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星空の海辺に  作者: あおい
06
20/23

06-3

 どれだけの時間、彼女の叫びを聞いただろう。


 悲痛な声だった。

 陽成の気持ちが叩き折れてしまいそうな、強くて激しい嘆きだった。


 陽成の胸の中で、彼女はピクピクと震えている。

 体力を使い果たしたのだろう。

 もう自分では立っていられない様子で、陽成の腕に抱かれている。


「ヒ……ナ」


 潤んだ瞳でこちらを見上げる、幼い姫君。


「何ですか」


「たすけ……て。心が痛くて、死んでしまい、そう」


 波の音にかき消されてしまいそうな、小さな声だった。


「目覚めたいのですか」


 彼女は首を横に振る。


「や……いやっ。それだけは、嫌です」


「私があなたを助けたら、あなたは目覚めてしまうかも知れない」


「……いや」


「私はね、あなたをここでこうして抱き、嘆きを聞いている時に、あの花に気付いたのですよ」


「え?」


「魂の底からのあなたの嘆きに、まるで呼応するように輝いていたあそこの白い花です」


 陽成が視線でその方向を示すと、彼女は上半身を少しだけ起こしてそちらに顔を向けた。


 花は、三メートル程先にある岩場に咲いている。

 たった一輪だけ。


 岩場に場違いな、百合によく似た白い花だ。

 真珠のように白く淡く輝き、夜の闇にも負けてはいない。


 星や月のように、自身が発光している可憐な花――。


「あの光があなたの声に合わせて強く、弱く、光を膨張収縮させていた」


「あのような花、存知ません」


「初めて見るのですか」


「そうだと思います、けど」


「それはおかしい。きっとあれはずうっと以前からあそこに存在していたはずです。今このタイミングで突然、姿を現すなんて不自然だとは思いませんか」


「ですが……」


「あれはあなたに呼応している。あなたが感情を剥き出しにしたから、あれも存在を主張したのかも知れない。道端の花など、いちいち覚えている事は稀ですよ」


「それは、そうかも知れませんね。このような場所なのですもの」


 砂浜の端には、低木や雑草が茂っている。どこにでもあるような普通の、浜辺の景色だった。


「あれは、抜いてしまいましょう」


「え?」


「抜くと、どのような事になるか分かりますか」


「い、いえ」


「あれは〈ここ〉に在ってはいけない花なのです。〈彼女〉の傍に隠れていた〈うさぎ〉のようにね」


 陽成はゆっくりと姫君の身体を離し、その場に座らせた。

 そして自分は立ち上がり、岩場に向かって歩く。


 自分は何をしようとしているのだろう。

 なぜこのような言葉を喋り、あの花を抜こうとする?


 巳央がこのように語り、行動すると言うのならまだ分かる。


 自分は、彼の真似をしているのだろうか。

 何のヒントも無く、手掛かりも何も無いのに。


 なのに何だろう。なぜだろう。

 自分の中にあるこの妙な〈確信〉は。


 本当にあの花は、彼女に呼応していた。

 陽成は見た。


 そしてあれを引き抜くと状況は変化する。

 それが分かる。

 なぜかこんなにも、ハッキリと。


 傍まで行き、陽成はその花の茎に手を伸ばした。


 シッカリと強く、握りつぶすつもりで茎を掴む。

 茎の細胞からはみ出した水分が、手の肌に薄く広がる感触があった。


「帰りたく無いなら、あなたは帰らなくていい。目覚めなくていい。ただコイツだけは、許さない」


 心の深い場所から小さな怒りがぽうっ、と浮かんで来た。


 何だ、この感情は。何に対してだ?


 いや、分かっている。

 こまれで自分が味わわされて来たものに対する感情だ。


 怒り、呪い、恨み――それによく似た感情の数々。


 もう、大人しくしている必要はない。

 この花を抜けば、自分も〈何か〉から解放される。


 生きる事なんて、最初から肯定出来なかった。

 生まれて来てしまった事を、こんなにも後悔している。


 ――何? 何を考えてるの? 嫌だ止めよう、意味が分からないからっ!


 止める必要なんかない。

 この姫君だって解放された後、好きな所へ行けばいいのだ。どこへでも。


 穏やかな海でも、嵐の海でも、好きな場所に行けばいい。


 ――僕は……!


 腕の筋肉に力を込める。

 そして一気に……引き抜く!



 世界に咲いた小さなその花は、まるで自分の心に刺さった棘のようにしか思えなかったから。




『どうして? なぜパパの出世のために、わたしがその人と結婚しなければならないのっ』


『イヤよ、わたしは本を愛しているの! 絵本作家は一生の仕事よ、わたしから奪わないで!』


 女の声が聞こえる。

 星空の全てから聞こえているような、世界を包み込んでいるような響き方であった。


 姫君も、空を見上げてキョロキョロしている。

 強風が吹き、水面がさざめき立った。


『あなたとなんか結婚しないわ! わたしの気持ちなんか、少しも思いやってくれはしない……あなたもパパも、大嫌いっ』


 風にフと、血の臭いを感じた。


『わたしは……わたし、よ。出世のための道具、なんかじゃ……な』


『わたしだけの、せかい……チャッ……』



 そして世界は音を失った。

 波の音すら聞こえず、姫君の声も聞こえない――。




「くっそ! どうなってるんだっ」


 巳央は階段と同時に始まっている結界の壁を何度も殴った。

 そのたびに光が迸り、拳が跳ね返される。


 だがある瞬間、城内に突然、光が戻った。


「えっ?」と周囲を見回すクライド。


 時刻相応の光が、開口部から差し込んでいた。オレンジ色に輝く、とても眩しい光である。


 床も壁も階段も闇から解放され、ナチュラルなその姿をふたりの前に晒した。

 先程までの、ボンヤリとした夕方の光とは全然違う。


「聞こえたかクライド」


「何がだ」


「今、女の断末魔が聞こえたような――」


 それと同時に城内に光が戻って来たのだと、巳央は言った。

 だがクライドは何も聞こえはしなかった、と返答した。


「巳央っ」


 巳央は陽成の声に弾かれるようにして、階段の上を見た。

 見慣れた影が立っている。


 陽成が階段の一番上から、ジャンプした。


 巳央はギョッとして両腕を広げる。そして。

 陽成の身体を無事、キャッチする。


「ただいま、巳央っ」


 陽成が微笑む。

 明るい笑みだった。


 巳央もクライドも、緊張感から少しだけ解放される。


「大丈夫だったか」


 陽成を抱きかかえたまま、巳央は言う。

 陽成は明るく頷いて「もちろんだよ」と答えた。


 よっ、と巳央は陽成を床に降ろし、その頭を強く撫でる。


「よかったよかった。どこに行ってた? よく戻って来れたな」


「星の綺麗な海辺で姫君が泣いてたよ。でももう大丈夫。きっと彼女は自分で考えて、自分の道を生きて行く。やりたい事とかやりたくない事とか、自覚しているみたいだ。だからもうボク達も、帰れるね」


「あ? うん、そうだな。それにしてもお前」


「ん?」


「妙に楽しそうだな」


 巳央の言葉に陽成は一瞬キョトンとして、クスッと笑った。


「もちろろんだよ、ボクだって解放されたんだから」


 その言葉に、巳央が真顔になる。


「これまで巳央が大切に守ってくれたから、ボクはこんなに元気だよ」


「……ナンだと?」


 巳央は低い声で呟いた。


「ボクにあんな〈仮面〉までかぶせて、今日まで必死で守ってくれたでしょ。そのおかげでこうやって無事に育ったんだから、本当に感謝してるよ。だから今、ボクは元気でココに居るんだ。クライドにだって会えて、ボクは嬉しい」


 クライドは少し驚いた表情をし、苦笑いを浮かべた。


「そうだクライド、姫君に会いに行ってあげてよ。多分目覚めてると思うよ? 大人達を排除して来た〈原因〉は始末して来たから、チャットウィンフィールドは少しずつだろうけど、ちゃんとした国に戻れる」


「本当か! 原因って何だったんだ!」


「女の人の執着が込められた呪いの花、かな。抜くと枯れて、それで終わっちゃった。姫君にあまり焦らず、みんなで一緒に国を守って行こう、って言ってあげて。彼女は自分の背負う責任の大きさに、激しく怯えているから」


「ありがとう、分かった。拝謁して来る」


 クライドは階段を駆け上がる。

 その背中に向かって陽成は「元気で!」と別れの言葉を贈った。




 ウォルジーの家に小坂を迎えに行った時には、もう真っ暗になっていた。夜風が寒い。


「忘れ物は無い?」


 陽成の言葉に小坂は一度、自分の服装を見直して。


「多分、大丈夫」と答えた。


 キースやサミーや小さい子供達に見送られ、ウォルジーの家の前を出発する。



 三人は最初の草原に向かった。

 道々聞いたところによると、小坂は家中の紙をかき集め、九九の表を書き上げたそうだ。


「ほら、インドの人って九九を凄いケタまで暗記してるって言うじゃない? それって便利だろうなって思って、書けるところまで書いて来たの。あとは百ます計算と、フラッシュ暗算ごっこをしたよ」


「小坂さん、嬉しそうだね」


「……うん。みんなともうお別れなのが、少し寂しい」


 数秒の沈黙の後、小坂が呟く。


「あのね。自分達を育ててくれていたお兄ちゃんとお姉ちゃんの間に、赤ちゃんが出来るんだって。新しい生命は可愛くて、みんなで喜ぶ日々の中である日、突然、お兄ちゃんとお姉ちゃんが姿を消すんだって言ってた」


「そうか」と相槌を打つ巳央。


「キースが、自分達は今、そうやって存在してるんだって。……怖いよね」


 シンミリした雰囲気になりかけた時、陽成は微笑んだ。


「きっともう、そんな悪夢も終わるんだよ」と言って。


 小坂はその笑顔を見て、少し頬を染める。


「そうかな……そうだったらいいよね。心細いのって、イヤだもん。あんな不安な気持ちで生きて行くのは、もうゴメンだぁ~」


 そんな事を話しながらしばらく歩いていると、前方に黒い影が姿を現した。

 月明かりに照らされるデズモンドと、その足下の影は……。


「あっ、クソうさぎっ」


 巳央の声に「ひっ!」と怯えた声を出し、クッキー色のうさぎはジャンプしてデズモンドの頭部に乗った。

 デズモンドは無表情のまま右手でうさぎの耳を掴み、その胸に抱く。


「さぁ、謝罪を」


 デズモンドに促され、うさぎは「申し訳ございませんでした」と小坂に言った。


「許していただけるだろうか」とデズモンドが問う。

 小坂は頬を染めて「もういいよっ」と言い捨てた。


「思い出すのもイヤだし。もう忘れる。忘れたっ!」


「謝罪を受け入れて頂き、感謝します。だがひとつ、いいですか」


「え……私、に?」


「あなたの波動が、この世界に影響を及ぼした波動と〈真反対〉であると言う事は、同じだけの〈エネルギー〉を持っていると言う事です。なるべく穏やかに精神を保ち生活するよう、心がけた方がいい」


 デズモンドは小坂に、アドバイスとしてだろうか。忠告としてだろうか。その言葉を贈った。


「は……い」


 小坂はお転婆を怒られ、説教された女の子みたいな声で答えた。何も悪い事はしていないのに。


「では、あなた方をお送りしよう。ミオ、ヒナ、コサカ。元気で」


 風が――三人を取り巻く。

 小さな優しい、竜巻のように巻き込む風。


「ミオ、あなたもあまり考え込まない方がいい」


 巳央は黙って、苦笑いだけを彼に返した。


 デズモンドの言葉に小坂が首を傾げ、陽成の顔を見る。

 陽成は微笑んで「何の事だろうねぇ」と呟いた。

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