第2話 宅配司書と劇作家 ⑱
気付いたら、妻の手を握り締めていた。
若い頃のように。
滑稽な自分をどこか冷静に見つめているグリッサンドーニの脳裏に、いたずらっぽいウィスタリアの瞳が浮かんできた。
『今回だけですよ』
かすめとった金のイアリングをつまみながら、歌うように言った、彼女。
『わたしは宅配司書であって、泥棒ではないですから』
「ふっ。はは」
何故だかおかしくなって、彼は笑みを零す。
「そうか! その。それなら。そのあと、どこかでまた語り合いたい。お茶をして、旅行の計画でも――」
涙を弾いて笑ってくれた妻。
そうだ、この顔が見たかったんだ。
満ち足りた納得感に浸りながら、いつになく気難し屋は饒舌になる。
「どこへ行きたい? 南国で海水浴でも、北国でカヤックを漕ぐのもいい。世界遺産を巡ってもいいじゃないか」
泣き笑いを続けながら、妻は言った。
「相変わらず、めちゃくちゃな人ですね」
小さな妻の手が、疲れた芸術戦士のその背に添えられる。
「まずは、この街のあの家で」
水に囲まれたレモンの香りがするあの場所で。
「身体を治しましょう。あなた」
「――っ」
あふれ出る涙を鼻で吸い上げ。
芸術家は、震え出した。
震える背をもう一度妻に、預け、その身を傾ける――。
激しく疲弊し倒れるほどに。
高く高く飛翔する精神は、解する人のいる狭い巣の中、安らぎに微睡む。




