第38話 閉鎖中
市立中央図書館は、三年前から閉まっている。
耐震工事のため、というのが理由だった。工事は、一度も始まっていない。
朝六時の正面玄関は、鎖と南京錠で塞がれていた。ガラス越しに、暗いロビーが見えた。返却ポストに、ガムテープが貼ってある。
「――裏に、職員通用口があります」
ヰナが、地図を畳んだ。
「よく知ってるな」
「昨夜、下見しました」
「寝てないのか」
「三時間寝ました」
「短くね?」
「充分です」
この女は、たまに、俺よりよっぽど無茶をする。
◇
通用口の鍵は、壊れていた。
というより――**内側から、押し開けられていた**。
ドアが、蝶番ごと歪んでいた。金属が、内側から外に向かって、めくれていた。
「……何かが、出てきたのか」
「あるいは、何かが、出入りしている」
ヰナが、腰の鞘に手を置いた。
彼女の武器は、短刀だ。灯守の支給品で、刃に「灯」の字が彫ってある。
「灰島さん。存在感知を」
「やる」
俺は、目を閉じた。
――影渡り。
八位を喰って手に入れた力だ。自分の影を、周囲の影と繋げる。繋げた先の気配が、なんとなくわかる。
図書館の中の影に、意識を伸ばした。
◇
――広い。
外から見た建物の、三倍はある。
中の空間が、物理的におかしい。二階建てのはずが、影を伝っていくと、下へ下へと続いている。
地下三階。四階。五階。
まだ、下がある。
「……ヰナ」
「はい」
「この建物、地下何階まである」
「一階です」
「――嘘だろ」
「設計図で確認しました。地下一階、書庫のみ」
俺は、目を開けた。
「――五階まであった。まだ下があった」
ヰナの顔が、強張った。
「……巣です」
「巣?」
「上位の蒐は、自分の周りの空間を『膨らませ』ます」
彼女は、短刀を抜いた。
「収穫したものを、置いておく場所が要るからです」
◇
中に入った。
ロビーは、埃だらけだった。
カウンターに、返却された本が積まれたまま、三年放置されている。掲示板に、三年前のイベントのポスターが貼ってある。
『夏休み こどもよみきかせ会』
日付は、三年前の八月。
――三年前。
俺が、喰われた年だ。
「灰島さん」
「わかってる」
俺は、掲示板から目を離した。
偶然かもしれない。三年前に閉鎖された建物なんて、この街にいくらでもある。
――でも。
「――ヰナ。一つ聞いていいか」
「はい」
「俺が喰われたのって、三年前の、何月だ」
「八月です」
彼女は、即答した。
「八月十一日。……あなたが、私に最初に言った日付です」
◇
地下への階段は、書庫の奥にあった。
地下一階までは、普通の階段だった。
そこから先が、違った。
――階段が、続いていた。
設計図にはないはずの、下へ続く階段が、暗闇の中へ落ちていた。
壁は、コンクリートじゃなかった。
――本だった。
背表紙が、壁一面に、びっしりと。積んであるんじゃない。壁そのものが、本でできている。
俺は、一冊に触れようとして、手を止めた。
背表紙に、字が書いてあった。
『沢井ミチル』
◇
「……ヰナ」
「はい」
「本に、名前が書いてある」
俺は、隣の一冊を見た。
『二宮ケイタ』
その隣。
『佐々木ハルヒコ』
被害者名簿の、十七人。
全員の名前が、この壁にあった。
「――これが」
ヰナの声が、掠れた。
「抜かれた、記憶」
俺は、『沢井ミチル』の背表紙に、手を伸ばした。
抜けた。
驚くほど簡単に、壁から一冊、抜けた。
俺は、それを開いた。
◇
中は、白紙ではなかった。
文字でも、なかった。
――朝だった。
ページを開いた瞬間、俺は、朝の五時の匂いを嗅いだ。
まだ暗い部屋。目覚ましの音。冷たい床。ジャージ。玄関。息が白い。走り出す。足の裏がアスファルトを叩く。心臓が、じわじわ上がっていく。
――三年間、毎朝。
俺は、本を閉じた。
膝が、震えていた。
「……ヰナ」
「はい」
「これ、返せるのか」
彼女は、答えなかった。
答えないまま、階段の下を見た。
暗闇の底から、音が聞こえてきた。
――ぱさり。
ページを、めくる音だった。




