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存在理由

 あの男は操られていただけ。シンズでは、ない。カナンの言葉が頭の中で繰り返される。絶句している鉄にカナンは静かに続けた。

「シンズは人を、特に罪人を操る力を持っています。暗示のような力で人を操るんです。操られたものは自分が操られていることにも気づかずにシンズの思いのまま動く人形となり果てます。……ちょうど、彼の様に」

 そう言ってカナンは悲しげに男を見やった。

 鉄も地面にうつ伏せに倒れる男を見る。

「それって、この人はただ操られてただけってこと? でも操られてたって言っても……」

 この男の形相と言い、殺気と言いただ事では無かった。鉄の脳裏に狂った猛獣のような男の姿が思い出される。暗示なんていうもので人をここまで操れるものなのだろうか。鉄には俄かには信じがたい。

 カナンは悲しげに細めた目を男から逸らさずに頷く。

「シンズの施す暗示はとても強力です。先ほど追い詰められた彼が暴走したのは、恐らく目撃者やセイントを抹殺すると言ったような、暗示の中に込められた指令を達成できないと感じたためだと思います。なんとしても指令を達成するよう暗示されていたのでしょう」

 鉄はシンズのやり方とその力に嫌悪と、そして強い恐怖を再び覚えた。

だが、この男がシンズでないとすると浮かび上がるのはただ一つの疑問。


――シンズは、四人目のシンズは今どこに?


 鉄の疑問に同調するようにカナンは険しい表情で囁いた。

「やり直しです。彼という手掛かりは得ましたが、彼は四人目のシンズではありません。また、やり直しですっ」

 唇を噛み、柄を握る手に力を込めて吐き捨てたカナン。その横顔はいつもの聖女の優しさも慈悲の欠片さえも無く、ただただ悔しさと苦渋に染まっていた。

 その姿に鉄は言いようの無い衝撃を受けた。

 やはりシンズと言う存在はカナンにとって何か、とてつもなく大きて深い、そして暗い意味を持つのだ。

 あれほど知りたい、知ることで力になれるに違いないと思っていた心に急速に懐疑が広がってゆく。


(本当に、俺が踏み込んでいいことなのか……?)


 一人思い悩む内に、不意にふっとカナンが眉を下げて小さく笑みを漏らした。

「失敗ですね。これが四人目のシンズの思惑によるものなのかは分かりませんが、私は彼をシンズだと思って復讐するところでした。本当に……なんて滑稽なの……」

 自嘲を露わにしたカナンの冷めた物言いに鉄は胸が締め付けられた。

 どうしてそんな顔をするのか? どうしたら力になれるのか? 鉄は答えの出ない問いを自らに問う。だが問えば問うほど、悶々とするばかり。これまでのように何もできずに、ただ歯痒いだけだ。


――これからも?


(そんなの……、そんなの、もう無理だっ)


 小さく頭を振って鉄は一歩踏み出す決意をした。

「……カナン、カナンにとって、シンズは何なの?」

 カラカラに乾いた口から出た疑問。

 語尾が掠れたがカナンにはしっかりと聞こえていたのだろう。鉄の問いにカナンは驚いた様に一瞬目を見開き、そして困ったように微笑んだ。

「私は、セイントです。神の御心のままにシンズに裁きと復讐を行うのが、私の使命です」

 セイントとして、模範解答に違いないその答え。

 だがそれが真実からだけではないことを今の鉄は知っていた。その証拠に彼女の声は微かに震えていた。鉄は拳を握って更に問う。

「そう言う事じゃなくて……。カナンは、……どうしてそこまでシンズにこだわるの? なんで……」


――そこまでシンズを憎むのか?


 カナンが空き地で男を迎えた時の瞳。

 今思えば、あの瞳にあったのは怜悧さだけではなかった。確かな憎しみが滲んでいたのだ。

 言い切られる事の無かった鉄の問いを汲み取ったカナンは虚を突かれたように顔を強張らせた。

「それ、は……」

 そう言ったきり俯いてしまったカナン。

 鉄の頭に鈍く、重い衝撃が響く。

 半ば予想していた事だったが、やはり実際にこの状況に直面するのとでは全く違う。


(やっぱり、俺じゃダメなんだ……)


 そう思った途端激しい絶望感に襲われたが、それを気取られまいと鉄はすかさず軽い口調で謝った。

「あ、あー、ごめん、急にそんな個人的なこと聞いたりして。無神経だったよな、俺。ホントごめん。気にしないで!」

 動揺を取り繕う様に貼り付けられた笑顔はぎこちない。

 そんな鉄の姿に、カナンは何か言葉を掛けようと口を開き、だがすぐに噤んだ。落とした視線の先には純潔の槍。その刃は戻った街灯の光を反射し、彼女自身の姿も映し出している。しばらく自身と対峙した後、カナンはつと顔を上げた。

「シンズに復讐することは……私の存在理由なんです」

「存在、理由……?」

 突然の告白。

 聞き取った言葉を慎重に確認するように聞き返す鉄に頷き、カナンはどこか遠くを見つめて続けた。

「私がセイントになったのは、十歳の時でした。私は大切な人を殺めたんです。――この手で」


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