28
怪我人たちの治療は一晩中続いた。
救護室に集められているのはあくまで重傷患者のみで、軽度の怪我をしている人たちは砦の中で普通に立ち働いている。
翌朝以降は、それを助けなければならない。
忙しいけれど、私はこの砦の中でやるべきことが出来て、逆に安心していた。
怪我をして苦しんでいる人を前にして、何も出来ないことの方がよほど苦しいものだ。
徹夜で治療をしたって、それで苦しんでいる人たちが救われるなら、苦労なんてあってないようなものだった。
「あやめさんは本当に聖女様ですね」
そんな思いをライカンさんに話すと、ライカンさんは感心したように、「さすが聖女様だ」と言ってくる。
「別に聖女である自覚なんて大してないんですけどね。いきなり召喚されただけですし」
「あやめさんは元の世界では聖女様ではなかったのですか?」
「聖女だなんて、そんな。ただの一般庶民ですよ」
「あやめさんが? お髪も綺麗ですし、日焼けしていないですし、てっきり貴族の方だと思っておりましたが」
この世界の基準では、現代日本人の見た目は貴族のように見えるらしい。まあトリートメントも日焼け止めもない世界だ。私程度の見た目でも、上流階級のように見えるのだろう。
「あやめさんの世界はどんな感じなのですか?」
「この世界よりは、技術が発展していますね。馬いらずの馬車が走っていたり、空を飛んで移動する乗り物があったり」
「想像もできませんね、馬いらずの馬車だなんて」
くすくす、とライカンさんが笑う。その横顔が相変わらず綺麗で、私は少しときめいてしまった。
二人で笑い合いながら砦の中を歩いていると、突然けたたましく鐘の音が鳴り響いた。
「敵襲! 敵襲ー!」
わっと、街の人々は砦の中へと退避し、反対に兵士たちは砦の外へと飛び出していく。
「あやめさん、あやめさんは避難していてください」
「はい、私は砦の中にいます。……ゼフィール! ルナール!」
『わかっている。出撃しよう』
『私の出番ですね』
小さな姿になっていたゼフィールとルナールが巨大化して窓の外へと飛び出していく。
砦の窓から見える空の向こうには、黒い大きな粒——邪竜の影が見えていた。
「ライカンさんも、出撃されるのですか」
あの大怪我から回復したばかりなのに、と思ってしまう。けれどライカンさんは、私の質問に対して当たり前のように頷いた。
「ええ、出撃しますよ。みんなのことを守りたいですから」
その意思は高潔なのはわかるけれど、心配で仕方がない。
「どうか無理はなさらず、無事で帰ってきてくださいね」
私には、そう言うことしかできなかった。
ライカンさんは、見送る私を置いて、砦の外へと飛び出していく。
窓の外に浮かぶ邪竜の姿はどんどんと大きくなってくる。それに対して、ゼフィールは空中で羽ばたきながら、迎撃の態勢を整えていた。
そして、ついに邪竜はゼフィールと相対した。
邪竜は黒く濁った鱗に、絶えず黒い靄を立ち上らせている。赤く血走った目は、ゼフィールを睥睨していた。
『邪竜——グラニトよ。正気を取り戻せ。お前は大地と闇を司る神獣だったはずだ。穢れに呑まれるな』
ゼフィールが邪竜グラニトに語りかける声が聞こえる。そう、この邪竜とて、元々は神獣だったのだ。
グラニトはゼフィールの言葉に対して、闇のブレスを吐き出すことを以て応えた。
それに対して、ゼフィールは光のブレスを吐き出して相殺する。
戦いが、始まった。
グラニトがその尾でゼフィールを打ち据えようとすれば、ゼフィールは上空に回避すると前脚の爪をグラニトの顔へ向けて振るう。
グラニトはそれを前脚で受け止め、取っ組み合いになると、至近距離から闇のブレスを吐き出そうとした。それをゼフィールが頭突きで止める。
私はそれを、息を呑みながら見守ることしかできない。
眼下に目をやると、地上では亜獣人の戦争奴隷たちが砦に向けて攻撃を繰り返していた。弓兵がそれに対して矢で対抗するが、亜獣人たちはその身のこなしの素早さで矢を回避してしまう。
眼前に繰り広げられる殺し合いに、背筋が寒くなる。
——私は、私はどうしたらいいの。
何かをするべきだと思うのに、何もできない。ただ見ていることしかできない。
そんな自分が、口惜しい。
上空では、闇のブレスをモロに食らったゼフィールが、錐揉みしながら砦の中へと墜落してきた。そこへ、邪竜がさらなる攻撃を加えようと襲いかかっている。
「ゼフィール!」
邪竜の浄化ができたら。せめてなんとかなるかもしれないのに……。
浄化、——浄化?
そうだ!
私は咄嗟の思いつきで、邪竜へ向かって、『泡召喚』を発動した。
途端に、黒い靄に包まれた邪竜が、泡だらけになる。
「泡召喚! 泡召喚! 泡召喚!」
私は、邪竜や亜獣人たちに向かって、ひたすら泡召喚を繰り返した。
これで邪竜の穢れや、亜獣人たちの隷属魔法が少しでも解消されればいいのだけれど。
泡召喚を繰り返していると、体の中からごっそりと力が抜けていく感覚がした。
昨日も徹夜で薬用シャンプーをし続けていたのだ。
何か、使ってはいけない力まで使い果たしたような感覚がして。
私の意識は遠のいて行った。




