プランB
高らかに息巻いた鉄の脳内では、現在大量のノルアドレナリンが分泌されていた。
つい数十秒前、今までにない程に脳を駆使して思い付いた計画。
それは自ら囮になって四人目のシンズをカナンから遠ざけることだった。
結局はいつも通りの役回り。考えるまでもなく、それしか残された道はなかったと言ってしまえばそれまでだが、それが今の鉄に打てる最善最良の策であった。
先ほどの大見得が功を奏したのか、男は思惑通り鉄に向かって来ている。確実にカナンから離れていっている。ここまでは順風満帆、問題ない。
だが問題はここからだ。
ここからあの男を誘い出し、ある程度の距離を捕まることなく逃げなければならない。
あの男がどれほど俊敏なのか、カナンとの戦いで鉄は嫌と言うほど見た。本気になれば死ぬ気で走ったところですぐに捕まるだろう。だがしかし、例え百歩譲って捕まるのは避けられない運命だとしても、この計画の本懐だけは遂げなければならない。
(カナンだけは、なんとか……っ)
鉄は近づいて来る男の動きに全神経を集中させ、徐々に縮まってゆく距離から走り出すタイミングを見計らう。
(あと三歩、あと、二歩……)
早打つ鼓動を抑えながら冷静にカウントダウンしていく。だが鉄は最終カウントを前に小さく息を詰めた。
男が立ち止ったのだ。
鉄は極限の困惑を隠して男を窺う。
その様子は先ほどと変わらない。悪魔に憑りつかれた狂人そのもの。
だが、ただ一点異なることがある。男は完全に沈黙していた。
――なぜ?
そう思うと同時に鉄の体に凍てつくような痺れが駆け抜けた。
(まさか、気付かれたっ?)
鉄は内心慌てふためき、プランBに思いを巡らす。
だが、そんなものはない。鉄に出来るのは男の気を惹き、ここを離れることだけなのだ。再びどうしようもない絶望に襲われ、鉄は顔を悔しげに歪めながら男を見つめる。
男がゆらりと振り返った。その先には、カナン。
「くそっ」
小さく漏らし、最後の手段――捨て身の戦法に出るべく足を踏み出した。
とその時、男の肩越しに立ち上がる人影を見た鉄は驚愕に目を見張った。
白い制服は無残にも砂埃で汚れていたが、その手には既にあるべきものを握っている。長い黒髪が靡き、ゆっくりと顔を上げる。青い双眸が男を射ぬいた。
「あなたの相手は、私です」
先ほどと全く変わらない凛とした声でカナンが言い放つと、男は喉の奥で獣じみた唸り声を上げた。
するとカナンは男を見据えたまま、ふと眉を顰めた。それが敵意や憎しみのためではなく、どこか憐憫を帯びていて鉄を違和感と一抹の不安を覚える。
カナンは僅かに天を仰ぎ、再び男を見据えた。
その表情にはもはや憐憫の色はない。あるのは気高さと悪を許さない清廉さのみ。
「あなたは、罪を犯しました。これは罰。罪人は罰せられなければなりません。悪は神の名のもとに滅びるのが定め……」
男は唸り声を更に大きくしカナンを威嚇する。
カナンは男に向かって純潔の槍を構えた。
「――復讐するは、我にあり」
男は雄叫びを上げてカナンへと襲いかかった。
カナンは態勢を崩すことなく、その場に留まり男を待ち受ける。
その状態に鉄は外野ながらも焦った。先ほど力でねじ伏せられたばかりだと言うのに、この真っ向勝負。ただでさえダメージを受けているはずのカナンに、あの男と正面から対決する力が残っているとは到底思えない。
男の腕がカナンを捕えるべく振り上げられ、鉄は思わずカナンの名を叫んだ。




