第50話 受け取らない家
十二月、俺は「配達」を始めた。
地下書庫で書いた記録を、遺族に届ける。
ヰナが住所を調べて、俺が持っていく。
――結果から言うと、ほとんど、受け取ってもらえなかった。
◇
最初の家は、昭和五十八年の被害者の家だった。
インターホンを押すと、六十代くらいの女性が出てきた。
「――どちら様?」
「あの、こういうものです」
俺は、灯守の職員証を見せた。公的な効力は一切ないやつだ。
「四十年前に、こちらのお宅で」
「うちは、そういうの、間に合ってます」
ドアが、閉まった。
◇
二軒目。
「――お兄さんのこと、なんですけど」
「兄?」
その人は、心底、不思議そうな顔をした。
「うち、一人っ子ですけど」
――そうだった。
喰われた人間は、家族の記憶からも消える。
この人には、兄がいなかったことになっている。
「……失礼しました」
◇
三軒目。四軒目。五軒目。
同じだった。
誰も、その人を覚えていない。
覚えていない相手のことを、見知らぬ高校生が「こういう人でした」と書いた紙を持ってくる。
――怪しいに決まっている。
「――灰島さん」
六軒目の帰り道、ヰナが言った。
「今日は、ここまでにしましょう」
「まだ回れる」
「顔が、ひどいです」
「……そうか」
俺は、公園のベンチに座った。
十二月の夕方は、寒かった。
◇
「……無意味かもな」
俺は、そう言った。
「灰島さん」
「わかってたんだよ、最初から」
俺は、鞄の中の書類を見た。
「返す相手がいないって、俺が一番わかってた。……なのに、書いた」
俺は、笑った。
「あれ、たぶん、俺のためだったんだ」
「――どういう意味ですか」
「三年間、誰にも思い出してもらえなかったのが、しんどかったから」
俺は、膝に肘をついた。
「同じ目に遭った奴が、他にも二百三十六人いるって知って。……そいつらを、誰かが覚えてないと、俺が耐えられなかっただけだ」
◇
ヰナは、しばらく黙っていた。
それから、俺の隣に座った。
「――それの、何が悪いのですか」
「え?」
「自分のために書いた。……それの、何が悪いのですか」
彼女は、前を向いていた。
「私が、あなたの記録をつけているのも、私のためです」
「――は?」
「あなたが消えた時に、私が耐えられないからです」
彼女は、あっさり言った。
「他人のためだけにやっている人間を、私は信用しません。……途中でやめるからです」
彼女は、俺を見た。
「自分のためにやっている人間は、やめません」
◇
俺は、その言葉を、しばらく考えていた。
「……ヰナ」
「はい」
「あんた、たまに、めちゃくちゃなこと言うな」
「事実を述べています」
「事実か、それ」
「はい」
彼女は、真顔で頷いた。
俺は、笑った。
笑ってから、立ち上がった。
「――もう一軒、行く」
「顔がひどいです」
「知ってる」
俺は、鞄を持ち上げた。
「七軒目だ」
◇
七軒目は、平成元年の被害者の家だった。
被害者の名前は、二宮タカシ。十六歳。
――二宮。
俺は、その名字を見て、少し引っかかった。
インターホンを押した。
出てきたのは、五十代くらいの女性だった。
「はい?」
「あの、突然すみません。……こちら、二宮さんのお宅ですか」
「そうですけど」
「――三十七年前に、こちらで」
言いかけて、俺は、止まった。
その人の後ろの廊下に、写真が飾ってあった。
家族写真だ。
父親と、母親と、息子が一人。
――息子の顔を、俺は知っている。
二宮ケイタ。俺の中学の同級生で、先月、一年分の受験勉強を返した相手だ。
◇
「――あの」
俺は、聞いた。
「息子さん、ケイタくんですよね」
「ええ。……あら、ケイタのお友達?」
「はい」
俺は、頷いた。
それから、言葉に詰まった。
――この人は、三十七年前に、兄を喰われている。
二宮タカシ。この人の、兄。
覚えていない。
「あの、変なことを聞くんですけど」
俺は、鞄から紙を出した。
「――『タカシ』って名前に、心当たりありますか」
◇
その人の動きが、止まった。
三秒。
五秒。
「……たかし」
彼女は、その名前を、口の中で転がした。
「たかし。……なんで」
彼女の手が、ドアの縁を掴んだ。
「なんで、その名前」
「――ご存じですか」
「知らないわ。知らないけど」
彼女は、そこで、顔を歪めた。
「――なんで、泣いてるんだろ、わたし」




