第1話「割れ目の先は」
青竹の匂いが鼻腔をくすぐる。
清涼感のある竹の匂いを嗅ぎ、地面に横たわっていた穣は目を覚ました。身体を起こし、辺りを注意深く見渡している。
「……竹林?」
穣は立ち上がると、目の前にあった竹に触れ、こんこん、とノックする。上を見ると、遥か上空の竹の葉が風に煽られ、心地いい葉擦れの音を響かせていた。
「竹……にしては大きすぎるだろ、これ」
眼前の竹は、胸高直径が2mを超えている。しかも、一瞥しただけでも5、6本は同じような大きさの竹が目に入った。
一通り辺りの確認をし終え、危険がないと判断した穣は、自身の状態確認を始めた。
(気絶した時は、自分は誰なのか、声に出すといいんだっけ)
いつか観たTV番組を思い出し、自分自身について口にする。
「田中穣、17歳。古道部所属。父、母、姉と4人暮らし。あだ名はジョー。うん、大丈夫。思い出せる」
小さく頷くと、次に身体の確認をする。
「痛いところは特になし。腕も足もあるし、指も5本ついてる。うん、問題なし。――って、んな馬鹿な!?」
穣は驚いて、Gジャンを脱ぐと、身体のあちこち触り始めた。
「右肩の傷がない……」
バタフライナイフが刺さり、血を垂れ流していた右肩の傷が綺麗に消え去っていた。それ以外にも、折れていたはずの肋骨や手首が全く痛まない。
脱ぎ捨てたGジャンを拾い上げ、右肩口を確認すると、そこには黒く変色した血がべったりと付着していた。触れると、未だ乾いていない血が手に移る。
「血が乾いてない。怪我していたのは間違いない。でもこんな短時間で怪我が治るわけが……。ん? そっか、時間!」
穣は慌てて時計を確認しようとするが、目を落とした左手首には何もついていない。
「あぁ……。時計はリュックにつけたままだぁ……。携帯は病院の床に投げちゃったんだっけ」
感覚的には漆黒の割れ目に飛び込んでから5分と経っていない。そこで、正確な日時を確認しようとしたのだ。
生憎、時計も携帯も手元になく、がっくりと肩を落とす穣。
「ないものは仕方ないか。それにしても、傷1つないのは流石におかしいよね」
肘を曲げる。
肩を回す。
屈伸する。
どこにも異常はない。
続けて、シャドーボクシングをする。
左ジャブ。
右ストレート。
左ボディ。
右上段回し蹴り。
身体に染みついた連携だ。上段回し蹴り後、そのまま一回転し元の立ち位置に戻ってくる。
やはり、どこにも異常はない。
「身体に異常なし、っと。本当に、どうなってるんだろう」
しげしげと右肩を眺めながら穣は、軽いため息をついた。
「ま、考えても分かるわけないし、とりあえず置いておこう」
気持ちを切り替え、竹林を観察する。巨大な竹が辺り一面に立ち並び、上空の竹の葉が空を覆い隠している。太陽光は竹の葉に遮られ、陽が当たっている地面は、ほとんどなかった。
その地面は、竹の根のせいで広範囲に渡って起伏している。所々にタケノコが生えているが、どれも穣は見たことがないサイズだった。
「タケノコに朝露が付いてる。ってことは、今は午前6時くらい……か。時差が10時間くらいだとすると、ここはアメリカかもしれないな」
現在地を推測しながら観察を続けていると、ふと何かが動く気配がした。とんとん、と地面を軽く蹴る音が聞こえ、穣は身構える。
音が聞こえた方へ視線を送ると、竹の陰から1匹の兎のような動物が顔を出した。
「う……さぎ?」
穣が疑問に思うのも無理はなかった。姿形こそ穣が知っている兎に酷似しているものの、決定的に異なることがあった。
まず、体長。所謂お座りをしている状態で、1.5mはある。
そして、耳の代わりに生えている、2本の捻れた角。
鼻をひくひくと動かしながら、後ろ脚で地面を蹴り、跳ねながら移動している。
「あんな兎、見たことない……。本当にここ、どこなんだろう」
穣は兎の行く先を目で追った。兎は竹の陰へ姿を消すと、ほどなくして何かを咥えて再び穣の前に姿を現した。
「何か加えてるな――って、それ!」
兎が加えていたのは、穣のリュックだった。兎は、竹の根が少ない平らな地面へリュックを落とすと、前足でリュックを叩き始める。
それを見た穣は、思わず大声を出してしまった。
「ちょ、駄目だって!」
穣の声に反応した兎は、一瞬身体を震わせ穣の方へ振り返ると、お座りの状態から上半身を起こし、小さくバンザイをしたようなポーズをとった。
耳角を左右に振ってぶつけ合い、甲高い金属音を響かせながら穣を威嚇する。
「うわ、めっちゃ威嚇されてるよ。しかも、金属音がする耳って超怖いんだけど」
穣は、このまま近づいていいものかどうか、逡巡する。リュックは取り返したいが、見たことも聞いたこともない、目の前の兎に安易に近づいてもいいか判断に迷っていた。
しばらくの間、穣と兎は睨め合いをする。先に痺れを切らしたのは兎の方だった。
打ち鳴らしていた耳角の角先を180度回し、穣へと向ける。目線は切らないまま、起こしていた上半身を倒し、前足が地面に着くのとほぼ同時に――。
「ミュ! ミュー!」
兎は、可愛らしい叫び声を上げながら、穣へと突進してきた。




