第46話 ただいま
俺は、玄関のチャイムを押した。
三年ぶりに。
出てきたのは、ユメだった。
「はーい。……あ、こないだの人」
――こないだの人。
覚えている。
二日前、母さんの友達ということになった俺を、ユメは覚えていた。
存在値八・〇。
――一拍あれば、認識される。
「ユメ、いる?」
「わたしですけど」
「――そうだった」
俺は、笑った。
「悪い。……握手、いいか」
「え? なんで?」
「変な人だと思われてもいい。……一回だけ」
ユメは、怪訝な顔をした。
それから、この妹らしく、こう言った。
「――怪しいけど、まあいいや」
あいつは、手を出した。
◇
俺は、その手を握った。
小さい手だった。
三年前より、大きくなっていた。
――押し出した。
◇
ユメの目が、見開かれた。
「――え」
彼女は、俺の手を握ったまま、固まった。
「え。え、え、え」
目が、みるみる潤んだ。
「――お兄ちゃん?」
俺は、答えられなかった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんだ、なんで、なんで」
彼女は、俺の手を、両手で掴んだ。
「なんで、忘れてたの、わたし」
◇
母さんが、廊下の奥から出てきた。
「ユメ? どうしたの、玄関で」
俺は、その人を見た。
三年間、俺を「知らない誰か」として見てきた人。
俺の部屋を物置にして、俺の写真を捨てて、俺の茶碗が割れても何も思わなかった人。
――四枚目の皿を、出し続けた人。
「――お母さん」
ユメが、泣きながら言った。
「お母さん、この人」
母さんが、俺を見た。
一拍。
「――あら」
その顔が、止まった。
「……あら?」
母さんは、俺の顔を、じっと見た。
俺は、動けなかった。
――まだ、返していない。
母さんの分は、まだ、俺の中にある。
なのに。
「……あなた」
母さんの手が、震え始めた。
「あなた、なんで」
彼女は、廊下の壁に手をついた。
「なんで、四枚目の、お皿の」
――ああ。
俺は、その時、わかった。
九条支部長の想像は、当たっていた。
三年間。
この人は、ずっと、四枚目の皿を出していたのだ。
◇
俺は、玄関に立ったまま、右手を差し出した。
「――お母さん」
母さんは、その手を見た。
それから、こちらへ、一歩、歩いてきた。
二歩。
三歩。
俺の手を、握った。
◇
押し出す必要は、なかった。
握った瞬間に、勝手に、流れた。
――三年ぶんの空白に、水が入るみたいに。
「――トワ」
母さんが、言った。
「トワ」
二回目は、確かめる声だった。
「トワ! トワ、トワ、あんた、どこ行ってたの!!」
彼女は、俺の腕を掴んで、揺さぶった。
「三年! 三年よ! なんで、なんでお母さん、あんたのこと」
彼女は、そこで、崩れた。
玄関の三和土に、しゃがみ込んで。
「――ごめん、ごめんね、トワ」
俺は、その前に、膝をついた。
「ごめんね、お母さん、あんたのこと、忘れて」
「――忘れてない」
俺は、言った。
「皿、出してただろ」
母さんの肩が、跳ねた。
「四枚。……三年間、ずっと」
俺は、その肩に、手を置いた。
「忘れてないよ」
◇
俺は、玄関で、三年ぶりに、この言葉を言った。
「――ただいま」
母さんは、顔を上げた。
泣きながら、笑って、それから、言った。
「――おかえり」
◇
その夜、灰島家の食卓には、四人分の食器が並んだ。
父さんは、まだ帰っていなかった。だから三人だった。
でも、皿は四枚出ていた。
――いつも通り。
「トワ、これ食べなさい」
「多いって」
「食べなさい! 三年ぶんよ!」
「三年ぶんは無理だろ」
「うるさい!」
ユメが、俺の隣で、まだ泣いていた。
泣きながら、俺のプリンを勝手に食っていた。
「――おい」
「いいでしょ、三年ぶんだから」
「理屈がおかしい」
◇
窓の外に、白羽ヰナが立っていた。
電柱のところで、こっちを見ていた。
俺が手を振ると、彼女は、深く、頭を下げた。
それから――背筋を伸ばして、帰っていった。




