第14話 百の腕
駅前に着いた瞬間、俺は「位階」って言葉の意味を、体で理解した。
でかい。
ロータリーの真ん中に、それは立っていた。三階建てのビルほどの、影の巨人。胴体から生えているのは二本の腕――じゃない。二十本、三十本……数えるのをやめた。百本はある腕が、ゆらゆらと夜気に揺れて、それぞれの先に、あの縦裂けの口がついていた。
九位が野良犬なら、こいつは災害だ。
「八位……観測するの、初めて……」
隣でヰナが息を呑む。端末の数値は振り切れて、エラー表示を明滅させていた。
そして、最悪なのはここからだった。
金曜の夜の駅前には、まだ人がいた。終電帰りのサラリーマン。はしゃぐ大学生の集団。誰一人、頭上の巨人に気づかない。
百本の腕の一本が、するりと伸びて、信号待ちの男の人に触れた。
口が、開いて、閉じた。
それだけだった。悲鳴もない。血も出ない。男の人が立っていた場所には、次の瞬間、誰もいなくて、隣にいた連れの女の人は、何事もなかったように一人でスマホを見ていた。
――今、消えた。
一人、消えた。誰にも気づかれずに。連れの記憶からも、たった今。
「灰島さん、来ます! 二人目……三人目っ……」
腕が、次々に伸びる。人混みに向かって。入れ食いの釣り堀にでも来たみたいに、無造作に。
考えるより先に、俺は影に潜っていた。
◇
街灯の影から浮上して、一番近い腕の根元に喰らいつく――前に、俺は違和感で動きを止めた。
見られている。
巨人の胴体、本来なら頭のあるべき場所の暗がりが、確かに俺を「見た」。
九位どもは、俺を景色扱いした。こいつは違う。俺を認識して、値踏みして――そして、興味を失った。
……格下の同族、ってところか。
仲間だから警戒しない、じゃない。眼中にない、だ。上等だよ。その油断ごと喰ってやる。
「ヰナ! 段取りは!?」
「わたしが正面! 残灯で足を止めます! あなたは誤認が効いてるうちに、本体へ……!」
ヰナがロータリーに飛び出して、残灯を投擲した。銀の閃光が腕の一本を貫いて、影が焼ける嫌な音が響く。
巨人の百の口が、いっせいにヰナを向いた。
敵として認識される、ということの本当の意味を、俺はこの夜まで分かってなかった。あの憎悪の集中砲火の中に、あいつはいつも一人で立ってたのか。俺が呑気に「仲間扱いはひどい」なんて軽口を叩いてた間、ずっと。
――急げ、俺。
影から影へ。タクシーの影、街路樹の影、花壇の影。最短距離で本体の足元へ渡って、浮上と同時に、一番太い腕の根元に齧りついた。
冷たさ。抵抗。九位とは比べものにならない密度。それでも俺の空っぽは、構わず吸い込む。
腕が、一本、千切れて俺の中に落ちた。
熱が流れ込む。それと一緒に、どっと押し寄せる誰かの欠片、欠片、欠片――多い。この一本の腕だけで、何人ぶんだ。
「■■■■■■■■!!」
巨人が、吠えた。
音というより衝撃だった。窓ガラスがビリビリ震えて、何も知らない酔っぱらいが「地震?」と空を見上げる。
胴体の暗がりが、ぐるりと回って、俺に焦点を合わせた。
もう「格下の同族」を見る目じゃなかった。
自分の腕を喰った、敵を見る目だった。
「……灰島さん、まずい」
ヰナの声が、遠くで掠れた。
「誤認が、解けました」
百本の腕が――残った九十九本の腕が、ぞわり、と音を立てて。
いっせいに、俺を向いた。




