04-6
ここに電気は無い。
キッチンの灯りは彼女達が燭台にキャンドルを立ててくれた。
サイドテーブルに置かれていた燭台を右手に持ち、陽成は廊下、そして階段を上る。
上ってすぐ、彼らがどの部屋にいるのか分かった。
扉が全開で、灯りが漏れていたから。
陽成は書斎と思われるそこを覗いた。
床に地図を広げ、その周囲でそれぞれが本を眺めている。
巳央とサミーは床に座り込み、キースはイスに。
床の絨毯は緑色で触り心地は良さそうだが……ここだって掃除していないのではないか? 多少、埃を払ったりしたのだろうか。
「あの、キース」
陽成の声に三人が顔を上げ、こっちを見た。
「ん?」とキースが返事をする。
「この家って、女性は居なかったのかな」
「確か居たと思うけど、どうして?」
「小坂さんがシャワー浴びてるから、着替えが欲しいな、と思って」
「あいつ、図々しいな。んなコト言って、シャワーまで浴びてんのか」
「小坂さんが言ったんじゃないよ。彼女がシャワー浴びるねって言うから、僕が勝手に……」
「はいはい、お前らケンカ止めー」
子供のサミーに、牽制されてしまった。
「結婚した娘さんが居たんじゃなかったかな」
「その人の部屋がそのままなら、服くらい有りそうだよね。借りてもいいかな」
「散々食い散らかした後に、そんなコト気にすんな。すげぇ宴会だったな、ここまでうるさかったぞ」
「……ごめん」
「どうしてアンタが謝るんだ? 変わってるな」
「そうかな」
「まぁいい。一緒に探そうか? ヒナ」
「うん。ありがと、キース」
「あ、じゃあ俺も俺もっ」
「逃がさん。サミー、お前は勉強っ」
巳央に頭を押さえつけられている。
意外にスパルタだな。陽成はあんな風に押さえ込まれたりした事は無かっ……いや、あったっけ?
「そうは言うけどな、ミオっ。お前の出した問題の、タローサンとか言うヤツ! リンゴ勝手に食っちまうのが悪いんだろ! ハナコサンだって何が嬉しくて、リンゴ二個と半分持って来てんだよ。三個全部持って来いっつーの!」
――また懐かしいノリの問題だな。
そのうち、時速何キロで何分遅れで出発したりするのだろう。あー、ヤだヤだ。
「そんなモンダイじゃねーんだよ。優しく言ってるうちに解いた方が身のためだぞ」
「なに脅してんの、巳央っ」
「ここの未来はこいつに任せる事にしたんだ。いいかサミー、ここの生活が繁栄して行くかこのまま衰退して行くか、お前の姿勢に掛かってるんだぞ」
「そー言う事言って、脅迫しないのっ。可哀想だろっ」
「見ろ。あんなヤツに可哀想がられて恥ずかしくないのかお前っ」
「ちょ……そんな言い方っ」
「はいはい、行くよヒナ。アンタも結構気が強いねぇ」
キースに腕を引っ張られ、部屋から出される。
「気が強い、なんて言われたの、初めてだ」
「そうかぁ? なら、ミオにだけあんな態度取ってるのかな?」
――そうかな……そうかも。
「仲がいいんだな」
「どうかな」
「何それ照れ隠し?」
「別に照れてないよっ。早く着替え探そうよっ」
「はいはい。じゃ、この部屋からな」
そう言ってキースは、ひとつ目の部屋の扉を開けた。
白いワンピースと、若草色の柔らかなカーディガンをハンガーに掛ける。
サラリとした手触りだから、ワンピースの素材はコットンだろうか。
衣類の知識をあまり持っていない陽成には、よく分からなかった。
ドキドキしながら、息を吸う。
「あのっ、小坂さんっ! 着替え、探して来たからここの扉に掛けておくねっ。イヤじゃなかったら、着てっ」
中に入るわけにはいかないので廊下から大声を出し、脱衣場の扉にそれを掛けた。
悪い事をしているわけではないのに、鼓動がバクバクしている。
フと視線を感じて顔を上げたら、キースが苦笑いをしてこちらを見ていた。
「笑わなくてもいいでしょ!」
「いや、女の子にビクビクしちゃって可愛いなぁと思って。ヒナ、アンタ年齢いくつ?」
「十四、だよっ」
一秒の間の後、鼻で笑われた。思い切り。
「なっ何だよっ」
顔が熱くなる。
「いや、俺よりふたつも年上で驚いただけ。同じ年齢くらいだと思ってたからさ~」
――じゅうに? 異世界の異国の少年に、十二歳認定された! 小六じゃんっ。
いくら日本人が童顔民族だとは言え、ちょっとショック。
「ちなみにミオは?」
「え……と。正確な年齢知らないんだよ。でも僕よりずっっっと年上、なんだって」
「へ? そうなの? イッてても十七歳くらいかと思ってた。あの人も童顔ぽいと言えばぼい、けどさぁ」
「丸顔で目が大きいからね。面長のカケラも無いと言うか……」
「ヒナもな」
「うっ」
「お~い。ダメだコイツ、集中力ブチ切れたわ。シナプスがショートしたっぽい」
そう言いながら、ふたりが階段を下りて来た。
サミーが巳央に引っ張られ、呆然としている。まるで抜け殻だ。
「陽成、食いモン残ってる?」
「もちろん、取っておいたよ」
「よっしゃサミー、喜べ。脳の栄養が取れるぞ」
「は?」
カパッ、と口を開けてサミーは声を出した。何も把握していない、単なる声である。
「その後、また勉強だからな」
サミーが表情を変えずに首を横に振る。
小さく小さく、そして大きく。
「もう! イヤだぁ~っ!」
叫びながら頭を抱え、しゃがみ込んだ。
「あのなぁ、俺なんて甘い方だぞ。聞く所によると欧米のティーチャーって、生徒の出来が悪かったら、ムチで叩いたりするらしいじゃねーか。手をこう、ビシッとさ」
巳央がサミーの腕を持ち上げ、掌をぺちん、と迫力無く叩く。
すると、脱衣所の中から小坂の怒鳴り声が聞こえた。
『あんた達、いい加減にしてよっ! 着替えを届けてくれたのなら、サッサとそこ退いてよっ! 服、取れないじゃないのぉ! いつまで待たせる気っ?』
服は脱衣場の扉の、廊下側に掛けたのだ。
それを手に取るには、彼女が全裸のまま扉を開けなければならない。
「遠慮しなくていいんだぞ、小坂。そのまま出て来ても」
『ば……っ! バッカじゃないの――!』
本気の怒声に陽成だけが、キッチンへと逃げ込んだ。
ポットの中のハーブティーはまだ充分あたたかくて、陽成はホッとした。
小坂はきっと、とても身体を冷やしているから、あたたかい物を飲ませてあげたい。
男三人がテーブルに着き、小坂を待つ。
本当は巳央がとっとと食べようとしたから、陽成がいさめたのだ。少しくらい小坂を気遣ってやってくれ、と。
巳央は口を尖らせ不満そうにしているけれど、それでも黙って彼女を待っている。
テーブルに肘を着いて、あまりお行儀はよくないが。
間もなく、小坂が脱衣場の扉を開け閉めする音が聞こえた。
「じゃあお茶注ぐね」と、みんなのカップに注いで回る。
そこへ、髪が生乾きの彼女が姿を現した。
ワンピースとカーディガンが、とてもよく似合っている。
男が一斉に彼女に視線を向けたから、だろうか。
小坂は一瞬、怯んだようにビクッとした。
「なっ、なにっ?」
その頬が見る見る赤く染まってゆく。
もしかして、恥ずかしいのか。
「なんでこっち見てるの? やだあっ!」
顔の前に両手を翳した。
カーディガンは少し大きいらしく、袖が長い。指先がチラリと出ているだけだ。
――似合ってる……可愛い。
そうだ。〈可愛い〉とは、こう言う事を指すのだ。
なぜに陽成が〈可愛い〉呼ばわりされたのか、意味が分からない。
――さすが、男子の人気トップなだけあるな。小坂さんってこんなに可愛かったんだ。わ、分からなかった。
「お前待ちだったんだぞ。さっさと座れよ、ほら」
「なら、入り難い空気止めてよねー……」と呟きながら、セッティングされている最後の席へ小坂は座った。
巳央の隣で、サミーの正面だ。
「あれ? 湯山くんは?」
「僕は……作りながら味見したりしたから、もういいんだ」
「そうなの? ダメだよちゃんと食べなきゃ」
「うん、ありがと。じゃあみなさん、どうぞ」
「うん。いただきます」
小坂がきちんと、両手を合わせて頭を下げた。
「お。偉いなお前。ラーメン屋でもそれやった? 気づかなかったな、俺」
キースとサミーはキョトンとする。
「なに、今の」
「改めて聞かれると――ご挨拶? お礼? 感謝の言葉? アーメンみたいなものなのかな?」
小坂がこっちに疑問を投げて来た。
「僕、キリスト教じゃないから、アーメンがいただきますに当てはまるのかどうかは、ちょっと……」
「アーメンて、なに?」
キースとサミーが声を合わせた。
「えっ……あなた達の宗教って何なの?」
「シュウキョウ? なに?」
「神様……分からない?」
「さぁ?」
首を竦め、サミーはパンモドキに手を付けた。
各自、ふたつの小皿に用意したジャムとクリームを付けて食べるスタイル。
サミーがパンを、ぱくり。
するとガフッ! と鼻から息を吹いた。
「えっ! どっどうしたの? 不味かった?」
陽成の神経がすくみ上がる。
「なにコレうっめ! ヤベェ、ヨダレマジ止まんねぇ!」
「は……はは、そう。喜んでもらえて、ヨカッタ」
――ムダに心臓がドキドキしたぞ。あんなリアクションされたの、初めてだよ。
「あ! もしかして」
キースが勢いよく立ち上がる。
「なっなにっ! 今度はなにっ!」
「アレだろ、教会とか言うの、残ってるぞ」
「あー、そうそう。それだよ……はは。じゃあキース、着席して、食べて」
「お、おう……」
そしてやっと、落ち着いた食事となった。
――ムダに疲れた……もう眠い。
食事を終え、お茶を飲みながらウダウダと会話。
陽成と巳央はキースの自宅に泊めてもらう事になった。
その時に聞いたのだが、あのシャーリーと言う子は、サミーの妹ではなかったらしい。
そんな事を読み違えるなんて、巳央にしては珍しい事である。
だがキースは、この町の全員が兄弟であり家族なのだと言う。
そうでなければ暮らせないだろうな、とは陽成も思う。
数少ない人間が小さな町で毎日、接触しているのだ。当たり障りの無い付き合いなどではやっていけない。
「コサカは……女の子の誰かに頼むか。デイジーなら泊めてくれるかな」
デイジーは、黒髪ボニーテールの子だ。積極的な子だったから、小坂の面倒も見てくれるかも。
だがキースの言葉に、小坂は「い、いやっ!」と反応した。
「え、でも小坂さん……」
「あの子達の、誰とも一緒はイヤよっ」
なぜだ。どうして突然そうなる? 彼女達と知り合ってもいないのに。
――うるさかったから、かな。やっぱムカついてたの?
「湯山くんと一緒がいい!」
「えっ! だっだけど……」
「お願い、他の所にはやらないで」
心細いのかも知れない。
異世界で、異国の夜だ。その気持ちも分かる。
――家族が好きで、家を大切にしてる人だもんな。見知らぬ人とはイヤ、だよね。
陽成だけが知り合いで、陽成だけが小坂のクラスメート。
「んー……じゃあミオにはサミーの家に行ってもら……」
「それは俺が、イ・ヤ・だっっっ!」
キースが言い終わる前、サミーは盛大に拒絶した。当然かも知れない。夜明けまでイジられ続ける危険性は大いに有る。
「じゃあサミー、ヒナとコサカなら?」
「なら、いいけど」
「と言うわけで、三人共、それでいい?」
泊めてもらうのに文句など言えない。
陽成は「うん」と返事をした。他のふたりも同様だった。
最後の後片付けを、小坂とする。
他の三人は二階に上がった。そちらも片付けるらしい。
シンクで食器を洗うと、小坂がそれを拭いて棚に戻してくれる。
「さっきの……小坂さん、うるさかった?」
「え?」
「女の子達が来た時――巳央が二階までうるさかったって言ってたから、リビングに居た小坂さんも、もっとうるさかったんだろうなぁと思って」
「うん。かなり」
「ごめんね」
「何よそれ。湯山くんのせいじゃないでしょ。それとも率先してはしゃいだわけ?」
「ぼっ僕は、ずうっと作業してたよ」
それからしばらく、沈黙が続いた。
洗い物を終え、シンクに飛び散った水滴を布で拭き取る。
それを再び洗い、壁に設置されているタオル掛けに干した。
ふぅ、と陽成は息を吐く。
「お腹がすいて、喉が渇いて……一度、キッチンに来ようかと思ったの。でも女の子ばかりがいっぱいで、すごくはしゃいでて……湯山くんも一緒に笑ってて。私の入れる隙間なんてどこにも無くて。突然、自分がひとりぼっちにされたみたいで、寂しかったの」
――笑ってた? 引きつってたと思うけど。
でも小坂にそう見えたのなら、それが彼女の中の〈事実〉になる。
陽成は女の子達に囲まれて、楽しそうに笑っていた。小坂の事を、ひとりぽっちで放っておいて。
言い訳なんて聞き入れてもらえるはずがない。現場を彼女は見たのだから。
「ごめん」
「だから、朝が来るまで一緒に居て」
「え?」
「ひとりぼっちなんて思わせないで……! せめて、朝が来るまで傍に居てっ」
「う……うん」
同じ部屋に居ればいいのか。一緒に居るとは、そう言う事なのか。
再び全員が集まり、一緒にウォルジーの家を出た。
外は体感温度が更に低くて、身震いするレベルだ。吐く息も白い。
だけど星がとても綺麗だ。
ギラギラと輝き、見つめていると気が遠くなりそうである。
意識を吸われそうになる、とでも言えばいいのか。
男が三人、喋りながら歩いてゆく。
それに少し遅れてついて行く陽成と小坂。
寒そうに身体をすくませる小坂の肩に、陽成は自分のジャケットを掛けた。
「えっ」と驚く小坂。
こんな事をしてしまう自分が気恥ずかしかったから、言い訳をする。
「風邪ひくから」と。
「でも湯山くんだって寒いでしょ」
「大丈夫だよ、だって」
「ん?」
「みんな傍に居るから、寒くない寒くない」
思い切りやせ我慢する。
こんな夜もたまには、ある。




