第13話 還るべき人リスト
「九位の数が、多すぎる?」
詰め所に戻って、ヰナはホワイトボードに街の地図を貼った。赤い印が、この二週間の存在喰いの観測地点らしい。……素人目にも、多い。
「例年、この規模の街での観測は月に一、二件です。今月はすでに九件。しかも」
ヰナは赤い印を指でなぞった。印は街の外周から中心へ、渦を巻くように並んでいた。
「配置に、規則性があります。野生の獣は、こんなふうに等間隔に現れたりしません」
「……誰かが、配置してるみたいだって?」
「上位の存在喰いには、下位を従える個体がいる、という記録があります。九位が兵隊だとしたら、どこかに、それを動かしてる指揮官がいる」
背筋がひやりとした。俺が喰ってきたのが「兵隊」なら、俺は知らないうちに、誰かの軍隊をつまみ食いしてたことになる。
「まあ、いい。兵隊だろうが指揮官だろうが、やることは変わらない。……全部、喰う」
「はい。ただし、慎重に。……今夜は狩りは休みです。観測データの整理をします」
「はいはい、班長」
◇
その夜、詰め所の隅で、俺はノートを広げていた。
百円ショップで買った、何の変哲もない大学ノート。表紙には何も書いてない。書く名前が、まだ俺にはちゃんとないから。
中身は、こうだ。
――一人目。女の人。アパート住まい。観葉植物のパキラ。金曜のご褒美プリン。お母さんに「年末には帰る」って電話してた。
――二人目。じいさん。縁側で将棋。詰めが甘いのう、が口癖。孫のハガキ。奥さんの仏壇に毎朝お茶。
――三人目。兄ちゃん。ラーメン屋の常連。餃子は必ず二人前。店主に「また太るぞ」って笑われてた。
捕食のたびに流れ込んでくる、喰われた人たちの欠片。放っておいたら、俺の記憶の中でもいつか薄れちまう気がして、思い出せる限り全部、書くことにした。
名前は一人も分からない。顔も、流れ込んでくる映像の中でしか知らない。それでも書く。世界中の書類から消されたこの人たちが「いた」ことの、これが最後の記録だから。
喰われた側の気持ちなら、誰よりも分かる。
記録が消えるってのは、二度目に殺されるってことなんだ。
「……それ、何を書いてるんですか」
振り向くと、ヰナが資料の束を抱えたまま、俺のノートを覗き込んでいた。
「ん。ああ……喰った時に流れてくる、喰われた人のこと。忘れないうちにと思って」
ヰナは、しばらく黙っていた。
それから資料を置いて、自分の手帳を開いて、俺に見せた。「還るべき人リスト」と題されたページに、定規みたいな字で、縁側のじいさん、と書いてあった。
「……同じことしてるじゃねえか」
「灰島さんが先です。わたしはあの夜、あなたの真似をしただけ」
ヰナは俺の隣の椅子に、姿勢よく座った。
「灯守に入って、ずっと数字ばかり見てきました。被害何件、消失反応何件。……数字の向こうに『プリンの人』や『将棋のじいさん』がいるって、あなたに会うまで、考えたことがなかった」
「……あんたはなんで、灯守に入ったんだ?」
聞いてから、踏み込みすぎたかと思った。
ヰナは少しだけ目を伏せて、でも、ちゃんと答えた。
「わたしにも、忘れたくない人がいるからです。……いつか、話します。もう少しだけ、先に」
「ん。利子つけて聞いてやるよ」
その時、ふと思い出して、俺は財布から学生証を出した。定点観測だ。白紙のカードの、名前の欄。
「……お」
滲みが、変わっていた。
インクの影でしかなかったものが、うっすらと、けれど確かに、形になっている。
――灰。
一文字だけ。それでも読める。灰島の、灰。
「ヰナ、見ろこれ。名前、戻ってきてる」
「……! 記録媒体への再定着……存在値回復の物的証拠、第一号です……!」
ヰナが端末とカードを交互に見て、興奮のあまり敬語が早口になる。俺は笑った。たった一文字で、こんなに嬉しい夜があるかよ。
――その時だった。
机の上の観測端末が、聞いたことのない音で、鳴った。
警報だった。それも、今まで九位を検知した時の控えめな電子音じゃない。端末そのものが悲鳴を上げてるみたいな、割れた音。
ヰナが画面を見て、凍りついた。
「大型反応……位階推定、八位。移動速度、異常。進路は――」
彼女は顔を上げた。
「――この街の、駅前です」




