第11話 四人分の食器
四枚。
俺は数え間違いを疑って、指を折ってもう一度数えた。
テーブルの上に、皿が四枚。箸が四膳。うちは母さんとユメの二人暮らしだ――今の世界のルールでは。父さんは単身赴任で、盆と正月にしか帰らない。だから並ぶ食器は、多くても二人分のはずなんだ。
三人分でも、おかしい。
四人分なんて、ありえない。
俺は路地の暗がりから、窓に一歩近づいた。誰かに見られたら完全に不審者だが、幸か不幸か、俺を覚えていられる人間はこの星に一人しかいない。
窓の中で、母さんが四枚目の皿の前に立ち尽くしていた。
自分が今並べたものを、初めて見るみたいな顔で。
「……あれ?」
ガラス越しに、くぐもった声が聞こえた。
「ママ、また多い」
ユメがテレビの前から振り返って、テーブルを指さした。
「また一枚多いよ。パパの? パパ、来週じゃないの」
「……そうよね。来週よね」
「またって?」
俺は窓の外で、声に出さずに聞き返した。ユメが代わりに続けてくれた。
「ってか最近ずーっとじゃん。おととい も箸が多かったし、その前はお茶碗。ママ、疲れてんじゃないの?」
最近、ずっと。
おとといは、箸。その前は、茶碗。
――俺が、九位を喰った日と、二匹目を喰った日と、三匹目を喰った日。
心臓が、痛いくらいに鳴り始めた。落ち着け。偶然かもしれない。ただの並べ間違いかもしれない。母さんは昔から、ちょっと抜けてるところが――
「変なのよねえ」
母さんが、四枚目の皿を手に取った。
棚に戻すんだろう。そう思って見ていた。
母さんは皿を持ったまま、しばらくそれを見下ろして、それから、テーブルの一つの席の前に、そっと置き直した。
誰も座っていない席。
俺が、十六年間座っていた席に。
「誰かのぶんな気がして、つい出しちゃうの。おかしいわよね、誰のぶんでもないのに」
「なにそれー」
ユメが笑う。母さんも笑う。
「ふふ。……でも、まあ、いっか。置いとく」
「え、置いとくの?」
「置いとくの。……誰か、帰ってくるかもしれないでしょ」
◇
誰か、帰ってくるかもしれないでしょ。
その一言が、窓ガラスを抜けて、路地の暗がりまで届いて、俺のど真ん中に刺さった。
母さん。
あんたは俺を覚えていない。顔を合わせれば「どちらさま」って言う。チェーン越しに他人の目で俺を見る。それはもう、いいんだ。あんたのせいじゃない。世界のルールが書き換えられただけだ。
でも、あんたの手は。
十六年間、毎晩四人分の食器を並べ続けたあんたの手は、俺を覚えてる。
頭が忘れても、記録が消えても、写真から俺が消えても、あんたの手が、勝手に俺のぶんの皿を出す。誰のぶんか分からないまま、俺の席に置く。帰ってくるかもしれない誰かのために、置いといてくれる。
喰った分だけ、戻ってる。
ゼロ・ゼロ・九。小数点の下の、ゴミみたいな数字。世界のどの計器も検知しない、誤差みたいな俺の存在が――母さんの手には、届いてる。
「………………っ」
喉の奥が、熱かった。
目の奥も、熱かった。
まずい。これは、まずいやつだ。
俺は窓に背を向けた。早く離れろ。ここで洟をすすったら、せっかくの平和な食卓に不審者の音が届く。歩け。歩けって。
足が、動かなかった。
背中の向こうで、母さんとユメの笑い声がした。今夜の献立はカレーらしい。匂いで分かる。あの家のカレーは、じゃがいもがでかい。俺は、あのでかいじゃがいもに、もう一生会えないと思ってた。
置いとくの。
誰か、帰ってくるかもしれないでしょ。
視界の下のほうが、じわりと滲んで。
――ああ、駄目だ。
こぼれる。




