07-2
私は小坂真夕。市立中学の二年生です。
最近、絵本の世界へ行って来ました。
クラスメートの湯山くんと、そのお友達の巳央さんと、三人で。
それは私の両親が離婚するだのしないだの、大騒ぎがあっての事でした。
私の家庭の事情に巻き込んでしまって、本当に申し訳なかったと思っているし、無事に帰って来れて感謝もしているのです。
出掛けた先では、色々とありました。
彼の優しさに甘えたりもしました。
今でもあれは夢だったのかしらと思うくらい、私は大胆に彼に甘えました。
必死に……甘えました。
彼は苦笑いを引きつらせながらも、私の強引な要求に出来るだけ応えてくれたのです。
湯山くんは料理やお菓子作りがとても上手く、私達は同じクラスなのだし、これから色々な事を教えてもらいたい。
優しい彼なら何でも教えてくれるだろう。
もっと仲良くなれるはず。
仲良くなりたい。
そう思っていたのに。
彼はあの日以来、学校に来ないのです。
それだけではありません。
彼と仲のいい横尾くんに聞いた話だと、家を出てしまったらしいのです。
つまり現在、行方不明なのだと。
もう冬です。
街はクリスマス一色でとても華やかなのに。
ケーキやシュトーレンを見聞きするたびに、私は湯山くんの事を思い出さずにはいられません。
悲しいです。
この寒空の下、彼は元気で過ごしているのでしょうか。
毎日とても心配で、胸が痛みます。
なぜなら彼の生い立ちは、あまり幸せそうではなかったから。
全身に痣をつけられた幼い彼が両腕を抱きしめ、寒さに震えている。
そのような想像が止まりません。
夜など、涙が溢れてしまいます。あまり眠れません。
「そう言えばさー、週末、あたし湯山くんと会ったんだよねー」
月曜の昼休み、誰かの声が聞こえました。
私の耳は敏感に、そちらへ引き寄せられてしまいます。
お弁当を食べる手がピタリと止まってしまいました。
「えーっ。そうなのぉ?」
「ママがおばあちゃんと歌舞伎の公演を見に行くって言うからさ、車で劇場へ送り届けた後、パパと食事しようねってレストランに向かったのよ。街中の地下駐車場に車を停めて階段を上がると、綺麗な女の人と腕を組んで歩いてる彼が居たの」
「えーっ! 綺麗な人って、誰っ?」
「湯山くんって家出してるんでしょ? ならお姉さんて事、無いよねぇ」
「彼に姉妹は居ないはずだよー」
「関係なんて知らないけど、すっっごく綺麗な人だった。大学生くらいかなぁ」
「それ、本当に湯山くんだったのぉ? あんな地味で大人しい人が、そんな綺麗な人と付き合えるなんて思えなーい」
「ううん、間違い無いよ。だって向こうから挨拶して来たんだもん。彼女から離れてスッと近寄って来て、うちのパパに礼儀正しく挨拶してくれて、それから少し話したの」
聞いているだけで耳が熱くなります。
ドキドキして、呼吸が苦しいです。
「クラスのみんなは元気なのかって聞かれたよ。それがさ、服装とかのせいもあるんだと思うけど、すっごくカッコよくなってた。雰囲気って言うの? それがもうまるで別人よ」
「えっ、じゃあわたしも見かけた事があるかも知れないっ。湯山くんに似てたけど、すっごくカッコいい人が居て……バスの中から歩道に居たのを見ただけだから見間違いかも、って思ってたんだけど」
「えー、エリちゃんも見たのぉ?」
「その時も綺麗な人と腕組んで歩いてた……彼女かな。綺麗だけどちょっと派手な人でさぁ、モデル崩れみたいな。ああ言う人がタイプなのかなぁ。なんかガッカリだよ」
「あたしが見た相手、お嬢様風だったけどね」
「ちょ……ふたまた?」
そこのグループから「えええええーっ!」と言う大合唱が上がりました。
「真夕、大丈夫? 真っ青だよ」
呆然と持っていたお箸を、友達のなかりんがお弁当箱の上に置いてくれました。
手が震え、カチャカチャと音をたてていたような気がします。
「湯山くんの事ね」
彼は、本当に優しい人です。
私の家庭の問題で、遠い世界にまで連れて行ってくれた。
――どうして居ないの……。
どうして、この教室に彼は居ないのでしょうか。
湯山くん、彼だけが。
他のクラスメートは全員、居るのに。
――また、顔が見たい。声が聞きたい。どうしてここに居ないの。居てくれないの。
あの夜みたいに、傍に居て欲しいのに。
手をつないで、朝まで一緒に居て欲しいのに。
――どこに居るの。どんな人と居るの。
だけど、あの夜。
絵本の世界から戻って来て、自宅まで送ってくれた日の夜。
お別れの挨拶をした時の、彼の笑顔……が。
『お休みなさい小坂さん。よい夢を』
そう言ってくれた時の顔はもうすでに〈違う人〉だったような気がして……不安なのです。
アストラル体と言うのが何だったのか、未だに私には分かりません。
でも彼らの説明によると、魂は肉体を離れて星の世界も旅するらしい、のです。
意味不明ですが、そうらしいのです。
とするならば、アストラル体は絵本から戻って来た時に、肉体に戻ったと言う事ではないのでしょうか。
肉体に戻ったのに、彼の顔は綺麗なままでした。
暴行で受けたダメージの痣や腫れが、跡形も無く消えてしまっていたのです。
『痣も腫れも消えたみたいだね。早く治ってよかったね』
私がノンキにそう言うと、彼は苦笑いを浮かべて言いました。
『あんな使い古しの仮面は捨てて来たからね、星空の綺麗な海辺に』と。
いつの日か街で、綺麗な人と歩いている彼に会う事が出来たとしても、私の心が欲している〈彼〉と会えた事になるのでしょうか。
もう二度と以前の〈彼〉に会えないような気がして、とても不安です。
家族が壊れそうになった時とは全然違う種類の、心が引き裂かれそうな痛みが消えてくれません。
――湯山くん、どこに居るの。私こんなにも、あなたに会いたい……。
会えなくて、会えなくて。
思いは激しく募るばかり――。




