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罪を裁く正義の剣

 次の瞬間、鉄はひどい吐き気を催し、えづいた。ナイフの切っ先が頬に触れ、薄っすらと一本赤い線が浮かび上がる。

 だがそんなことを気にする余裕は鉄にはなかった。何にも入っていない胃が、何かを外に出そうとする。この不快感をなんとかして体外に排出しようとする。

「あぁーあー、何やってるんだよ、江川君。厨房は清潔第一なんだよぉ? 全くっ」

 荒い息で睨みつけてくる鉄に風間は首を傾げた。

「もしかして、びっくりしちゃった? 気持ち悪いとか思ってる?」

 不快感を抑える為、鉄は唇を噛んだ。

 答えようとしない鉄に風間は肩を竦める。

「そんなの今更だよ。うちの店で出してるランチ、なんで肉料理が多いか教えてあげようか? それは――」

「もういいっ!」

 堪らず遮った鉄。その続きは、聞きたくなかった。


(何で……何で、こんなことになっちゃったんだろう)


 何故か鉄の脳裏にカナンと初めて出会った夜の事が蘇る。

 美しくも恐ろしい聖女。鉄を裁こうとした、純潔の白百合。それから学校で再開した時の事。共に挑んだミッション。少女らしい笑顔。そして悲しげな笑みと、セイントになった過去を打ち明け、去って行った背中。

 この数か月、鉄は今までにない程の危険と、そして安らぎを体験した。

 なるべく目立たないように、時にはやりたいこともあきらめて生きてきた。それが最良の方法だと思って生きてきた。だがそれは違ったのだ。

 ただ逃げていただけ。立ち向かうことから、逃げていただけ。

 立ち向かってみれば、自分から飛び込んでみればよかったのだ。飛び込んで、それでもダメなら仕方がない。しかし、そこにはどうにかなる可能性だってあったのだ。安らぎがあったのだ。

 やはり正義なんてものないのかもしれない。やはり世界はひどく理不尽かもしれない。だが、それだけではないかもしれない。

 それを気付かせてくれたのはカナンだ。


――カナンがいてくれたから。カナンと、出会えたから。


 鉄はつま先が白くなるほど拳を握りしめ、頭を下げた。

「頼むから……頼むからカナンは返して。……俺が、変わりになりますから。お願いしますっ……」

「…………」

 風間はカナンの髪を落とすと、項垂れる鉄の前に立った。

 一本のナイフが鉄の顎下に突き付けられ、そのまま上に上がる。鉄はナイフの動きに合わせて顔を上げた。

「江川君、君は何か勘違いしてるよね。カナンちゃんは、折角手に入れた聖女だよ? 超貴重なの。超レアなんだよ。それに対して君は何? 食材としても、人としても何の価値も、旨味もなさそうなだたの男子。君が彼女の代わりに成れるわけなんかないだろっ!?」

 風間は鉄の足を蹴りながらそう冷たく言い放った。

 だがその痛みより、何もできない現実への悔しさと不甲斐なさが鉄を抉り、痛めつける。

「……っぅ……ちくちょう、ちくちょうっ、ちくしょうっ!!」

 再び自由になろうともがく鉄。手足が自由になるどころか縄は更に締まってゆく。

 ついにミシリと嫌な音を立てて縄は鉄の肋骨に食い込み始めた。

 息が、できない。腕が、胸が砕けそうな予感に鉄は呻く。


(何でも良い……、力が欲しいっ)


「締まって来た? 苦しい? 縄に骨まで砕かれるがいいよ」

 フフフと目を細める風間の姿が霞む。それでも鉄は風間を睨みつけたまま歯を食いしばる。

「くっそぉぉぉおおおおっ!!」


(カナンを救える力が欲しいっ!)


 と、その時突然辺りが光に包まれた。はっと目を開けた鉄は驚いて見渡す。

 そこは何もない空間。カフェ・ハラヘリの厨房でも、聖教会でも、学校でもない。

 風間も、カナンの姿もない。

 拘束されていたはずなのに、手足も自由だし、息苦しくもない。ただ眩いほどの光が溢れたどこか。そんなところに鉄は一人立っていた。

「ここ、は……?」

 そう呟いた鉄の声が幾重にも何もない空間に反響する。

『……めるか』

 誰かの声が聞こえて鉄は咄嗟に振り返る。

 だが誰の姿もない。空耳にしてははっきりと聞こえた。すると、再び同じ声が響く。

『力を、求めるか?』

「力……?」

 聞き返すと鉄の周りの光がそよいだ。

『お前には資質がある。我と約定を交わすのなら力を授けよう。お前に、力を与えよう。力を、求めるか?』

「それがあれば、カナンを助けられるのか?」

 鉄の問いに優しく光がそよぐ。鉄は拳を握りしめた。

「力……、欲しい……。カナンを救える、力が欲しいっ!!」

『ならば受け取れ。罪を裁く正義の剣』

 光が溢れ、鉄は左胸に焼けるような熱を感じた。


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