる」
『屋根?』
「気にすんな。どうした」
少しの間があった。
『――図書館の記録票が、一枚、なくなっています』
俺は、体を起こした。
「――なんだって」
『今日、定期確認に行きました。……四十七枚置いたはずが、四十六枚でした』
「風で飛んだとか」
『地下五階です。風は吹きません』
彼女の声が、少し、震えていた。
『――そして、机の上に、一枚、置いてありました』
「置いてあった?」
『はい』
彼女は、言った。
『――白紙です。ただし、端に、鉛筆で一行だけ』
俺は、屋根の上で、立ち上がった。
「――なんて書いてある」
◇
『『――だれ?』』




