第4話 宅配司書ができるまで ⑩
「ごちそうさまでした」
ダイアンに続いて手を合わせ、少女の唇が動く。
だがやはりそこに音はない。
豊かな情感あふれる文学の朗詠。
時折表出するあまりに無邪気な感情。
それに反して自分自身の言葉は一言も話さない。
一体どんな生育環境で育ったのか。
ずっと考えてきたこと。
意を決し、彼は口を開く。
「教えていただけませんか。あなたの名前は」
じっと注がれた視線に、少女は分厚い写本を差し出す。
専門的な内容はともかく、美しい挿絵ならば咀嚼できるかと与えたものだ。
本を開いて、少女は順に文字の海の中のアルファベットを指していく。
BLS09
浮き上がって来た記号の羅列が猛烈に、憎らしくなった。
このあどけない少女にはあまりに役不足な。
自らですらそれと認識してしまった。
呪うべき記号。
「そうではなく。そう呼ばれる前の名です」
どさりと大型本が落ちる。
部屋の片隅にうずくまり、少女は顔を覆った。
呼応のように、ダイアンも右手もこめかみに留まる。しくじった。
自分を売った両親のいる家だ。
いい思い出の場所であるはずがないのに。
怖がらせないように、音を立てずにそっと歩み寄り、ダイアンは彼女をぐっと強いほどの力で引き寄せる。
「誤解させたことを謝ります」
内部から狂おしい何かが溢れてくるのを感じる。
「でも、違う。そうではないんです」
説明も理由付けも不可だが。
幼少より感じることを禁じられた自分が強烈に何かを感じてしまっている。
「あなたをそこへ引き戻そうという意図はありません。断じて」
震える少女は彼の意図がわかっているのかも危うい。
だが朧気ながら、指は軌跡を辿った。
TEARBELL
――ティアベル。
まさか。
少女を見つめる目をダイアンは見開く。
そういえば、当初よりは肉もついて、ウィスタリアの瞳に彩られたその風貌は美貌とも言える。
記憶の中の歌姫の面影があるような。
「ありがとう。もう、いい。十分です」
取り落としそうな手から本を受け取り、ダイアンは少女の頭を何度も撫でた。




