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嫌な予感

 見慣れた繁華街を小道へと入る。しばらく行くと、屋根に白い十字架が立つ建物が見える。聖教会・日本支部本部だ。

 鉄は久しぶりに目にする、いかにも教会らしい重厚な作りの扉を前にして、再び激しい葛藤に陥っていた。

 電車に飛び込み、繁華街を無駄に駆け抜けたところまでは良かった。彰二に後押しされたこともあり、若者独特とでも言おうか、勢いがあった。当って砕けるなら本望とまで言える潔さがあった。

 だが、教会が目に入った瞬間、それが引き潮の如く萎えて行き、教会の扉の前に立つ頃にはまた数時間前の江川鉄に戻ってしまっていた。

 だいたいこの一週間、来ようと思えば教会に来ることはいつでもできたのだ。体の調子はどうか。見舞いと言う名目の下、カナンを訪ねることはいくらでも出来た。だが鉄はそれをしなかった。いや、できなかった。それが真実だ。

 どの面下げて来たのだ。そう言われることは無くても、思われるかもしれない。そして鉄はそれを感じ取れる、全くもって無くてもいい余計な自信があった。

 臆病風という名の暴風に吹かれ、鉄の決意は木の葉の様に揺れる。

 暫しの逡巡の後、ドアノブに伸ばしていた手を握り込み、そっと体の横に戻した。


(……やっぱり帰った方が良い、よな)


 我ながら情け無さ過ぎるが、鉄は小さくため息を吐きつつ踵を返す。

 とその時、背後からギギィッと言う音がした。

「おや? ……そこにいるのは、もしや江川君ではないですか?」

 聞き覚えのある声にぎくりと肩を揺らした鉄は、ぎこちない笑みを浮かべながら振り返った。そこにはもちろん今一番会いたくない人ランキング、ナンバー2の姿。

「……ドーモ」

「いやいや、奇遇ですねぇ。こんなことでどうしましました?」

 小首を傾げて聞いてくる結木神父。

 絶対奇遇じゃない。絶対にこの人は自分が来るのを、そして今まさに立ち去ろうとするのを分かっていて出てきたに違いない。でなければこのタイミングはおかしい。


(このタヌキ神父っ!)


 相変わらずの白々しさに内心悪態を付きつつ、鉄自身も白々しくとぼけてみる。

「ぃ、イヤー、天気がいいんで散歩をしてたんですけど、いつの間にかここに来ちゃってたみたいですね! どうしたのかなぁ? アハ、アハハハ」

「ほぅ…………そうなんですか」

「ソーナンデスっ!」

 あからさまに疑いの目を向ける結木に鉄は思いっきり肯定する。やはり無理があったが、ここまで来たら嘘を誠にするしかない。

 その様子に小さく失笑した結木は、やがてついと鉄の後ろに視線を投げた。

 鉄もつられるようにして首を捻る。だがそこには誰もいない。

 いつもの裏路地。繁華街の賑わしさが遠くから聞こえてくるだけだ。

 結木がポツリと呟いた。

「まだ、ですね……」

「は?」

「……いえ、なんでもありませんよ」

 そう言いながら結木は大きなため息を吐いた。

 鉄は僅かに目を見張った。

 深夜の二時に予期せぬ来訪(江川鉄本人)があろうとも、早朝礼拝があろうとも、今まで次の日にはその疲れなど決して見せることのなかった結木の横顔に、よく見ればありありと疲労の色が浮かんでいたのだ。鉄は訝しがり、おずおずと聞いてみる。

「あの、何かあったんですか?」

「何か……そうですね、あったのでしょうか」

「…………え、えぇ?」

 逆に聞かれても困る。やや傾いできた太陽を遠い眼で見ながら問い返す結木に鉄は拍子抜けすると共に戸惑った。

 大丈夫だろうか、この人は……。何故かはわからないが、とにかく余程疲れているのだろう。そう慮っていると、静かな教会内がにわかに慌ただしくなった。走る足音が扉に近づいて来る。

「結木様っ!」

 礼服を来た神父らしき男は息を切らせながら結木の背後まで辿り着くと、息を整える間もなく結木の耳元に何かを囁く。ひどく眉を顰め、口元に添えた手を僅かに震わせながら耳打ちする男に対し、結木は僅かに俯いて静かに耳を傾けている。

 二人の間にただならぬ空気を感じ取ったものの、自分はしょせん部外者である。なんとなく居心地悪く感じ、鉄はこれを機とばかりに今度こそ回れ右をする。

「ぇっと、じゃあ俺はこれで――」

「江川君」

「はぃ?」

 呼び止められて反射的に振り返った鉄は息を詰めた。なぜなら、今まで見たこともない険しい表情の結木が鉄を見据えていたのだ。

 柔和な仮面の下に隠された結木の本性を知らないわけはない。だが、何かが、何かがいつもとは決定的に違う。

 つい先ほどまでは感じられなかった結木から発せられる静かな激情。そのせいで頬がピリピリする。

 一体どうしたと言うのか。鉄を言いようの無い嫌な予感が襲う。

 もう一人の神父が再び足早に教会内へと遠ざかってゆく足音がやけに鉄の耳に響いた。

 そしてゆっくりと結木が口を開いた。

「――カナンが、シンズの手に堕ちました」


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