~イントロダクション~ 「今宵、桜」(落着)
翌朝、大黒屋の前ではちょっとした修羅場が繰り広げられていた。
奥方が大きな声で、主人である与吉を責め立てている。
与吉は小さく縮こまり、頭を押さえて妻の激高を懸命に耐えている。
その光景を、やじ馬たちがやんやと囃しながら見ている。
そして、そんな騒動から少し離れた道の端を、紅十郎とこう爺が歩いていた。
「…あれは?」 紅十郎が後ろに問いかけた。
「はぃ。なんでもお店の金を使い込んでいた番頭と、内縁の妻を騙った下女が、
何者かの手によって仕置きを受けたんだそうで。」
こう爺がいつの間にやら、橙色の瓦版を持って読んでいる。
なるほど、それではご内儀の咆哮も仕方あるまい…。
「…そうか。」
紅十郎は、チラと店の前に転がされた芋虫たちを見て、昨夜の出来にうなずいた。
そのまま歩く二人の向かいから、髪結いの女が小走りにやって来た。
すれ違いざまに小さく会釈をすると、そのまま足を止めることなく走り去ってゆく。
「忙しいようでなによりだ。」 紅十郎はわずかに口元を緩めた。
しばらく歩いていくと、医者宅で知り合いの顔が見えた。
「おはようございます。」 門前で総髪の男が柔らかな笑顔で挨拶をしてきた。
「みどり先生、おはようございます。」紅十郎も柔らかくほほ笑んで返す。
二言三言、言葉を交わし、「諸病療治 みどり庵」の看板を後にする。
年寄りの歩幅に合わせ、ゆっくりと街並みを進む。
見回りにも良い季節だ。紅十郎がそんなことを思いながら歩を進めると、大きな辻へと出た。
道の先に、芝居小屋が見え、その軒先には、色鮮やかな幟が小気味よくはためいている。
「二枚目 冬鳴屋 蒼太…」 紅十郎は幼馴染の幟を見上げ、何気なく読み上げた。
こう爺の眉がほんの少し動いた。が、何も口には出さない。
爺の目で見た旦那様の表情は、春の光を受けて、大変甘く優しく見えた。
「…帰りに甘い桜餅でも買うて帰りましょうかのぉ。」
こう爺の一言に、紅十郎はほんの一瞬、視線だけ後ろへ走らせた
「…そうだな。」
一言返答をすると、また歩き出す。こう爺はすぐ後ろをついて歩いた。
桜の花びらを乗せた風が二人の間を通り過ぎ、雲へと舞い上がっていった。
今日もオオエドは、人々のささやかな息遣いと共に動いていく。
―――これは、そんな人々の物語。
まずは皆様へ、主要人物達のご紹介をば。
最も、この後少しずつですが、色々追加していく予定です。
その折には、本文以外の所が、同時に修繕されたり、追加されたりする予定です。
…できたらいいなぁ(笑)。




