第5話:優介は合宿当日の朝を迎える
合宿当日の早朝。月曜日。
日課である姉さんとのランニングを終えた後、帰宅した僕は姉さんへ先にシャワーを譲ると自室へと戻るため二階に上がる。
生徒会長を務める姉さんは合宿当日の準備やら打ち合わせやらで一足先に学園へ向かわなければならないらしく、さすがに余裕がないのか僕に譲ろうとすることなく素直に風呂場へと向かう。
いつもであれば自分よりも弟である僕を優先しようとしてくれるのだが、今日みたいな特別な日はそうもいかないということだ。
なお同様に生徒会副会長である泰斗や、生徒会書記である紫苑さんも用事とやらで招集をかけられているとのこと。
ほんと朝からお疲れ様です。
さて、自室の前へとたどり着いた僕は部屋にいるはずの彼女に対する一応のマナーとしてドアを二回ほどノックする。
――トントン
少し待つ。反応はなし。
……これはダメか。
念の為もう一度。
――トントン
…………やはり反応なし。
返事がないイコール起きていない。
ほぼ確信に近い形で推測を立てると、今度は遠慮せずに扉を開く。
部屋を出た時のままカーテンで窓からの光は遮られており、やや薄暗い部屋に電気をつけることで灯りを灯す。
するとなるほど。予想通りにいまだ僕のベッドに横たわりながらスヤスヤと眠りにつく一人の女の子の姿が見えるではないか。
「…………すぅ」
可愛らしい寝息を立てながら幸せそうに寝ている少女。
名前は松永音子。いつもマイペースな僕の同級生である。
「おーい、音子さん。そろそろ起きないと」
「…………すぅ…………すぅ」
「もしもーし」
「……………………すぅ」
「……やっぱりダメか」
僕の友人で西園寺家の近くに住んでいる同級生。
名前の通り猫みたいに気まぐれな性格をしたどこまでもマイペースな魔法使いの女の子であるが、さてそんな彼女がなぜ本来の主人を差し置きベッドを独占しているのかと聞かれれば、それはもう語るまでもなくただの一言でお伝えすることが可能である。
『ユー。月曜日起きられない気がする』
『へー』
遠出をするため今日は一般生徒も登校時間がいつもよりも早い。
その実、朝七時に学校の校庭に集合。このお知らせが朝に弱い彼女にとっていかに絶望的な内容であったかは語るまでもない。
特に彼女のことを考えれば十中八九起きられない未来が見える。
さてその高すぎるハードルをどう越えるべきか。
悩みに悩んだ末、彼女はこう結論づけた。
『ユー。家に泊まるから起こして』
『なんでやねん』
起きられそうにないからといって他人の家に泊まりにくる高校生とはこれいかに。
そもそもなぜ僕の家なのか。アリスやなんならヒメの家だって選択肢に入るだろう。
それをわざわざ異性である僕の家を選ばなくても――。
そんな反論の言葉を述べようとした僕だったが、じーっとまっすぐこちらを見つめる瞳の前に言葉が詰まってしまう。
そのうちふと湧いてくる「ま、いっか」の一言が脳裏に浮かび始めると、あとはもうなし崩し的にそこには頷いている自分がいることに気がつく。
まったく我ながら音子に甘い。
さてそんな過程を思い返しながらついため息を吐きつつ、僕はあらためて睡眠中の少女の姿を視界に収める。
「…………すぅ…………すぅ」
「ほんと、気持ちよさそうに寝てるよね」
ここまで気持ちよさそうに寝ている人を起こすのも気が引けるというものだが、とはいえ時間にも余裕がない。
今度は彼女の身体を直接揺らしながら声をかけてみる。
ゆさゆさ。うん、起きる気配が全くない。
頬を引っ張ってみるも、掛け布団を引っぺがしてみるも一切反応なし。
いつもの寝坊程度ならそろそろ起きていてもおかしくはないのだが、この時間は本当にダメなんだろうなぁ。
であれば一つ、次の手を打つとしますか。
******
というわけでお越しいただきました。
近所にお住まいのスメラギ・アリスさんです。
「やっぱりこうなったのね」
「ま、予想通りってことで」
すでに準備万端のご様子で我が家に到着したアリスは、僕の部屋を眺めるなり開口一番に呆れ声を口にする。
もとより彼女もこの状況は想定をしていたようだが、いざ実際の光景を目撃すると頭を抱えたくもなるのだろう。
「まぁいいわ。それでどうするの?」
「事前に伝えていた通りの作戦で行こうと思う。というわけで悪いんだけどお願い出来るかな?」
そう口にした僕はハンガーにかけられた音子の制服を指差す。
こんなこともあろうかと昨夜のうちに音子の宿泊準備を整えており、残るは制服に着替えて登校するだけで良い状況だ。
机の脇には僕の分と並べて彼女のバックも置いてある。
文具や着替えなど、就寝前に念入りにチェックしたので問題はないはずだ。
であれば僕たちにはある一つの策を実行することが可能となる。
それは――。
「それじゃあ予定通り――」
「寝たままの音子を背負って学校に登校する」
…………うん。
だって、起きないっていうならこれしか無いでしょ。
「まったく。この貸しは高いわよ」
荷物はアリスが持ち僕が音子を背負って登校する。
割と最近そんな光景を見たような気がしないでもないが、まぁ残る作業は音子の着替えと靴を履かせるくらいだ。
そして当然、男の僕が音子に制服を着替えさせるわけにはいかない。
つまるところ説明は不要。アリスがこの時間に訪問しているのは主にこの作戦のためなのである。
「十倍くらいにして音子に請求すれば良いと思うよ」
なんなら音子のバッグの中身の準備や整理をしたのも僕だった。
その事実を伝えると彼女は乾いた笑みを浮かべながら深くため息を吐く。
分かる。手間がかかる子だよね。
再度頭を抱える彼女を背に、僕は軽く頭を下げつつ部屋を退室した。
とりあえず、僕もさっさとシャワーを済ませてしまおう。
******
『な、なんであなた他人のベッドでなんで下着姿で寝てるんですかっ! ちょっと松永さんっ! ……待って。さっき優介がバックの中身を整理したって言ってたけど、このバックの中って松永さんの下着が――』
******
「やぁ優介くん。おはよう」
「おはよう。こんな時間にリビングにいるなんて珍しいね」
確認したところもうすぐ姉さんが風呂場から出てくるとのことだった。
それならばどうしようかと考えた僕は、とりあえず眠気覚ましのコーヒーでも飲もうかとリビングを訪れる。
するといつもはない珍しい父さんの姿がそこにはあった。
「コーヒー、飲むかい? ちょうど入れようかと思ってたんだ」
「うん。ありがとう。お願いするよ」
僕の言葉に了解と返事を返すと、父さんは沸かしたばかりのお湯で温かいコーヒーを作る。
父さんの分と僕の分。そしてもう一つ姉さんの分。
我が家でコーヒーが苦手なのは弟の良太くらいで、残る母さんも含めると西園寺家ほぼ全員がコーヒーを嗜むことになる。
ただ味の好みはそれぞれ異なり、母さんと僕はブラック、父さんと姉さんは微糖を好んで飲む。
いずれ良太がコーヒをーを飲めるようになった時にどちらの味を好むのか、実は密かな僕たちの楽しみだったりする。
「はいどうぞ。熱いから気をつけてね」
「ありがとう」
テーブルにコトリとカップを置くと、父さんは自分のカップに口をつける。
最初に一口含み、少ししてからもう一口、さらにもう一口。
父さんは熱い飲み物を飲むときにそうやってちびちびと少しずつ飲み進めようとする癖があり、それは昔からずっと変わらない。
僕なんかはフーと息で冷ましてから飲もうとするのだが、父さんいわく熱いまま味わいたいとのことだそうで。
そういう何かに妙なこだわりを持つところが、父さんたる所以なのかもしれない。
「そういえばアリスちゃんが来てたね。挨拶だけして上に上がっていったけど今は優介くんの部屋にいるのかい?」
「会ったんだ。そう、音子をお願いしてるとこ」
「それはまた……アリスちゃんも大変だね」
はははと笑う父さんに、そうなんだよねーと返事を返す。
わざわざ音子を起こすために早起きまでしてもらって少し申し訳ないんだよね。
そんな感想を口にすると、父さんはいまだ笑みを浮かべていた。
「そういうことじゃないんだけどね」
「え?」
何かうまく聞き取れなかったため聞き返したところ、なんでもないよと父さんは言う。
ただ少し、面白がっている様子に見えた気がする。
******
「ユーくんごめんね! お風呂空いたよー」
間も無くして姉さんがリビングに姿を表す。
上は薄着に下はホットパンツというとてもラフな格好で姉さんはリビングへと顔を出す。
「あれ、珍しいねお父さん。今日はお休み?」
「おはよう皐月さん。よかったらコーヒーを入れてるけどどうだい」
「うん。ありがと」
ほんの数分前に入れたばかりのコーヒーは未だ湯気を立たせたままでその温度を保っていた。
ただいれたてほどの熱さはないようで、姉さんはくいっと飲み干すようにコーヒーを口に入れる。
そんな姉さんの様子を、やはり父さんは楽しそうに眺めていた。
「実は今日この後、僕もあっちに行こうと思うんだ。優介くんたちもいないし久々に僕も職場に顔を出そうかと思ってね」
「え、そうなの? ってことはもしかして」
「文野さんも向こうにいるからみんなで日本魔法技術センターにお泊まりってことになるね」
それは驚いた――とはならないのが僕と姉さんだ。
だってなんとなく予想はできていたことだから。
西園寺の父である西園寺賢治、そして母の西園寺文野。
なにを隠そうその二人とはどちらも日本魔法技術センターに所属する選ばれた職員なのである。
いわく父さんは優秀な頭脳や工学技術を、母さんは卓越した魔法センスを買われてスカウトされた逸材だと聞く。
本当かどうかは定かではないが、事実として魔法業界で最も倍率の高い優良企業たる日本魔術技術センターに勤めているという実績にはなんら変わりはない。
特に母さんは役職持ちだそうで――まぁそこは微妙に嫌な予感がするというか。うん。
「もし都合が合わせられるなら母さんも一緒にみんなで食事でもどうかな。もちろんお友達も一緒に、施設の美味しい食事処を案内するよ」
姉さんは既に予定を頭に叩き込んでいるのか、腕を組みながらうんうん唸りつつ脳内でスケジュールを確認し始める。
そういえば、たしかマシロ先生が自由時間の話を説明していたような気がする。
「たぶーん大丈夫、だと思う。……夜は割と自由時間があるし。うん。少しくらいなら時間を合わせられるはずだよ」
予定が確認出来たのか、姉さんは問題ない旨を父さんに告げる。
「そっか。よかった。それじゃあまた向こうに着いたら連絡するよ」
「うん。よろしくね」
父さんは僕と姉さんに向かって笑みを浮かべながら頷く。
なんというか、本当に家族の時間を大切にしようとする人なんだと改めて実感する。
なんか嬉しいよね。こういうの。
「あ、そろそろ時間だ! ユーくんも遅刻しないように注意してね!」
「うん。姉さんもまたあとでね」
さて、そうこうしているうちに各々の時間がやってきた。
姉さんは制服の着替えに自室へと、僕はシャワーを浴びるために風呂場へとそれぞれ向かう。
十数分後、風呂から上がった僕は玄関を覗くと姉さんの靴がなくなっていることを確認する。
どうやらあれから直ぐに飛び出していったらしい。
ついでリビングを覗くと父さんも自室に戻ったのか誰の姿もなかった。
そろそろ良太が起き上がってくる頃だろうが、その頃には僕も家を出ているだろう。
さぁ、いよいよ出発の時だ。
あれから約一年。待ち侘びたこの季節に始まる最初の一歩。
まだ目標たるプロチームとの対戦まで時間はあるものの、日本魔法技術センターを訪れることの出来る機会はとても少ない。
だけど、その貴重な時間に彼女と戦えるのは幸運なことだ。
――【魔女】カルナ・メルティ
僕と彼女、どちらに賞杯を掴み取るのか。
今から楽しみで仕方がないよ。
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「お帰りなさい優介。少しお話があります」
「え? いったいなぜそんな怖い顔を――」
本作と少しだけ世界観が交わる新作を執筆しております。
「ポイント制勇者と名もなき魔法使い」
https://ncode.syosetu.com/n1290in/
ややシリアス寄りの作風で、もし興味があればご一読ください。
※両作品を読まなければ理解できない話などは特に予定ありません。




