第28話 両方の意地
「そっか」
顔のない少年は、そう言って、少しだけ肩を落とした。
「じゃあ、一個だけ、頼んでいい?」
「言えよ」
「僕のこと、〇四九でいいから」
そいつは言った。
「ちゃんと、書いといて」
◇
俺が頷こうとした、その時だった。
空気が、鳴った。
◇
高い音だった。
耳じゃなくて、骨の内側で鳴るような。
ヰナの端末が、警報を上げた。今度は割れた音じゃない。もっと低い、地鳴りみたいな音。
「――上です!」
彼女が叫んだ。
立体駐車場の屋上。
そこに、影があった。
外套のような影を纏った、人型のシルエット。
八位を喰った夜、駅ビルの屋上から俺たちを見下ろしていた、あの影。
七位。
◇
そいつは、何も言わなかった。
ただ、片手を、こちらに向けて――握った。
◇
「――あ」
顔のない少年の体が、跳ねた。
跳ねて、ねじれて、内側から膨らんだ。
「あ、あ、いや、いやだ、これ、いやだ」
そいつの声が、悲鳴になった。
「やめて、まだ、僕、まだ話が」
◇
俺は、走った。
届かなかった。
少年の体が破裂して、そこから、さっき剥がれ落ちたはずの「部品」が、逆再生みたいに戻っていった。
落ちて灰になったものが、床から巻き戻って、そいつの中に押し込まれる。
三百二十七人が、無理やり詰め直されていく。
もう、人型ですらなかった。
肉と口と目の塊が、駐車場の三階を埋め尽くすほどに膨れ上がって、天井を突き破った。
◇
「観測値、七位相当まで上昇! ……いえ、これは」
ヰナの声が、裏返った。
「本体じゃありません! 遠隔で、無理やり位階を引き上げられています! ――このままだと、あの子の存在が、器として壊れます!」
俺は、屋上の影を見上げた。
七位は、まだ、何も言わなかった。
言う必要がないのだ。
こいつにとって、〇四九は道具だ。壊れるまで使って、壊れたら置いていく。それだけ。
――ああ。
俺の中で、何かが、静かに切れた。
◇
「ヰナ」
「はい」
「ノート、閉じろ」
「――え」
「今から書くのは、俺が自分でやる」
俺は、右腕を持ち上げた。
紋様が、燃えるように熱かった。
八本。それが今の俺の限界だ。〇・四の存在値では、それ以上は出ない。
――出ないなら、削ればいい。
俺の中には、四十七人がいる。
あいつらの存在は、俺の存在値になっている。それを腕に変えるということは、あいつらを削るということだ。
でも。
「……悪い、みんな」
俺は、小さく言った。
「ちょっとだけ、貸してくれ」
◇
黒い腕が、噴き出した。
八本。十二本。二十本。
背中から、肩から、腰から、影のような腕が生えて、駐車場の柱を掴み、天井を掴み、床を掴んだ。
三十本。
三十七本。
四十七本。
――四十七人ぶん。
「灰島さん!!」
「ちゃんと返す!」
俺は叫んだ。
「今日中に返す! 全員ぶん、あいつから取り返して返すから、少しだけ待ってろ!」
◇
膨れ上がった怪物が、俺を見下ろした。
三百二十七の目が、いっせいに、俺に向いた。
俺は、その真下で、四十七本の腕を広げた。
――七位が、屋上から見ている。
値踏みするみたいに、首を傾げて。
いいぜ。
見てろよ。
◇
「なあ、〇四九」
俺は、化け物になった少年に向かって言った。
「お前、俺に聞いたよな。『他に何がある?』って」
三百二十七の口が、意味のない咆哮を上げた。
もう、あいつの言葉じゃない。
「答えてなかったから、答えとく」
俺は、腕を全部、前に向けた。
「――あるんだよ」
◇
「俺は、喰われた側だ」
一歩、踏み出した。
「三週間前に全部持ってかれて、家に帰ったら部屋が物置になってた。母さんに素通りされて、妹の夢の中にしかいなかった。お前と、まったく同じだ」
もう一歩。
「でもな。俺は、喰う側でもある」
◇
四十七本の腕が、いっせいに床を叩いた。
駐車場が、揺れた。
「喰われた側の意地ってのは、忘れられても消えないことだ」
俺は言った。
「喰う側の意地ってのは、喰ったもんを、ちゃんと最後まで背負うことだ」
俺は、笑った。
三週間ぶりに、心の底から。
「――両方の意地、見せてやるよ」
◇
俺は、影に潜った。
四十七本の腕を、そのまま影の中に引きずり込んで。
膨れ上がった怪物の、真下の影へ。
三階の床に落ちた、そいつ自身の巨大な影の中へ。
――お前の影は、お前には潰せないだろ。
二度目の、同じ手だ。
でも、こいつは知らない。八位はもう、俺の中にいるからだ。
◇
冷たい水底から、俺は見上げた。
三百二十七人ぶんの、無理やり詰め込まれた腹を。
その中に、一人分の、細身の少年がいる。
三年間、誰にも名前を呼ばれなかった、〇四九が。
俺は、四十七本の腕を、全部、頭上に構えた。
俺の空っぽが、これまでで一番大きく、口を開けた。
「――いただきます」




