第52話 もう一人のゼロ
十二月の中頃、支部に、本部から通達が来た。
佐倉さんが、それを読んで、顔をしかめた。
「――西の第三支部で、観測異常だとよ」
「異常?」
「存在値ゼロの反応が、一つ」
俺は、書きかけの記録票から、顔を上げた。
「……喰われた奴が出たってことか」
「それが、妙でな」
佐倉さんは、通達を机に置いた。
「反応が、動いてるらしい」
◇
九条支部長は、その通達を、無表情で読んでいた。
「――支部長」
「なんだ」
「これ、俺と同じですよね」
「そうだな」
彼女は、あっさり認めた。
「存在値ゼロで、動いている。……つまり、生きている」
「じゃあ」
「二人目だ」
彼女は、通達を畳んだ。
「八十年で、二例目」
◇
「行きましょう」
ヰナが、即座に言った。
「行かん」
「なぜですか! その人は、今、誰にも認識されずに――」
「白羽」
支部長の声が、鋭くなった。
「西の第三支部は、四百キロ先だ」
「新幹線で二時間です」
「そして、この通達は、**三か月前の観測記録**だ」
ヰナの動きが、止まった。
「――三か月」
「本部から回ってくるのに、それだけかかった」
支部長は、机を叩いた。
「三か月前に観測された存在値ゼロが、今もそこにいると思うか」
◇
俺は、その通達を、横から見た。
観測日:九月十四日。
観測地点:西部第三支部管内、山間部。
備考:『反応は移動中。追跡不能。第三支部は追跡を断念』
――断念。
俺は、その二文字を、指でなぞった。
「支部長」
「なんだ」
「第三支部は、なんで断念したんですか」
「観測手段がないからだ」
彼女は、俺を見た。
「灯守で、存在値ゼロを視認できるのは、白羽ヰナ一人だ」
――ああ。
三年前、俺を見つけたのも、この女だった。
偶然、この街に、この体質の人間が一人いた。
それだけの偶然で、俺は拾われた。
「……その人は」
俺は、言った。
「三か月、誰にも見つけてもらえてない」
◇
その夜、俺は屋上にいた。
支部の雑居ビルの屋上。給水塔と、室外機と、洗濯物を干す物干し竿しかない場所。
「――灰島さん」
ヰナが、上がってきた。
「はい、と言え」
「はい」
「言えって言ってねえよ」
俺は、フェンスに寄りかかった。
「――考えてた」
「何をですか」
「三年前の、俺のことだ」
俺は、街を見下ろした。
「駅前の交差点で、あんたに見つけてもらうまで、俺、二年八か月あったんだ」
「はい」
「その二年八か月、俺は、どうしてたと思う?」
ヰナは、答えなかった。
「――ずっと、誰かに見つけてもらうのを待ってた」
俺は、笑った。
「毎日、人の多い場所に行ってた。駅前、商店街、学校の前。……誰か一人くらい、俺に気づく奴がいるんじゃないかって」
俺は、拳を握った。
「二年八か月、一人もいなかった」
◇
「――だから、行きたいのですか」
「行きたい」
俺は、即答した。
「でも、支部長の言う通りだ。三か月前の記録じゃ、追えない」
「……はい」
「――だから、別の手を考えた」
俺は、ヰナを見た。
「なんですか」
「――向こうから、来てもらう」
◇
俺は、翌日、支部長に提案した。
「――記録を、公開したいです」
「公開?」
「地下書庫の、補完記録票です」
俺は、書類の束を机に置いた。
「今、四十七件書きました。全部、消えた人の記録です」
「そうだな」
「――これを、灯守の外に出したいです」
九条支部長の眉が、動いた。
「灯守は、存在しない組織だ」
「はい」
「存在しない組織の記録を、外に出せば、灯守は存在することになる」
「はい」
「わかっていて言っているのか」
「はい」
俺は、頷いた。
「――でも、存在値ゼロの人間は、灯守の記録を読めません」
◇
部屋が、静かになった。
「灯守の書庫は、支部の地下です。職員証がないと入れません」
俺は、言った。
「存在値ゼロの人間は、職員証をもらえません。名前が印字できないからです」
俺は、自分の職員証を出した。
三週間前、存在値八・〇になって、初めて印字が通ったやつを。
「――俺は、もらえました。でも、三年前の俺は、もらえなかった」
俺は、支部長を見た。
「三年前の俺が読めるところに、置いてほしいんです」
「――どこにだ」
「――誰でも読める場所です」




