第45話 三人分の判断
九条支部長は、俺の報告書を、三度読んだ。
三度目を読み終わって、彼女はペンを置いた。
「――十七件、全件返却成功。存在値、十一・四から八・〇へ減少」
「はい」
「灰島くん。君は、これを『成功』と書いているな」
「成功です」
「君の存在値は、三・四減った」
彼女は、書類を指した。
「これは、灯守の書式では『損耗』と書く」
「――俺は、成功だと思ってます」
「知っている」
支部長は、椅子にもたれた。
「だから、書式を変えることにした」
「――は?」
「本部に上申する」
彼女は、机の上の別の書類を持ち上げた。
『存在値運用に関する項目追加申請 第七支部』
「存在値の減少には、二種類ある。喰われて減るのと、**渡して減る**のと」
彼女は、俺を見た。
「八十年、灯守はそれを区別してこなかった。……区別する必要が、なかったからだ」
彼女は、書類を置いた。
「渡せる人間が、いなかったからな」
◇
「――支部長」
「なんだ」
「一つ、相談があります」
俺は、机の前に立った。
「家族の分が、残ってます」
部屋が、静かになった。
「母と、妹と、父の、俺に関する記憶です」
俺は、言った。
「返すかどうか、決めきれてません」
九条支部長は、しばらく黙っていた。
それから、コーヒーに手を伸ばした。冷めているやつだ。
「――理由を聞こう」
「返したら、三人は、俺を思い出します」
「そうだな」
「三年間、いなかった人間が、いきなり戻ってくる」
俺は、手を握った。
「母さんは、たぶん、混乱します。俺の部屋を物置にして、俺の写真を『誰だろう』って言いながら捨てて、俺の茶碗を割った時に何も思わなかった人が」
俺は、そこで、言葉に詰まった。
「――全部、思い出すってことです」
◇
九条支部長は、コーヒーを一口飲んだ。
「灰島くん。私は、母親をやったことがない」
彼女は、言った。
「だから、想像で言う。……聞き流していい」
「はい」
「君の母親は、三年間、四人分の皿を出し続けた可能性がある」
俺は、顔を上げた。
「今日は出した。先週は出したか。三年前は?」
彼女は、机を指で叩いた。
「記憶がなくても、体は覚える。……三年間、あの家では、時々、四枚目の皿が出ていたんじゃないか」
「――それは」
「私の想像だ。証拠はない」
彼女は、書類を畳んだ。
「ただ、一つだけ言える。……君の母親は、三年間、理由のわからない違和感と一緒に生きてきた」
支部長は、俺を見た。
「返せば、その違和感に、名前がつく」
◇
その夜、俺は家の前に立っていた。
二階に、灯りがついていた。
ユメの部屋だ。
俺は、ノートを開いた。
三つの名前が、書いてある。
――返すか。
返さないか。
「――灰島さん」
背後で、声がした。
ヰナだった。
「なんだよ、また待ってたのか」
「はい」
「言えって」
「言うと、断られると思いました」
彼女は、俺の隣に並んだ。
「決めましたか」
「決めてない」
「そうですか」
彼女は、それ以上、何も言わなかった。
二人で、しばらく、家の灯りを見ていた。
◇
「――ヰナ」
「はい」
「あんただったら、どうする」
彼女は、少し考えた。
「私だったら、返します」
「即答じゃねえか」
「考えました。三秒」
「短え」
「――理由は、二つあります」
彼女は、指を立てた。
「一つ。あなたは、返せる立場にいます。返せる人間が、返さない理由を、私は知りません」
「相手の混乱は」
「二つ目です」
彼女は、二本目の指を立てた。
「――混乱するのは、思い出した人の権利です」
俺は、彼女を見た。
「あなたが、代わりに決めることではありません」
◇
俺は、家の灯りを見上げた。
二階の窓に、ユメの影が動いていた。
――三年間。
俺は、あいつの兄をやっていない。
あいつは、一人っ子として三年生きた。
「……ヰナ」
「はい」
「怖えな」
「はい」
「思い出してもらいたくて、ずっと喰ってきたのに」
俺は、笑った。
「いざ返せるってなったら、怖え」
ヰナは、答えなかった。
答えないまま、俺の隣に立っていた。
やがて、彼女は、こう言った。
「――灰島さん。一つだけ、確認させてください」
「なんだ」
「三年前の八月十一日。あなたは、家を出る時、なんと言いましたか」
俺は、記憶を探った。
――七位から返ってきた、母さんの記憶の中にある。
「……『明日、遊びに行ってくる』」
「はい」
ヰナは、俺を見た。
「――まだ、帰っていませんね」




