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マグヌスの首筋に、黒い影がまとわりつく。そこから、鮮血が吹き出している。
「く、グヌウ。なんだ、貴様! なぜ突然……!」
「ライカンさん……!?」
その黒い影はライカンさんだった。
ゼフィールの胸から、そしてマグヌスの首筋から血が吹き出している。
「ゼフィール! ゼフィール!」
『大丈夫だ、あやめ。……泣くな泣くな。この程度で神獣たる我は死にはせぬ。だが、穢れが傷口より入り込んでいる。頼む、あの浄化の泡を……』
「うん、今すぐ浄化するね。ゼフィール、痛くない? 大丈夫? 血が、止まらなくて……」
傷口に泡召喚をして、念力の腕で洗い流す。急いで洗ったら、念力の腕で傷口を圧迫して、なんとか止血しようとした。
一方で、マグヌスの首を噛みちぎったライカンさんは、人間の姿に戻ってこちらに向かってきていた。
「あやめさん、ご無事ですか。神獣殿も」
「わ、私は無事です。でもゼフィールが……」
『大丈夫だ、あやめ。ライカン殿、助太刀感謝する』
「いえ、私はあやめさんが心配で駆けつけただけですから。足手纏いにならなくてよかったです」
ゼフィールの胸から溢れ出していた血は、徐々に勢いをなくし、なんとか止まった様に見えた。ルナールも心配そうに駆け寄ってきて、体温を分けるようにゼフィールに寄り添う。
一方で、倒れているマグヌスは微動だにしない。その胸は、呼吸で動くこともなくなっていた。
マグヌスは、死んだ。
私はゼフィールたちと共に戦い、悪党を一人、殺したのであった。
「これでようやく、近頃溢れ出していた穢れの大元が絶てた形でしょうか」
ライカンさんは、ひと段落ついたことにホッとしたのか、表情を緩めて深く息を吐く。
するとその時、突然私の胸元が光だした。
「っ、あやめさん!?」
「な、何、これ……」
光は徐々に強くなっていき、何か本のようなものの形を取る。そうして、光が徐々におさまっていった時、私の手には、一冊の革装丁の本が出現していた。
「これは……?」
「魔導書のように見えますが。あやめさん、開いてみてください」
「はい……」
本を開くと、そこには異世界の文字で、私の名前が書かれていた。
『異界の聖女、あやめ。穢れの原因たる悪しきものを討ち、浄化を行ったこと、感謝します。これはあなたへの謝礼の本です。元の世界へ帰る方法。そして、またこの世界へ来る方法が書かれています。生きたい世界で生きたいように生きなさい。この世界は、いつでもあなたを歓迎し、多くのものを齎すでしょう』
そんな文章が、書かれている。
「って、この異世界と元の世界って、行ったり来たりできるの!?」
この世界に馴染んでしまうこと、ライカンさんに惹かれつつあることに悩んでいた私はなんだったんだ。
『女神から授けられた魔導書か、どれ、見せてみよ』
『あやめは元の世界に帰っても、またこちらへ来ることもできるのですね。ぜひ遊びにきて欲しいです』
ゼフィールとルナールが、我も我もと魔導書を覗き込む。
女神様から授けられた魔導書によると、空の彼方に存在する『永遠の虹』というものをくぐると元の世界に戻れるらしい。
いや、でも空の彼方にあるって、どうやって行ったら?
『それなら、我が乗せて行ってやろう』
「あやめさん。元の世界に戻ってしまうんですか」
「はい、一度王都に戻ってお店を休む準備をしてから、ゼフィールに頼んで永遠の虹ってところを探してみようと思います」
「そうですか……」
「あの……」
「あ、あの……!」
沈黙の後、お互い同時に何かを言いかける。
また再び沈黙が流れ、目線でライカンさんに続きを話すよう促すと、彼は心なしか頬を染めながら、口を開いた。
「あの、あやめさん。私はあやめさんにまた会いたいと思っています。その、つまり、ただ会いたいという話ではなくて……特別な思いを抱いているという意味ですが」
「ライカンさん……」
私は一旦、元の世界に戻る。女神様の魔導書に書いてあるとはいえ、本当にまたこの世界に戻ってこれる保証もない。
そんな状況で、中途半端に想いに応えるのは、不誠実なような気もした。
「あの、またこの世界に戻ってきたら、お返事させてもらってもいいですか? それまで、待っていただくことは……」
「ええ、もちろん。急かしません。あやめさんの気持ちがまとまったら、教えてください」
「はい……」
それから、私たちはゼフィールに乗ってシュナウザーの街で挨拶を済ませ、一旦王都へと戻って行った。
「寂しくなるなぁ、あやめちゃんがいなくなるなんて」
「戻ってこられたらまた戻ってきますから」
私は少し遠くへ旅に行くとみんなには説明していた。お店のお家賃は数ヶ月分を先払いでまとめて渡して、戻ってこられなかったらライカンさんが代理で解約の手続きをしてくれることになっている。
ルナールはフェンリルの森に帰って行った。
神獣が二匹もこの世界を去るのは問題があるので、私の世界まで送り届けてくれるのはゼフィールだけだ。
そうして私は、ついにこの世界を去る準備を終えた。




