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山の向こう側は、斜面が禿山のように地面が露出した状態になっており、そこには巨大な魔法陣が描かれていた。
そしてその中心には……力なく邪竜が横たわっていた。
『グラニト……』
ゼフィールが複雑そうな声音で呟く。
「し、死んでるの?」
『ああ、そうだな。あれでは息をしてはいまい』
あれほど私たちの前に立ちはだかっていた邪竜は、あっさりとその息を引き取っていた。
「どうして……」
『あれは生贄の魔法陣だ。マグヌスがやったことだろうな』
「そんな……」
その時、ぶわりと黒いもやが禿山とかした山の斜面から噴き出した。
「なになになに、怖い……」
『マグヌスが、邪竜を生贄にして力を得たのだろう。これから厳しい戦いになるぞ、覚悟せよ、聖女あやめ』
ゼフィールは厳しい声音で私に伝えてきた。
私たちは、禿山の魔法陣中央にある邪竜の遺体の横に降り立った。穢れの気配を頼りに、そこからマグヌスを探していく。
私はいざという時に攻撃を避けられるよう、大きくなったルナールの背中に乗って移動していた。
『あやめ、少し速く駆けますよ』
「うん、大丈夫」
ことは急を要する。早くなると掴まっているのが少し辛いけれど、それも我慢してルナールにしがみついていた。
そうして、山の奥深くに入ったところ。一軒の山小屋がそこにはあった。そこから、ドス黒い靄が吹き出している。
「マグヌスだわ」
『ここから先は危険だ。あやめはここでルナールと待っていろ。我が山小屋を壊す』
ゼフィールはそういうと、山小屋の方へ飛んでいき、風のブレスを山小屋へと仕掛けた。莫大な力に押し潰されるように、山小屋が吹き飛ぶ。
しかし、その中から現れた人影は、何も動じていないように悠然と歩いて出てきた。
「ふん、神獣か。厄介な。だが、邪竜を生贄に力を手にした私の敵ではないな」
「あなたがマグヌス……。ルナールの森を滅ぼし、亜獣人たちを奴隷にしてた男ね!」
私は、マグヌスを睨みつけた。こいつが、あの邪悪な隷属魔法で亜獣人たちの子供達を操り、犯罪行為や戦争に駆り立てていた犯人なのだ。
それを思うと、到底許せそうになかった。
きっとこの戦いで、勝てればこの男は死ぬ。私は、人殺しに加担する。
でも、それでも私は、一歩も引くつもりがなかった。
捕まった亜獣人のシャドウ君を、そして彼を見つめていたライカンさんの瞳を思い出す。
決して許してはいけない邪悪が、目の前にはあるのだ。
『あやめ、行くぞ』
「うん。ゼフィール!」
そうして、ゼフィールは再びマグヌスに向けてブレスを放った。それをマグヌスは、高く跳躍して避ける。その動きは、到底人間のそれとは思えなかった。
上空へと逃げたマグヌスを、木を駆け上がって蹴ったルナールが追撃する。
それを避けたマグヌスに対して、ゼフィールの尾が襲いかかる。
その尾に向かって、マグヌスは手をかざすと、黒い球型の魔法を放った。黒い靄の塊は、ゼフィールの尾に絡みつくと、その毛をジュワリと焼き、その皮膚を露出させる。
「ゼフィール!」
血が滲んでいるその皮膚を見て、私は思わず悲鳴を上げる。
少しでも穢れの影響を解消しようと思い、咄嗟にその皮膚のあたりに泡召喚を行う。それによってゼフィールの尾に絡みついていた黒い靄は四散した。
『感謝する、あやめ!』
尾を振って僅かに残った靄を振り払ったゼフィールは、改めてマグヌスに踊りかかる。
爪撃がマグヌスの頬を掠り、赤い線が空中に描かれる。しかし、傷は浅い。
ゼフィールの攻撃により体勢を崩したマグヌスへルナールが追撃をかけ、右腕に噛み付く。だが、黒い靄がバリアのようにマグヌスを覆い、むしろ噛みついたルナールが「ギャン」と悲鳴を上げた。
「ゼフィール……! ルナール……!」
攻めあぐねている。それどころか、徐々にマグヌスが押しているように見えた。私は、邪竜を追い払った時のことを思い出し、マグヌスの体を覆うように泡召喚を行う。
しかしそれも、噴き出した黒い靄に振り払われてしまう。
黒い靄は再現なく吹き出し続け、ついには邪竜の形を取った。マグヌスの腕の動きに合わせて、靄でできた邪竜が縦横無尽に動き回る。
その邪竜に触れた瞬間、ゼフィールの毛皮が焼け爛れていく。
「もうダメ! 逃げよう、ゼフィール、ルナール!」
焼けても焼けても、ゼフィールもルナールも一歩も引かない。確かにマグヌスの体に傷はつけられている。けれど、それ以上にゼフィールたちが傷ついている。
『ダメだ、あやめ。こやつは野放しにはできない。ことは世界の命運に関わる話だ』
止めて逃げようと叫んでも、ゼフィールは聞いてはくれない。
邪竜の尾が、ゼフィールの翼を打ち据える。バランスを崩したゼフィールの胸へ、邪竜の爪が吸い込まれていった。
「ゼフィール!」
私が叫び、マグヌスが勝利に笑んだその時。黒い影が私の隣を走り抜けていった。




