第2話「兎とドリル1」
後脚で地を蹴った兎は、穣が想像した倍以上の速度で迫ってきた。
「ちょ、はやっ!」
身を翻すと、空気を切り裂く音と共に、今まで穣が立っていた場所を兎が通過していった。
片膝をついて体勢を立て直し、慌てて振り返る。竹の主軸、そのど真ん中に耳角が突き刺さり、兎は身動きが取れなくなっている。
「びびった……。まじでびびった」
兎は、必死に前足で竹を押し角を抜こうとしているが、抜けそうな気配は全くしない。
「ミュー! ミュー!」
「……なにあれ可愛い」
懸命に角を抜こうとする姿は保護欲を掻き立て、思わず手助けしたくなる。が、穣は先ほどの突進を思い出し、首を左右に振る。
(さっきの突進に当たったら、土手っ腹に風穴が空いててもおかしくなかった。あの兎は危険、放置が無難。さっさとリュック回収して移動しよっと。しっかし、狙って今の状況作ったんだとしたら、あの兎、相当あざといなぁ)
放置を決め込んだ穣は、立ち上がると少し歩き、リュックを拾い上げた。米と水が入っているため、ずしりと重い。
破れた箇所がないか一通り確認すると、穣はリュックサイドにつけた腕時計を取り外した。
「現在時刻は、っと。――午後9時か。やっぱり、ほとんど時間経ってないや」
アナログ腕時計の短針は9を指している。
「外国に来ている前提で動いた方が良さそうだ。こんな竹も、あんな兎も見たことないし」
リュックを背負い、兎を見る。
何か様子がおかしい。竹を押すのをやめ、ブルブルと体を震わせている。
「ミュウゥゥゥゥゥ!」
突然、兎が鳴いた。直後、竹にがっちりと刺さっていた角が左右に開き、竹の破片が辺りに飛び散る。
解放された兎は、さらに大きく鳴くとその場で1回転し、竹にローリングソバットを放った。
竹と兎の後脚がぶつかり、蹴りとは思えない重低音が響き渡る。
直径4mはあろうかという巨大な竹は、爆ぜるような音を立てながら折れていき、地響きを立て地面へ倒れこんだ。
「……はい?」
「ミュミュミュー!」
犬の遠吠えのように鼻先を上げ、高らかに鳴く兎。どこの世界に、直径4m近くの竹を蹴り1発で倒せる兎がいるのか。穣は呆気にとられた。
「うん、あれは名状しがたい兎のようなものだ。そう思わないとオレの常識が壊れる。――ん、何か違和感が……」
穣は改めて兎を見る。
体長は1.5mほど。
白い毛皮に、円らな青い瞳。
ぴん、とたった、金属質な銀色の耳。
「違和感は耳か!」
突進した時は角だったものが、今は耳になっているのだ。陽光を反射し輝く耳は、自身の切れ味を主張しているかのようだ。そう、兎の耳はまるで両刃剣のようだった。
穣に見られていることに気づいた兎は、その耳を真上に上げると両耳をぶつけ合い、威嚇音を放ち始める。
「ミュ、ミュ、ミュ」
甲高い金属音と、可愛らしい鳴き声が不思議と調和していた。
(あの角は、耳を捻って丸めてたのか。見た目は金属っぽいけど、ゴムみたいに柔らかいなあの耳)
見た目は両刃剣。しかし、角のように丸められるほど柔らかい。
兎は耳の捻りを解いた時の反動で竹を砕き、自由になった耳をそれぞれ左右に振ることで竹を切断したのだった。
(剣耳もヤバイけど蹴りもヤバイ。接近されたら無理ゲーになるな、これ。ーーなら、やるべきことは1つだね)
兎と視線を交わしながら、穣はじりじりと位置を変えながら斜めに後退する。一挙一動を見逃さないよう、兎を注視しながらタイミングを計る。
これ以上下がれば兎が突進してくるであろう、と感じたギリギリのラインで踏み止まるとそこで立ち止まった。
「死中線はここかな」
「ミュゥゥゥゥゥ!」
息を吐き、半身に構える穣。兎は威嚇音を鳴らすのを止め、耳を角に戻し、唸りながら後脚に力を溜めている。
正に一触即発の状態。
「――はっ!」
先に穣が動く。掛け声と共に前足を高く挙げ、思い切り地面に叩きつけた。
「ミュミュ!」
呼応するように、兎が頭を下げ角を突出し突っ込んでくる。
穣が真横に跳び突進を避けると――。
小気味いい音を立て、兎の角が再び竹に刺さった。
「っしゃあ! 狙い通り!」
穣はガッツポーズをすると、踵を返して駆け出した。
(あんな危ない名状しがたい兎のようなものと戦えるか、ってね。三十六計逃げるに如かず)
脱兎の如くその場を逃げ出した穣であったが、聞き覚えのある重低音と竹が折れる音に、思わず後ろを振り返った。
「ちょ、ウソでしょ!?」
視線の先には、今まさに穣に向かって倒れ込んでくる竹。
間一髪の横っ飛びで直撃を避ける。
折れた竹の根元には歯を剥き出しにした兎が佇んでいた。体を起こしてミュミュミュ、と鳴いている姿は、笑っているようにも見える。
「竹の折り方を覚えたっていうのか……」
兎はそれほど知能が高くない。身近な動物と比較すると、犬<猫<兎、の順となる。
そのことを知っていた穣は、敢えて突進を誘発させ、再び兎の角を竹に刺させ、その間に逃げようとしていたのである。
まさか2回目で対処されるとは思いもよらなかった。
呆然とする穣を尻目に、兎は手近な竹へと跳ぶと、勢いよく頭を振る。剣耳が竹を通過し、切り込みが入った。
「まさか……」
兎が竹の裏へと姿を消す。
穣は我に返ると一目散に駆け出した。
つい先ほど耳にしたばかりの重低音と、竹が折れる音が背後から穣に迫る。
竹は、一直線に穣目がけて倒れてきた。
穣は目の前の竹の背に回り込み、直撃を避ける。驚きと焦りから、呼吸が荒くなる。
「はっ……はっ……。ヤバイ、あの兎もどき、ヤバイ」
一呼吸つく間もなく、今度は背にしていた竹から衝撃を受けた。何かが竹に突き刺さったような衝撃。
「ちくしょう、頭良すぎんだろぉぉぉぉぉ!」
泣き言を言いながら、駆け出す穣。
穣と兎の追いかけっこが始まった。




