第31話 存在値三・一
灯守第七支部は、駅から三十分歩いた郊外にある。
古い研究施設みたいな建物で、門の脇の看板には『広域災害調査機構 第七地区事務所』とだけ書いてある。
「……この看板、嘘だよな」
「嘘ではありません。災害の調査はしています」
ヰナが、通用口の鍵を開けながら答えた。
「存在喰いは、災害です」
「灯守って名前は、どこにも出さないのか」
「出せません。灯守は、存在しない組織ですので」
「存在しない組織に就職したのか、俺」
「見習いです。就職ではありません」
「給料は」
「出ます」
「出るのか!?」
ヰナが、真顔で頷いた。
「見習いは月額八万円です」
「安っ」
「危険手当を含めると十二万です」
「危険手当が四万!?」
◇
支部の中は、思ったより普通だった。
事務机が六つ。ホワイトボード。給湯室。壁に「安全第一」のポスター。
違うのは、壁の一面が、全部、数字だったことだ。
――巨大なボードに、名前と数値が並んでいる。
『白羽ヰナ 98.2』
『九条シキ 97.6』
『佐倉 99.1』
『梶 98.8』
そして、一番下に、手書きで足された一行。
『灰島トワ 3.1』
「……なんだこれ」
「存在値です」
ヰナが、ボードの前に立った。
「その人が、この世界にどれだけ『存在しているか』を数値化したものです。一般人は百を基準とします」
「なんで九十八なんだよ、あんた」
「討伐者は、蒐に触れるたびに、わずかに削れます」
彼女は、あっさり言った。
「百のまま定年を迎える討伐者は、いません」
俺は、ボードの一番下を見た。
三・一。
一般人の、三十分の一。
「……俺、三週間前は」
「〇・〇でした」
ヰナは、俺を見た。
「私が観測を始めた時、あなたの数値は測定不能でした。ゼロですらなく、そもそも欄がなかった」
彼女は、ボードの下部を指した。
「この行は、私が三週間前に、油性ペンで書き足したものです」
◇
――手書きだ。
他の行は、印字されている。プリンタで出したシールが貼ってある。
俺の行だけ、油性ペンだった。
字は、綺麗だった。定規で線を引いて、まっすぐに書いてある。
「……なんで、手書きなんだ」
「印字システムに、あなたの名前が通らなかったからです」
ヰナは、淡々と言った。
「入力しても、確定を押した瞬間に、消えます。三十七回試しました」
「三十七回」
「はい」
「……そのあとどうした」
「油性ペンを買いに行きました」
俺は、その行を、しばらく見ていた。
三十七回、消える名前を打ち込んだ女がいて、三十八回目にペンを買いに行った。
「――ヰナ」
「はい」
「ありがとな」
彼女の背中が、跳ねた。
「……業務です」
「業務でペン買いに行くか、普通」
「行きます」
「行かねえよ」
◇
その日、俺は支部の職員に紹介された。
全部で五人。佐倉さんという四十代の男と、梶さんという三十代の女と、あと三人。
「――こいつが、新入りの灰島トワです」
ヰナが、そう言った。
五人が、俺を見た。
――一拍、あった。
全員の目が、俺を通り過ぎて、それから、戻ってきた。
「……ああ」
佐倉さんが、頷いた。
「例の。白羽が推薦したっていう」
「はい」
「よろしくな、灰島くん」
彼は、手を差し出した。
俺は、その手を握った。
――握れた。
この人は、俺を認識している。一拍かかったが、認識している。
三週間前まで、こんなことはなかった。
三週間前の俺は、人混みの中で、誰にもぶつかられなかった。避けられていたんじゃない。存在していなかったから、そもそも通り抜けられていた。
「……よろしくお願いします」
声が、少し変になった。
佐倉さんは、それに気づかないふりをして、笑った。
「白羽の指導、厳しいだろ」
「厳しいです」
「灰島さん」
「事実だろ」
「事実ですが、上司の前で言うことではありません」
「上司なのか、あんた」
「教育担当です」
支部の中で、笑いが起きた。
――笑いが、起きた。
俺のいる場所で、笑いが起きたのは、三週間ぶりだった。
いや。
――三年ぶりだった。




