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長い影

 おどけながらもはっきりと肯定したミサを鉄は愕然として見つめた。


(やっぱりミサさんだったんだ……)


 獣に護られた館。獣は看板犬のブルのいる、このカフェ・ハラヘリの事。

 宴はここが食べ物を出すカフェだからだ。そしてシンズに操られていた男が呟いたのは儀式ミサではなかった。あれは自らに暗示をかけた人物――ミサの名前だったのだ。


――セイントは、いつ何時命を狙われるか分からない。


 鉄はカナンが以前淋しそうに言ったことが思い出し、小さく呻く。

 全くその通りだった。

 気を付けていたはずのカナンのガードを、知らぬこととはいえ結果的に緩ませてしまったのは自分だ。鉄は自らを殴り倒したい衝動に駆られた。

 鉄は僅かに拳を震わせながらミサを睨みつけた。

「カナンを返してくださいっ」

「うーん、それは無理かしら」

 悪びれもせずそう言って、ミサはいつもの様に人懐こそうな笑みを浮かべた。

「だってカナンちゃんは今夜の大切なメインディッシュだもの」

「メイン……、ディッシュ?」

「フフ、そう。純潔の白百合が今夜のメインディッシュ。最高の宴になるに違いないわ。そうだ、鉄君もどう? きっと鉄君も気に入るわよ」

 何を言われているのか、混乱しきった鉄にはうまく理解できなかった。 だがひどく不穏な事を言われているのは感じ取れた。

「――カナンを、返してください」

 硬い声で要求する鉄。

 ミサは我儘を言う子供の相手に疲れたようにふぅと小さくため息をついた。

「ねぇ鉄君。君、知ってた? 私ね、鉄君の事、結構気に入ってたのよ。だからあの時警告もした」

「警告?」

「そうよ。覚えてない? 失踪事件が起こってるから気を付けなさいっていったでしょう? でも私の警告なんて全く聞いてくれなかったけど。もぅ、仕方ないわねー。それじゃあ、鉄君も――」

 そう言ってミサは背後に手を伸ばす。そしてゆっくりと戻した彼女の手の中にあったのは、暗がりにも分かる程鋭いナイフ。

 鉄は息を詰めた。

 ミサは目を細め、人懐こそうに笑む。

「メインディッシュとはいかないけど、鉄君でもオードブルくらいにはなるかしら? ねっ!」

 間合いを一気に詰めて、ミサは鉄に切り付けた。

 辛うじて回避したが、鉄は勢い余って客席にぶつかる。椅子が倒れ、テーブルがガタンと音を立てた。

 倒れ込むのは免れたものの鉄は脇腹を打って小さく呻いた。

 ミサはそれを見て、ナイフの刃を指先で撫でながら楽しげに言った。

「フフ、鉄君大丈夫? あんまり暴れちゃ駄目よ。傷や痣が出来たら手間が増えちゃう」

「……なんで? なんでこんなことするんですかっ!?」

 半ば慟哭と化した鉄の問いにミサは虚を突かれたように一瞬目を見張り、そしてふっと笑った。

「なんで、か……。そうね、なんでかしらね」

 ミサの横顔がなぜかひどく悲しげに見えて思わず鉄は戸惑った。

 ミサはシンズの筈なのに。人を惑わし、陥れる忌むべき存在の筈なのに。


(なんでそんな顔するんだよ……)


「ミサさん……」

「なんでなんて、もうどうでもいい。そんなの考えても不毛なだけよ。私は、これでいいの」

 ミサはナイフの切っ先を真っ直ぐ鉄に向けた。

「さぁ、鉄君。追いかけっこももうおしまいにしましょ。大人しくしてちょうだいね」

 ジリジリと近づいて来るミサ。一方鉄は下がろうにもテーブルと倒れた椅子に退路を断たれ、もはや一歩も下がることが出来ない。


(ヤバイ、このままじゃ、死ぬっ)

 迫りくる死への確かな予感。

 極度の緊張に頭は暑いのに、手足は痺れているようにやけに冷たく、感覚がない。鉄は何とか手に力を入れようとする。

 とその時、指先に冷たいものが触れた。そしてそれが何かを悟る。

 以前、ハラヘリに来た時に見たそれ。全テーブルに設置されているもの。

 コツリ、とまたミサが間隔を詰める音がする。

 鉄はミサから目を逸らさぬまま、それを静かに手に取った。

「そう、いい子ね、鉄君。抵抗しなければそれ程痛くない。一瞬だから」

 どこまでも優しいミサの声と彼女の手に光るナイフ。


(今しかないっ!)


 鉄はそれを握りしめたまま大きく振りかぶった。

「っ!」

 声にならない悲鳴が上がった。

 陶器が割れる音に次いで、バサリとミサは床に崩れ落ちる。

 肩で息をする鉄の手からそれの残骸が落ちた。

 クリーム色の陶器の破片。

 カフェ・ハラヘリの各テーブルに置かれていたシュガー・ポットだった。

 床に倒れるミサのこめかみのあたりに鮮血を認めて、鉄は慌てて屈みこんだ。

 恐らく、大事には至ってないだろう。突然の事にミサが動きを止めたのを見て、直撃することを確信した鉄は力いっぱい振り下ろすことを躊躇ったのだ。

 脈がしっかりしていることを確認して、ようやく安堵する。自然と鉄の口から息が漏れた。

「ふぐ、ぁっ――!?」

 突如として後頭部に重い衝撃を受けバランスを崩した鉄は、咄嗟に床に腕を着く。


(なん、で? シンズは倒したのに……っ!)


 酷い痛みに掠れてゆく視界に見えたのは、床に臥したミサの横顔。そして背後から延びる長い影だった。


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