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第3話 宅配司書と女学生 ⑫

「お姉ちゃんのパーティー、わたしがいないうちに終わっちゃってた。名簿にわたしの名前、なかった」

 星々の海に揺蕩うようなロンドンの夜景に包まれて。

 自らのコートを有無を言わせずスウィーティの肩に被せ、ラヴェンナが形のいい眉間を大きく顰める。

「学の浅くて気の利かない子がいると困るんだって」

 わなわなと震える肩をどうにか抑え、うつむき、言を落とす。



「ずっとハニービーンズ家の婚約披露の準備手配をしてらっしゃったのはスウィーティ、ということで間違いないですか」

「……」

「間違いありませんね。学校から帰ってきてからの装飾の数々の制作。招待状のデザインとリスト。業者との連絡。その他、親族の世話。わたしはすべてを行っていたあなたを知っています」

「……ひっ」

「そのうえでのその仕打ち。それは、言葉に訳すと」

 夜景を見降ろし、ウィスタリアの瞳が鉱石のように鋭い指弾に揺れる。



「利用価値がある、都合がいいあなた以外はいらない、ということになるかと」



「……うっ」

「恐れながら、もし、わたしがあなたなら」

 ゆっくりと上げた顔はアラバスターのように青白く。

「相応の言葉を返させていただくことになるかと思われます」

 神々しく、美々しい。



「くそくらえ、ふざけるな。あなた方と家族などこっちから願い下げだ等々」

「……」

 その端麗なルームメイトにしばしあっけにとられ、ハニービーンズは笑う。

「ラヴェンナちゃん」

 肩にかけられた地味な紺のコートのその腕で、彼女を抱きしめる。

「大好き」



 そう言った後で、鼻をすすりつつ、スウィーティはぽつりぽつりと語る。

「お母さんの気持ちも。お姉ちゃんの気持ちもわかるしさ」

 どこか呆れたように首を傾げるラヴェンナに、それでも続ける。

「うちのお父さんとお母さんはね、学歴と能力があるのは人が生きてく絶対条件って人で。お姉ちゃんも あたしと同じくその中でずっと苦しかったの。あたしと違って出来がよかったお姉ちゃんは、親の繰り出す課題を次々クリアしてきて。やっと、自分も両親も全員が納得する相手と出会えて結婚できるんだもん。そりゃここへきて邪魔されたくなんかないよ」

 ルームメイトのコートに頬を委ねると、ほのかに異国の花のような香りがした。

「お父さんとお母さんもね、あれだけ能力にこだわったのは、きっと二人とも苦しかったと思うんだ。自分の親に言われてきたんじゃないかな。無能な者は価値がないとかさ」

 こんなだめな自分にも平等に香ってくれる、どこか遠い国の花。



「二人も高い理想の教育論で育てた自慢のお姉ちゃんを送り出せて、ようやくほっとしてるのが、わかる。……だから、みんなのこと、尊重してあげないと」

ふっとラヴェンナは寂し気に笑う。

 抱きしめられたまま、とんとんとスウィーティの背中を叩く。



「わかる、わかると。あなたはいつもおっしゃいますね」



 なぜかそれがトリガーになって。

 ぶわっとスウィーティの瞳から涙が溢れ出す。

「ごめ……ん」

「なぜ謝るのですか」

「たやすく人の気持ちがわかるなんて言っちゃいけないって、それもわかるの」



 やれやれ、と、しょうのない妹をあやすような吐息が、スウィーティの耳朶を包んでいく。



「すべての人の気持ちを、わかろうとし過ぎて。飲み下し過ぎて胃がもたれる。あなたはあなたがわからなくなっていらっしゃる」



「……ふぐっ」

「人の気持ちが、その胸の中に侵食するように迫ってきて。ぼろぼろで。死んでしまう寸前なのではありませんか」

 ぐすり、ぐすりと。すすり泣きは一度表に出たら、留まってはくれなかった。



「何で。何でなのっ⁉」



 いつもあははと笑って、負の感情を出しそびれ。

 そんな一人の、どこにでもいる少女の隣で。

 ラヴェンナ・ヴァラディ。

 不思議な司書志望の少女がようやく引き出した感情は。



「家族のみんなのことが好きなのに。友達のことだって」

 はらりはらりと透明な雫となってロンドンの街に降りつもる。

「でもみんなはわたしが好きじゃない。家でも学校でも。どこに行っても一人になる……」

 優しい一人の少女の口調にはまだおどけた色が抜けない。

「ねーラヴェンナちゃんも、もう気付いちゃってるよね? わたし頭が悪いから現役生なのに大学も夜間のコースに通ってるし。要領も悪いの。計算も地図を読むのも苦手だし。同時に二つのことやるなんてほんとだめ」

 降り積もって、降り積もって。

「出来損ないだから。だからだよね」



「あんたはみんなのすることができない。空気が読めない。だから浮くのは当然なの。お母さんにだってそう言われた」



 今まで抑え続けたぶん、降り積もって。

「だからわたしは誰にも相手にされなくて。当然」

「スウィーティ、それは、違います」

 いつしかそれは、結晶になる。

「あはは、やめてよ。気休めとか、わかっちゃうんだから」

「あなたがずっと孤独だったのは、不幸にも」



 スウィーティは強い吐息をついた。

 人前でのため息は絶対に控えていたのに。

 それすらできなくなるほど。



 不幸にも知能指数が足らなかったから。 

 不幸にも生活能力が足らなかったから。

 不幸にも世間知が足らなかったから。

 ありすぎる心当たりがまた、心を侵食していく。




「あなたに見合う高度な精神性の持ち主が、身近にいなかったためです」




 恐る恐る、スウィーティは隣を見やる。

 ゆっくりと、信じられないほど均整のとれた結晶がそこにあった。


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