第47話 戸籍の穴
翌朝、問題が起きた。
母さんが、俺の学生証を探し始めたのだ。
「トワ、あんたの高校、どこだったっけ」
「――ないよ」
「ない?」
「三年前に、消えた」
俺は、味噌汁をすすった。
「学校の名簿から。……たぶん、途中で退学扱いにもなってない。最初からいなかったことになってる」
母さんの箸が、止まった。
「……それ、どうなるの」
「わかんね」
◇
支部で、ヰナに聞いた。
「――戸籍は、どうなってるんだ」
「調べました」
彼女は、書類を出した。
『灰島家 戸籍謄本 写』
俺は、それを見た。
筆頭者、灰島ゲンイチロウ。妻、サチ。長女、ユメ。
――以上。
「長男の欄が、ない」
「ありません」
ヰナは、頷いた。
「戸籍は、紙の記録です。……ですが、蒐に喰われた場合、紙も書き換わります」
「――物理的にか?」
「はい」
彼女は、別の資料を出した。
「灯守の八十年の記録で、確認されています。存在値がゼロになった人間は、印刷物からも、データからも消えます。……インクが、勝手に薄れます」
「じゃあ、俺は」
「――法律上、存在していません」
◇
俺は、椅子にもたれた。
「……住民票は」
「ありません」
「保険証」
「ありません」
「じゃあ、俺、病院行けないのか」
「行けません」
「――やべえな」
「やばいです」
ヰナは、真顔で言った。
「ですが、対策があります」
「あるのか!?」
「灯守は、存在しない組織です」
彼女は、そう言った。
「存在しない組織は、存在しない人間を、雇えます」
◇
「――というわけで、これだ」
九条支部長が、机の上にカードを放った。
顔写真つきの、身分証だった。
『灯守 第七支部 討伐者見習い 灰島トワ』
「……なんですか、これ」
「灯守の職員証だ」
支部長は、コーヒーを飲んだ。
「公的な効力は一切ない。だが、灯守と提携している病院と、提携している学校では使える」
「学校!?」
「本部直轄の高校がある」
彼女は、あっさり言った。
「討伐者の子弟や、事情のある人間を入れる学校だ。……君は、事情のある人間の代表みたいなものだからな」
俺は、そのカードを、しばらく見ていた。
――名前が、印字されていた。
ホワイトボードの油性ペンじゃない。
――印字だ。
「……印刷、通ったんですか」
「通った」
支部長は、俺を見た。
「三十七回失敗したそうだな。白羽から聞いた」
「……はい」
「今日は、一回で通った」
彼女は、少しだけ、笑った。
「存在値八・〇だ。……もう、消えない」
◇
俺は、そのカードを、両手で持っていた。
薄いプラスチックのカード。
顔写真は、支部で撮った。ヰナが「もっと笑ってください」と言って、三回撮り直した。
――俺の名前が、印字してある。
三年間、俺の名前が印字された紙は、この世に一枚もなかった。
「……支部長」
「なんだ」
「――ありがとうございます」
「礼はいい」
彼女は、手を振った。
「その代わり、働け」
「はい」
「あと」
彼女は、俺を見た。
「――君の家族の記憶を返した件、報告書に書いてないな」
俺は、固まった。
「あ」
「様式に則って書け。四枚だ」
「――四枚!?」
「白羽が指導する」
部屋の隅で、ヰナが背筋を伸ばした。
「はい」
「容赦するな」
「はい」
「――勘弁してくれ!!」
◇
その日の夜、俺は自分の部屋にいた。
物置部屋ではなかった。
母さんが、一日で片付けた。段ボールを全部、押し入れに突っ込んで、ベッドを窓際に移して、カーテンを買ってきた。
三年ぶりに、そこは「トワの部屋」になった。
机の上に、七冊目のノートを置いた。
新しいページを開いて、俺は、書いた。
『十一月十日 家に帰った』
書いてから、少し考えて、もう一行足した。
『存在値 八・〇』
そして、その下に。
俺は、初めて、こう書いた。
『――灰島トワは、家族三人に、思い出してもらった』
ヰナの真似だった。




