兄弟 Indutria―英知の番人 9
すっと立ち上がった琢磨。
幼い頃からずっと見上げていた兄。だが今では郁磨が見下ろしている。
二人とも、もう子供ではない。過ぎゆく時の中で、たくさんのものが変わってしまった。
それでもあの頃から変わらないものもある。三大聖者が一人、英知の番人となった今でも郁磨にとって琢磨は琢磨だ。
琢磨が自分の存在に気付いていないことにほくそ笑みながら、郁磨は彼の背後に忍び寄る。
「にぃーいさまっ!」
「ワっっ!!」
「兄様、驚いたぁ! アハハハハ!」
「郁磨っ。ここは神聖なる教会ですよ。騒がないでください」
「僕は騒がしくないですよぉ。騒がしいのは兄様でしょ」
ニコニコ微笑んで郁磨が言うと、琢磨はこめかみに青筋を立てて不機嫌そうに目を細める。
「お前のせいだろうが」
「わぁー、兄様恐いぃー。そんな顔してるとカナンちゃんが怯えますよ」
「いいんだよ。カナンは俺の本性なんかとっくの昔から分かってる」
「そうですよねぇ。で、そのカナンちゃんは?」
キョロキョロ辺りを見回す郁磨に琢磨は面倒くさそうに言う。
「そのうち来るはずだ。何だ、お前カナンに用があったのか?」
「いえいえ。そう言う訳ではないですよ。でもまぁ、僕だってカナンちゃんを大切に思っていますし。顔を見たいのは当然かと」
「あぁーそうかい。……で、今日は実際何の用で来たんだ?」
「特に用なんかないですよ。兄様の顔を見に来たんです」
「…………」
「どうしてそんなあからさまに嫌そうな顔をするんですかぁ!」
「俺だって忙しいんだ。もうすぐ人だって来るし。お前のお守りに割く時間はない。だいたい結木家の御当主様にこんなところで油を売ってる暇はないと思うが?」
琢磨の憑りつく岩もない言葉に郁磨はわざとらしく顔を伏せる。
「ひどい! 『郁磨の来たい時に来たいだけ来ればいい。三百六十五日二十四時間いつでも歓迎するよ』って言ってくれたのは嘘だったんですねぇっ!」
「は? 何のことを言っている?」
「自分が言ったことも忘れてしまうなんて……。僕を弄んだんですね! 僕はあの時の言葉を胸に、今まで辛いことがあろうとも、淋しいことがあろうとも頑張って生きて来たっていうのにっ! これじゃあ悲し過ぎますぅう」
そう言って琢磨に縋る郁磨。
とその時、バサッと何かが落ちる音が礼拝堂内に響く。
結木兄弟は音のした方を振り返った。そこにはぎこちない笑顔を顔に張り付け、その場に固まる鉄の姿。その足元には鉄の物であろう、カバンが落ちていた。
「あ、あぁ、江川君。いらっしゃい」
「……ぉ」
「「お?」」
「ぉ、邪魔しましたぁぁぁああっ!!」
そう言ってカバンを手に物凄いスピードで礼拝堂を後にした鉄。
残された二人は唖然とする。だがすぐに郁磨が大きく吹き出した。
「ッあれ、絶対誤解しましたよ! アハ、アハハハハっ!」
「ふざけるな! 笑い事じゃないだろっ!」
それでも笑い続ける郁磨の首を琢磨はガクガクと揺さぶる。
「何をしているんですか? 神聖な礼拝堂内で騒がしくしてはいけないですよ」
凛とした声に郁磨は首を捻った。白を基調にした制服にカナンの長い黒髪が映える。
「あ、カナンちゃん。久しぶりー。元気だったぁ?」
「お久しぶりです、郁磨。元気でしたよ。郁磨の方はどうですか?」
「あぁー、僕も元気と言えば元気だけどさ。でも、そろそろ兄様エナジー切れそうだったから充電しに来たんだー」
いつもの事に「そうなんですね」と笑ってカナンは礼拝堂内を見渡した。
「鉄くんはまだ来ていないんですか? 先に着いているはずなんですが」
「あぁ、着いてる着いてる。でも今さっき回れ右して帰っちゃったよ。彼にはちょぉーっと刺激が強すぎたみたいでさ。クク」
「刺激、ですか?」
小首を傾げるカナンに郁磨は楽しそうに頷く。
――いつでも郁磨を待ってるよ。教会で、さ。
言い方を、間違ってしまったかもしれない……。琢磨は肩を落として盛大なため息を吐いた。
「あれ、どうしたんですか、兄様? 仕事のし過ぎでお疲れですか? それはいけない! あ、そうだ温泉にでも行きましょうか! 僕、先日いい温泉があるって聞いたんですよねぇ」
お前のせいだ。そう言おうと視線を上げれば、そこにあるのは、いつになっても変わらない大切な人の笑顔。ちゃんとここにある、あの時守ることのできた笑顔だ。琢磨はフッと小さく笑った。すると郁磨もつられてヘラリと微笑む。
琢磨は黒く口角を上げた。
「お前はうるさいから今すぐ帰れ。神事の邪魔だ。じゃなきゃ今後一か月、教会への立ち入りを禁止する」
「えぇー、そんなぁあっ!」
「『えぇー』じゃない!!」
そんな二人を見てカナンはフフフと笑みを溢す。
「本当に仲がいいですね、琢磨と郁磨は」
聖教会極東支部本部。今日は珍しく平和であったのだった。




