05-2
だって昨夜は小坂がおかしかった。
それは事実だ。
確かに『一緒に寝て』と言われた。
サミーの自宅の一部屋を借りて、その部屋のベッドに小坂が寝る事になった。
陽成はリビングの長イスにブランケットを持ち込んで寝るつもりだったのだ。
でも小坂が『傍に居て』とうるさかった。
寂しそうにしている彼女を平気で突き放せるほど、陽成は強くない。
だからと言って、彼女と同じベッドで眠れるわけがない。クラスで一番可愛い子、なのだ。
しかたなく陽成は彼女の泊まる部屋に長イスを持ち込み、ベッドの隣に配置して、ほぼ隣で寝る事にした。
『もっとくっつけて。ぴったりとくっつけて。同じベッドに眠ってるって錯覚出来るくらい、くっつけて! ……朝まで傍に居てくれるって、言ってくれたよね』
陽成は彼女に乞われるまま、ベッドにイスを密着させた。
異世界の他人の家で、自分は何をやっているのだろうか。修学旅行でもないのに。
それでもキャンドルを消し、陽成がイスに転がると、彼女は安心したように静かな声で呟いた。
『どうして湯山くんは、私に優しくしてくれるの?』
――は?
『昨日まで、話した事すらなかったよね。同情、してくれてるの?』
いや。巳央が大丈夫って言った以上、彼女の家はもう大丈夫なのだと陽成は思う。
だから小坂を哀れむ理由など無いのだが。そう見えてしまうのだろうか。
『あの子達にだって、美味しいパンケーキ焼いてあげてた』
巳央に命令されたから。
誰かが興味を持ってくれればいいな、とも思ったし。
『元々、そんなに優しい人だったのなら、私、もっと早く湯山くんと親しくなればよかったな……』
優しいから? それが理由?
『僕、別に優しくないと思うけど』
『だって〈ここ〉まで連れて来てくれた……』
『連れて来たのは巳央だよ。僕に出来る事じゃない』
『でも一緒に来てくれてる。今だって傍に居てくれてる』
それは、断れないくらい自分が弱いからだ。
断る勇気は持っていない。
断る為の言葉も、どれを選べばいいのか、嫌われないのか、冷たく思われないのか、分からない。
決して自分は、彼女の目に映っているような人間ではない。
今の陽成の対応は、彼女にとって都合がいいだけ。
本当の気持ちなんて、見せてはいないのだから。
ひとりで眠りたい、と伝えていない。
『他の人にもきっと優しくするんだよね。うちのクラスの、他の女子が相手でも』
何が言いたいんだろう、よく分からない。
でも確かに自分は、頼み事を断れない。それはそうだと思う。
その前に「助けて」なんて言われないからいいんだけれど。
『ねぇ。湯山くんだって寂しかったりするの? だから私に優しくしてくれるの?』
『寂しい?』
『巳央さん、が……小さい頃から一緒だったんだよね? それでも寂しかったりした?』
『それは――だって巳央は別に、ウチのゴタゴタを解決してくれる人じゃなかったし、同じ気持ちを分け合える家族じゃないしね。だけど彼はいつだって〈逃げ場〉を僕に提供してくれた、かな』
『逃げ場?』
『大人の問題って、子供が考え込んでも仕方ない事でしょ? それでも自分の不幸は呪うし、心は痛いし、考えないわけにはいかないから考えてしまうけど、なるべくそうならないように傍に居てくれたんだよ。会話をして、遊んで、あちこち連れて行ってくれて、気が紛れるように、って言うのかな』
『ふぅん。で、それで考えずに済んだの? 痛いココロは、少しは癒された?』
『癒されたんだと思うよ。でも本当はよく分からない。僕は彼に導かれるまま心を逃がして来ただけで、本当は何ひとつ自分で乗り越えていなくて、頑張ってもいないんじゃないかとか……時々、思う』
『頑張ってるでしょ。ごはんだって作ってるんでしょ?』
『それは……考えずに出来る事だから。漢字の書き取りと同じ、考えなくていい作業だからね。両親に対して思いを語ってみて、と言われたら僕は……イヤだよ。考えたくない』
親が自分に八つ当たりしながらも、頑張ってたのは知ってる。
だから自分の感情と照らし合わせて答えを出す事など、したくはない。
多分、いい結論なんて出せはしない。
『ふぅん、そんなにもつらかったんだね。私から見てそんな気持ちが湯山くんの中にあるなんて、全然分からないから、すごいよね』
すごいって、何が。
『トゲトゲした空気を発してるわけでもなく、グレるわけでもなく、夜遊びしてるわけでもない……んだよね?』
『逃避してるって言ってるでしょ。僕は巳央に逃避させてもらい続けて――見ないフリして、考えないフリしてる』
ああ、イヤだ。こんな話などしたくない。
心の奥底に眠らせておくべきなのに、起こそうとしないで欲しい。
それもこんな、親しくないクラスメートに。
――横尾は触れないでくれているのに。やっぱり女子とは付き合い難いなぁ……。
横尾が『中野は付き合いやすい』言っていたけど、こんな事は聞いて来ない人なのだろうか。
しばらく沈黙が続いた。
陽成が小坂は眠ったのだろうか、と思い始めた時。
『あの、ごめんね。イヤな質問しちゃったよね』
彼女が謝って来た。
『いや、別に』とまた、嘘をつく。
『私も、親の事は呪った気がする。でもそれが自分へ向かう前に、こうやって、今、ここに居るよ』
『うん』と、相づち。
『私、たった数日だけど苦しかったし、つらかった』
『うん。だよね』
『でも湯山くんはもっと小さい頃にそうだったんだな、って考えると……涙が出そうになる』
――止めて。恥ずかしいから。
『巳央さんが傍に居てくれて、本当によかったね』
『そうかな……そうかも』
彼は「自分達のせい」だと言っていたから、責任感だってあっただろう。
陽成の両親が〈あそこ〉に住んでしまったからの悲劇だと。
だから余計に優しくしてくれたのかも知れない。
未だに甘やかされている自覚は、ある。
古くから〈陰の気〉が漂う土地。
そこに棲まう妖異達。
巳央も人ではなく、その土地に生まれた妖異なのだと、土着妖怪なのだと言われた。
幼い頃はそれがどう言う意味なのかなど理解出来なかったし、今でも正確には理解していない。
巳央の本性は白くて青い瞳の美しいヘビで、その姿を見せられてからは彼らの言うように〈違う存在〉なのだと、飲み込まざるを得なかった。
人の住むべきではない場所に住んではならない。
でないと陽成の家庭のようになる。
触れるべきではないエネルギーに触れ続けると、人は苦しみ狂い始める。
住み分け、と言うのは大事な事なのに、それが出来ないから苦しむ事になる。
――小坂さんの家庭だって、結局はそうだった。
存在するはずのないチャットウィンフィールドのうさぎが〈居た〉から、人の生活に影響が出てしまった。
陽成の家と同じ理屈だ。
〈そこ〉に〈在ってはいけない存在〉――触れてはいけない〈空気〉に触れ続けると、こうなってしまう。
自分は巳央に助けられたのに、小坂を見捨てられるだろうか。
いや、そんな態度を取っていいはずがない。
それが例えどんな小さな望みだったとしても、自分に出来る事なら叶えてあげたい。
彼が、自分にしてくれたように。
『だから湯山くんが今度は、私の傍に居てね。朝まででいいから』
『う、うん』
それから数秒の間があって、彼女は声を細くして言った。
『手を、つないで欲しいの』
細い声が、震えている。
『え』
『恥ずかしいから、聞き返さないで』
『う、うん……でも』
ふわり、と陽成の身体にかかっているブランケットの一部が、蠢く。
冷たい空気と気配が侵入して来た。
『手、どこ?』
『えっと……ここ』
陽成は腕を動かし、彼女の手に触れた。
自分のブランケットの中に小坂の手がある。
現実離れした、不思議な出来事だ。
ドキドキして敏感になっている肌に、彼女の指が触れて来る。
そして。
するり、と指と指の間に彼女の指が侵入し、絡んで来た。
こんなに本格的に手を握られるなんて思っていなかったから。
恥ずかしくて、息が苦しい。緊張してしまう。
『このまま眠りたいな……ダメかな』
『いい、よ』
『よかった。湯山くんて、やっぱり優しい……』
それは今まで、巳央が陽成にしてくれた事だから。
そう言えば小さい頃は、彼の脇の下に頭を突っ込んで寝るのが好きだったっけ……頭が安定するような気がして、安心出来た気がする。猫の気持ちが少し分かった。
――腕枕して、とか言われるより余程マシだよね。コレって。
『湯山くん、ありがとう』
『う、うん』
『おやすみなさい』
『おやすみなさい』
それから数分後、彼女の寝息が聞こえ始めた。
軽くてリズミカルな、可愛らしい音だ。
安心してくれているのだな。嬉しいような、ちょっと寂しいような複雑な気持ちである。
逆に、妙に緊張してしまっている自分は眠れるだろうか、と一瞬不安になった。
でもそれは、杞憂だった。
その後の記憶は一切無く、朝、巳央達に叩き起こされた。
さすがに自分も疲れていた、らしい。
「小坂って凄い感性持ってる子だぞ。お前の何倍も凄いかもな」
空を飛びながら巳央は、少し呆れたような声を出した。
「どうして?」
「俺があいつに旅行したか、って聞いたの覚えてるか?」
「あぁ、学校でそんな事言ってたっけ」
彼女はそれを否定した。
「旅行したか、って聞いたのに『絵本見た』って答えたんだぞ。普通、そんな事言わないだろ。たとえ〈絵はがき〉とか〈メール〉とか、いくつかのクッションを間に挟んだとしても、だ」
「そうかも。ちょっと変わってるのかもね」
「旅行って言うのは、地元の空気から離れて気分転換するのが目的だろうし、他の用事で遠出をする事になったとしても、異国気分って言うのを精神は味わうものだ」
「だろうね」
「リスの絵本を読んだからって普通、それほどの気分にはならないだろ?」
「うん」
「ところがあいつは、それを感じ取っていた。あの答えは、つまりそう言う事だ」
なるほど。チャットウィンフィールドの空気を、感性が把握したのだ。
それも多分、本人は無意識に。
「ああ言う子を彼女にしたら、大変だからな」
なぜ突然、そうなる?
「お前の浮気なんか、一瞬にしてバレるって事だ」
「何の話してるんだよっ」
「いや、昨夜の、あいつがお前を見てる目がどうも気になったからさ。もし付き合うなら、それは充分理解しておけよ」
「彼女は、そんなじゃないよ。僕と自分を重ねてるだけだ」
親の離婚なんて世間には、ありふれているのに。
「お? 女はそれで惚れるコトあるんだぞ? あいつらがすぐに『運命っ』とか言って酔うの、知らないのか?」
「巳央、少女漫画の読み過ぎじゃないの」
「俺マンガなんて読まねーし。でもマンガに書いてあるってんなら、外れてもいないってコトだろ。覚悟しとけよ」
「止めてってば」
「手もつながずに寝たのなら、ムキになるコトねーじゃん。俺の言ってるコトがハズレってコトなんだからよー」
反論の言葉が出て来ない。咄嗟の言い合いには、いつも負ける。
「ナニこの手首、ドキドキしやがって。正直過ぎるわ、お前の身体」
ケッ、と言い捨てられ、左腕を投げるように放された。




