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オオエドの雪にも似たり男たち  作者: 笹吉 栄一
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第一章 五月(柏餅)

初っ端からフルスロットル(違います)

第一幕  ~~喧嘩と猫と愚痴と柏餅九個~~


(喧嘩)

…えぇ…皆さま…

コチラ、紅十郎様が思いを馳せられた先の長屋の現在でございます…。

現場より、ライブ中継でお送りいたします。



「ぁんだぁ~!?この干しアワビ!!」

「何言ってんだいっっ!みずみずしいよっっ!!」

朝から元気な声が長屋に響いている。

あちこちから、そっと戸を開けて首だけ覗かせているご近所の面々。

だが、どの表情にも、呆れの中に微笑ましさが滲んでいた。

大声で怒鳴りあっている家の前を、てくてくと、犬が歩いている。


―――バンッッ!!―――


戸の開く大きな音に、犬は驚き、足を浮かせた。

黄市が眉間に皺をよせ、思い切り戸を開けた…のだが、目の前で固まっている犬を見て、自分も固まった。

しかし、ここで声を上げるわけにはいかない。ましてや後ろに聞かせるなど…

黄市はゆっくりと犬から目を逸らし、少しずつ体の位置を犬と反対側に向けていく。

そして、戸を閉めると、何も見なかったかのようにぎこちなく、犬のいる方とは逆へ走っていった。

思わず笑いのこぼれる、首出し一同。



―――――バァァンッッッ!!!!―――――



まるで戸を破壊するかのごとき大音量に、犬は飛び去り、首は一気に引っ込んだ。



―――――バァァンッッッ!!!!―――――



ドシ!ドシ!と、大地を削るかのような足音が、何故か黄市とは逆方向に遠ざかっていった。

どうやら、鬼は仕事に出かけたらしい。

…カラ…。

…カラ… …カラ…

カラ…カラカラ…


やがて、長屋は『一軒を残して』すべての戸が開いた。

それぞれから出てきた面々が、頷きながら戸を確認している。


――壊れていない。


モチロン、確認しているのはあの家の戸である。



(猫)

黄市はあからさまに不機嫌な顔で、二人の前を歩いている。

今日は『見回りついで』の猫の捜索が三人の仕事だ。

「親ぶぅん、今日はまたずいぶんと顔がこわ――」

「大介……」

目黒が小さく名を呼び、首を横に振る。

「……へい」大介は素直に口を閉じた。

黄市は何も言わない。相変わらず、二人の前をずんずんと歩いている。


大介と目黒は、顔を見合わせた。

そして――ほんの少しずつ、歩く速度を落とした。

「……俺達、あっち探しまさぁ」

大介が小さな声で言う。


二人は歩調を緩め、黄市との距離を少しずつ、少しずつ広げていく。

一歩。

また一歩。


やがて道の角を曲がると、二人の姿は見えなくなった。

黄市はしばらく、そのまま歩いていた。

「…………」 やがて足を止める。

振り返ることはしない。


「……チッ」 ――小さく舌打ちをひとつ。

そして何事もなかったかのように、また歩き出した。


最初に探したのは、笹藪。

青々とした竹の葉が風にサラサラと鳴っている。

黄市は、竹の根元を覗き込み、何かを考えている表情から、強く頭を振った。

ふと顔を上げると、青空に白い紙のようなものが、フワフワと風に乗って飛んで行くのが見えた。


次は会所地(かいしょち)。長屋の裏手にある共同スペースだ。

洗濯物が五月の風に気持ちよさそうに揺れている。

井戸端で話に花を咲かせている女たちに、猫を見なかったか。と、聞いてみる。

「親分さん、どうしたぃ?今日はことさら強面じゃないか」

そう言って女たちは笑った。

「うるせぇよ。」 返しながらも、黄市は思わず自分の顔をさする。

ふと視線を横にやると。若い職人の夫婦が、あーだこーだ言いつつ何かを作っている。

どこからか楽しそうな子供たちの声も聞こえてくる。

「どっち行った?!」 「あ!!あっち!」

黄市は、女たちに礼を言い、会所地を後にした。


次に探しに来たのは、火除け地。火事の延焼等を防ぐためにわざと何も建てていない空地だ。

走り回った黄市の顔を、爽やかな風が吹きぬけていった。

広い空地に伸びた草が、ふくらはぎをくすぐり、黄市は我知らずフッと笑った。

あちこち草をかき分けて、猫の姿を探す。

たまに猫の鳴き真似をしてみる。が、まぁ、返事はない…

「…なかなか見つからないもんだな…」

時々、猫が踏み固めたぽい跡や、歩いたような跡があるのだが…

何というか、大きいのだ。踏み固めた跡も、歩いた跡も…

「なんか…デカくね?」

思わず手配書を取りだして、しげしげと眺める。

だがその頃には、見つからないことに対するイラつきはなくなっていた。


火除け地でも猫が見つからなかったので、神社へと向かう途中、みどり庵の脇を通った。

ふと、足が止まる。

視線の先では、お紫乃が髪結いをしていた。

伸びた背筋・真剣なまなざし・器用な手つき・白く細い指先………

黄市は慌てて大きくかぶりを振った。

そして誰に言うでもなく…

「猫だ、猫猫。」と、小さな声で繰り返しながら走り去っていった。



(愚痴)

「もぉもぉもぉ!聞いてくださいよ!ウチの頑固筋肉!!」

お店の奥様方の髪を結いつつ、お紫乃は自分ちの旦那の愚痴を盛大に撒いていた。

奥様方も時に笑い、時に同意しつつ、順番に髪を結ってもらっていた。

「お紫乃ちゃん、今日は朝から牛さんね。」誰かがそう言って、笑った。

まるで小さな子をなだめるかの様な優しい言い方に、お紫乃は少しだけ照れた。

ここに来る前、お紫乃は黄市が町中を走り回っているのを見かけた。

顔を見ただけで怒りがぶり返す。

―目に入ったのは、自分だけだ

だから、早々に道を変え

――先に避けたのも、自分だ。

遠回りして、ここへやって来た。

―――それがまた、実に気に入らない。


仕方ないのだ。あんな大喧嘩をしたのだから。


「お紫乃ちゃんは、『いい人』なのね。」 

「へっ??」

片付けをしていると、手鏡を上下左右に回しながら、一人の奥様が言った。

その言葉に、他の奥様方も口々に「そうそう」と頷いた。

お紫乃は思わずおかしな声を返してしまう。

「だって…」奥様は続ける。

「旦那様と対等でいたいから、そうやって喧嘩するんでしょ?」

「旦那様と…対等…」

「そうよぉ。旦那様と同じ位置に立って、喜んだり、悲しんだり、怒ったりしたい。」

「喜んだり…怒ったり…」

「それを旦那様が分かってくれないから、悔しいのよ。」


お紫乃は、ここで初めて、自分が何に怒りを抱いているのか考えた。


「でもね、お紫乃ちゃん?『いい女』はそれじゃ駄目よ?」

「そうそう!いい女、賢い奥方(・・)は、旦那の三歩後ろに下がったフリして『見張ってる』もんよ。

奥方様たちはそう言って、笑いあった。


――さんぽうしろ で みはってる――

お紫乃は、その言葉を自分に当てはめてみた。

……無理だ。

自分には、どう考えても無理である。


そもそも黄市の三歩後ろでは、声が届かないかもしれないではないか。

そんなに後ろにいては、いざという時、手が届かないかもしれない。

そんなのは絶対に――


―――絶対に嫌だ―――


「あたしには、無理みたいです。」

「まぁ、お紫乃ちゃんたら。」

奥様方がまた笑う。

今度はお紫乃も一緒に笑った。


奥様方との仕事を終え、次の仕事場 ―みどり庵― に着く。

そこでは、既に患者さんが座って待っていた。

「お紫乃さん、一番は私ね。」

「はいはい。お任せあれ。」

髪結い道具を手早く準備し、お紫乃は、早速患者の髪を整え始めた。



最初の髪結いが終わろうかという頃だった。

「……?」

ふと、垣根の向こうから視線を感じた。

髪を仕上げつつ、顔は垣根の外へ向けた。

隙間から見えたその着物の柄は、今朝がたはろくに見送りもしなかった、見慣れた柄だ。

何故だろう…口の端がむずかゆい。

「お紫乃さん?どうしたの?」

髪を結い終わり、手鏡を受け取ろうとした患者さんが、不思議そうに尋ねる。

「…いえ。なんでもないですよ。」

と、言いつつ、お紫乃は手鏡を渡した。

患者さんは自分の髪型をためつすがめつ眺め始めた。

なかなか気に入ってもらえたようで、手鏡から視線が外れない。

お紫乃は彼女の様子を見て、満足げに頷き、柔らかい視線を外へ向けた。

その先の見慣れた着物の柄は、先程より小さくなっていた。

「…柏餅、買って帰ろっか。」

五月の風は、お紫乃の呟きを黄市の元まで届けたかどうか…。



(再び猫)

背後から、五月の風が吹き抜けた。境内の木々が一斉に葉を揺らす。

黄市は足を止め、ふと振り返った。

「……?」

風は何事もなかったように、木々の間を抜けていく。

黄市は首を傾げると、改めて境内を見渡した。

「……??」

もう一度、何かの気配を感じ取ろうと周辺を見回す。


「…にゃあ」

子猫が植え込みから顔をのぞかせた。

「お前さんだったか。」

黄市は懐から探し猫の紙を引っ張り出し、そこに描かれている絵と目の前の子猫を見比べる。

そして、ふっと表情を和らげた。

「ほら、おいで。」

優しい声に安心したかの様に、子猫は黄市の足元にすり寄ってきた。


「あっ!!親分っっ!!!ネコ見つかり…。」

夕方だというのに、元気有り余りの声量とスピードで大介が駆け込んできた…のだが、

黄市の腕の子猫を目にするなり、人格が180度したかの如く、静かに優しく、でも素晴らしい早足でやって来た。

普段の大介からは想像もつかない、それはそれは甘く、見ている相手をとろかす様な表情で、

「はわぁ~~~~~。」と、小さな声で子猫を愛でている。

「デェスケ…お前、小さい声出せんじゃねぇか。」「親分!しーーっっ!!」

まるで別人のような言動の大介に、呆れた黄市が声をかけると、被せるように大介が人差し指を立てて、注意してきた。

「………。」

黄市は肩をすくめ、目黒の方を見た。

目黒は、そんな兄をこれまた愛おしそうに目を細めて眺めていた。

「……… ………。」黄市の無言が増えた。


「お、親分。あの、そのネコちゃん。おいらにも抱っこさせてもらえねぇですか?」

子猫をガン見しながら、大介が小さな声で問うてきた。

黄市は数秒考え、大介に子猫を渡す。

「ほら。このまま連れてけぇりな。」

「えっ?!でも、この子見付けたのは親分なのに。」

デロデロだった大介の表情が、驚きで引き戻される。

「いいんだよ。誰が見付けようが関係ねぇ。この子が無事に家に帰れりゃ…そうだろ?」

「でも…手柄…」

「いいんだってば。それより、後は二人に任せていいかい?」

「いいけど…黄市君は?」

目黒が黄市に問うと、黄市はクルリと踵を返す。

「おりゃぁこのまま、甘いもんでも買ってけぇるよ。」

「…… …… …… 。」

目黒と大介は、しばらく顔を見合わせ、肩をすくめて無言で笑った。

黄市はそんな二人の事などお構いなしに、振り返りもせず、スタスタと神社を出て行った。



(柏餅九個)

「けぇった…」

静かに戸を開け、いつもより数段小さな声で言葉も少なく、黄市は帰宅を告げる。

夕餉には少し早い時刻。この時間に黄市が帰ってくるのは珍しい。

「…………」

お紫乃は、背中を向けて座っている。大変気まずい。

いつもより時間をかけて草鞋を脱ぎ、丁寧にそろえて、右手の包みをまっすぐ見えるように幾分腕を上げて…

「?…あれ?その包み…は??」

ちゃぶ台の上に、自分の持っている物とよく似た包みが置いてある。

「…樽美屋の柏餅…」わざわざ顔を背けて、お紫乃はつまらなそうに返事する。

「え…っと……」

そう言い淀みつつ、黄市は自分の土産をちゃぶ台に置いた。

「…これ…」 今度はお紫乃が問いかけてくる番だ。

「おめぇが旨いっつってた、三宅庵の柏餅。」


しばらく、お互いの柏餅を見つめた。

そして、顔を上げて互いを見る。

またすぐ柏餅―互い―再度柏餅―再度…

「ぶふっっ」

「ふふふっっ」

どちらともなく笑いがこぼれた。一度口火を切るともうダメだ。おかしくておかしくてたまらない。


しばらく笑いあった後、お紫乃は黄市に聞いてみた。

「ちなみにお前さん、何個?」

「五個。俺が三。お前が二。」

「多いよ!」

「そういうお前は?」

「四個。お前さんが三。あたしが一。」

「うそつけ!いつももっと食うだろが!」

「アンタのお気に入りは甘いんだよっっ!!」

そして、一通り言い合った後、また顔を見合わせて笑う。


「はぁ…どうしようかねぇ、こんなに沢山。」

「仕方ない。俺が責任もって七個食うよ。」

「…顔、笑ってる。全然仕方なさそうじゃないよ。」

「んな事言うやつには、甘いのばっか三個食わすぞ。」

「ぎゃあ!!甘しんじまうぅぅ!!!」


何やら楽しそうで柏餅より甘い空気に、長屋の首出し一同も安心して首をひっこめた。

家の前を、野良犬がテクテクと歩いていった。


おっかしぃなぁ…堂々と甘いなぁ…もっとこう、静かでひそやかな甘さのつもりだったのになぁ…

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