誰もいない学校
カフェ・ハラヘリを出た二人は、夕闇に包まれた住宅街を襲いかかって来る人々に向かって全速力で走っていた。
「ほ、本当にこっちなのかなっ?」
鉄は息を切らして問う。
カナンはまた一人、襲いかかって来る人をヒラリと優雅に躱しながら答えた。
「間違いありません。この人たちはシンズの暗示を受けています。シンズは私たちから逃れるために手当たり次第出会う人に暗示をかけているんでしょう。逆を言えば、この人達を辿ればシンズに行き着くはずです」
頷き、鉄は持ち前のフットワークの軽さでなんとかカナンに続く。こんな時に、いや、こんな時だからこそ、ミッションで培ってきた逃げ足の速さの有難味を感じる。
「正体が明るみになった今、シンズは追い詰められているはずです。これほどの人たちに暗示をかけて、私たちを襲わせているのが何よりの証拠です。それに、暗示が不完全になっている」
そうカナンに付け加えられて鉄は初めて気が付いた。
確かに先ほどから襲いかかって来る人たちは、勢いよく襲いかかって来るものの、一度躱せばその後まで追って来ることはない。ただ目的を失くしたようにその場に立ち尽くしている。
ミサやミサの兄に掛けられていた暗示と比べ、確かに不完全なのかもしれない。
「って言っても、これだけの人数を暗示に掛けてるって……」
さすがはシンズと言うべきなのか。鉄は改めてシンズの、その力の厄介さを実感する。
(それにしても……)
ふとあることに気付いた時、カナンがタイミングよく訊ねた。
「鉄くん、気が付いていますか?」
「え?」
「私たちを襲って来ている人たちです」
「……うちの制服を着てる学生ばっかり、ってこと?」
そうだった。OLやサラリーマン風の人たちもちらほらいるが、その襲ってくる人たちのほとんどが、鉄と同じ制服や高校指定のジャージを着ていたのだ。
そして彼らを辿る鉄たちの進行方向には杉並高校がある。
「もしかして、風間はうちらの高校に?」
同じことを考えていたらしくカナンは大きく頷く。
「行きましょう」
細い三日月が天頂向かって上がって行く中、更にスピードを上げるカナンに鉄は続いた。
いつの間にか襲ってくる人の影もなくなり、前方に杉並高校が見えてきた。
「鉄くん!」
突然前を行くカナンが立ち止り、槍を引き抜く。
その先には、見るからに体育系の部活に属するだろう体格の良い、鉄と同じ制服を着た学生が二名。彼らは正面玄関の前に佇んでいた。
「やっぱり学校か」
カナンは彼らから目を逸らさずに大きく頷いた。
彼らは虚ろな瞳で鉄たちを捕えると、フラリと態勢を変える。
「鉄くん、来ます」
「あ、あぁっ――!」
カナンの忠告に相槌を打つや否や、鉄は衝撃に小さく呻いた。なんとか柄で防ぎボディへの直撃は免れたが、その攻撃は今までになく重い。衝撃で剣を握る手が痺れる。
(っこいつ、ボクシング部のエース!)
以前、彰二が骨の有りそうなやつが入って来たと楽しそうに言っていた。襲ってきたのは、そのボクシング部のエースだった。
鉄は舌打ちして剣を構え直す。
彼は手強い。これまで襲ってきた人たちとはわけが違う。
今までだったら尻尾を巻いて一目散に逃げ出す場面。
だが鉄には分かっていた。
――恐れるに足りず。
混乱することも恐怖することもなく、冷静な頭にあるのはむしろ一種の高揚感。
鉄は一度深く呼吸すると、大きく間合いを詰めた。同時に繰り出された剣の切っ先が文字通り彼の目の前を掠める。
それを躱した勢いで目を見開いたまま尻餅をついたボクシング部エース。既に彼からは戦意は失われていた。
剣を引いた鉄の背後には、カナンの姿。
その後ろには同じように男子学生が地面に座り込んでいた。
二人は互いに頷き合い、守りを失った門を潜った。
◇◆◇
杉並公立高校。
静寂に包まれた正面玄関。誰一人いない校庭。
通常であったなら、部活動や委員会活動を終えて帰る学生たちで賑わっているはずの時間だ。それでも所々教室に煌々と明かりが残っているのが見える。
ついさっきまでそこに居た人々。冗談を言い合う声。それらが余韻を残したまま、一瞬にして消え去ってしまったかのような空間。
鉄はその人気の無さに異様な不気味さを感じ取らずにはいられない。それと同時に、ここに風間がいると確信する。
静まり返った校内を二人は足音を忍ばせて進んでいく。やはりどの教室にも人一人としていない。
「一体、みんなどこに行ったんだ?」
「分かりません。でも、静かすぎますね」
思わず漏れた疑問にカナンが声を潜めて答える。
とその時、通り過ぎようとしていた真っ暗な教室の中から物音が聞こえた。
はっとして顔を見合わせる二人。
鉄は剣を左胸から引き抜くと低く保ったままドアの前に立つ。
カナンがゆっくりと引き戸式のドアに手を掛ける。
鉄が小さく頷き、それを合図にカナンは勢いよくドアを開けた。




