第2話 宅配司書と劇作家 ②
「ロレンツォ・グリッサンドーニ様でお間違いありませんか」
サイドから三つ編みにしてローアンバーのリボンで纏め、ハーフアップにした、若い娘らしい髪型。
大ぶりの革でできた鞄。
隙なく纏うロイヤルブルーの制服。
肩にかけて広がるイートン・カラーの襟元。中心に金のボタンが列を成したトレンチスカート。
身なりは、それなりだが。
そう胸中で評したグリッサンドーニの前で、女は胸に右手をあて膝を折った。
「ご依頼感謝いたします。ウィスタリア私立図書館司書宅配サービス部所属。ラヴェンナ・ヴァラディと申します」
微笑に数度上がった頬にはいくらか赤味がさしている。
――こんな小娘が。
正直拍子抜けした。
「舞台化に相応しい原作をお望みということでしたので、いくつか持参させていただきました」
応接間に通すと、少女はうきうきと肩を弾ませながら、失礼いたします、と鞄を開いた。
「……うむ」
「とても、楽しい依頼でした」
中から一冊ずつ本を取り出しながら微笑む。
「もしもこの物語が舞台になったら……そんな本の読み方もあるのですね」
ウィスタリアの瞳は潤み、やや高揚している。
ふんと、グリッサンドーニは鼻を鳴らす。
「素人目線で仕事をされても困る」
音楽記号で言うならメゾフォルテ。やや威圧的な声でぴしゃりと言い放つ。
「わたしは、世界中の人々が夢中になる音楽劇を制作しなければらんのだ」
一喝してやると、華奢なその身体がぴくりと震えた。
泣き出して帰るか。
それならそれでいい。
口に出してそう言った通り、生半可な仕事をする者ならば最初から願い下げだ。
だが少女は眉をきりりと吊り上げ、どんと胸を叩く。
「もちろんです。対価に見合った働きをいたします」
「……ふん」
この年頃の者の自信などたかが知れていることは承知だが。
一応気骨だけは買ってやることにする。
不承不承の承知を組み取ったのか女はにこりと笑った。
舞台の天使の役もつとまりそうな雰囲気である。
「ではさっそく、ブックトークの実演に参りましょうか」
机の上、並べ終えた本を示し、舞うように女は進み出た。
「自信を持ってお勧めできる本たちです」
グリッサンドーニの歪んだ口元から漏れたのは皮肉な笑みだった。
「お前は、わたしの舞台を観たことがあるか」
さながら舞台女優のようだった女の動きが静止する。
「え……?」
「オペラというもののいろはをわかっておるのかと訊いているのだ」
指揮棒を決然と振る時のようにそう問うと、女の白い顔に初めて影が落ちた。
「それは……」
やはり、と、グリッサンドーニの口元から、嘲笑と失望の吐息が漏れる。
「どんな芸術を作ろうとしているのか。それもわからんのにその下地を勧めるというのか。ウィスタリアの図書館だかの精度とはそんなものなのだな」
こうなれば、決まりだ。
不用品を置いておく暇は彼にはない。
「まぁ、地図上でもペン先ほどのあんな小国の文化になど、始めから期待していたわけでは――」
「申し訳ございません!」
思わず、言を止めるほど慄然とした謝罪。
それは空気をも震わせた。
「お客様のおっしゃる通りです」
グリッサンドーニは目を見張る。
顔を上げた彼女は哀し気な目をしていた。
それは予想済みである。
だがそれに加えてどこか、怒りのような、悔しげな色が窺える。
「やはり、聴くべきでした。誰にとめられても」
「……?」
妙なことを言う。
誰にとめられても?
数秒の黙考の末、聴きもしないのに酷評する批評家は五万といるから、その類だろうと納得する。
「演奏、していただけますか」
頭を下げたまま、視線だけを上げ、かすれもしない声でそう問う女。
不本意だが姿勢だけは評価できると思う。
顎を突き出して頷くと、グリッサンドーニはグランドピアノの前に座った。
まだ人生に小舟を漕ぎ出して間もないこの小娘となれば。
奏でるのは弾む恋心を著した序曲が適当か。
饒舌という言葉がぴったりくる、豊かなアーテキレーション。左右に揺れるような音楽。
ある時空気が縦に揺れた。
頽れる音。——倒れたものに伴ってくしゃりと崩れる絨毯の音。
グリッサンドーニは音楽を止めた。
ただ一つ、問題点があった。
「どうした、おい、お前……!」
注文した宅配司書は、音楽がすこぶる苦手だった。




