資質ときっかけ
「江川君、最近変わったことはありませんか?」
「何ですか、変わったことって?」
唐突の質問を質問で返しながら、鉄は新しいお茶を手に再び椅子に腰を下ろした。
今回は自分の手で淹れ直したので、ちゃんと綺麗な薄赤茶色をしている。その表面にはおかしなものは何一つ浮いてはいない。
一方、結木は先ほどと変わらず、優雅にカップを傾けてストレート(唐辛子抜き)の紅茶を飲んでいる。
「いえね、最近江川君の周りで変わったことはあったのかな、と気になりまして。何でも良いんですが、どうですか?」
「変わったこと、ですか……」
とても曖昧で意味深長な聞き方をする。怪訝に思いつつも、鉄は最近身近で起きた変わったことを思い起こす。
変わったこと。又聞きだが、あれくらいだ。鉄は自信無さ気に答える。
「最近、失踪事件が起こってるらしいです」
「失踪事件……。ここ一か月の間に子供たちが次々にいなくなっているという、あの事件ですか?」
「はい、多分……」
「確か江川君の通う学校の近くでも子供がいなくなったんでしたね」
「そうらしいです」
(なんだ、知ってんじゃんか)
一体何が聞きたいのだろうか。聞くまでもなく、少なくとも自分よりかはこの事件について詳しそうな結木を前に鉄は首を捻らずにはいられない。
内心ごちた鉄を横目に結木はフムと思案する。
「では、その他にはどうですか? どんな些細な事でも良いんです。何か気付いたことはありませんか?」
「気が付いたこと……」
「えぇ、何でも良いんです」
考えているうちに脳裏に浮かんだのは儚げに笑むカナンだった。そして、それしか鉄には思い浮かばなかった。
結木は何か知っているのだろうか。
カナンは結木の前では聖女でない、素のカナンでいることが多い。カナンは結木の事を名で呼んでいるし、聖教会という大きな繋がりの他にも、二人の間には信頼のような何か特別なものがあるのを鉄は時折感じる。
それに加え、何と言っても結木とカナンは現在一つ屋根の下で暮らしている。
「何か思い当たるんですね?」
鉄の思考の揺れを読み取ったように結木に指摘されて、鉄は思わず視線を泳がせる。結木が聞きたいのはこんなことではないだろう。
だが、結木は鉄を見据えて答えを待つ。やがて鉄は観念したように小さく頷いた。
「……最近、カナンの様子がおかしいなって」
「カナン、ですか。それは、まぁ……仕方のない事ですかね」
そう言う結木の口元は苦笑にも自嘲にも似た形に歪んでいく。
だがそれもほんの一瞬の事。鉄がそれに確かな違和感を覚えるより先に、結木はカップをソーサーの上に戻しながら冷めたように言った。
「彼女のことなら心配ありません。ただ新たなシンズが現れることにナーヴァスになっているだけのことでしょうからね」
セイントとして、四人目のシンズの出現にカナンが敏感になるのは想像できる。だが、本当にそれだけなのだろうか。
根拠はないが、鉄には他に自分の与り知らぬ何かがあり、今回のシンズ出現よりもむしろ、その何かが彼女を苛んでいる気がしてならない。鉄は 結木の応えに納得しきれずに目を伏せた。
それに気付いたのか結木は口角を上げてクスリと笑った。
「それにしても江川君、よく気が付きましたね。あの子は、結構演技がうまい方なんですけどね」
「な――……!」
カナンと言う少女と聖女。
その二面性を知る数少ない人間であるはずの結木が放った言葉に、どこかカナンを揶揄するものが含まれている気がして鉄の頭に一気に血が上る。結木は確かにひどく腹黒い人物だが他人を貶めるようなことは口にしないと信じていたのを裏切られた気分だった。
「それはカナンが君に心を開いているからでしょうか? それとも、江川君がカナンをよぉーく見ているから? 一体どちらですかねぇ」
拳を握りしめて睨んでくる鉄を楽しそうに眺めながら、結木は軽く頬杖を付いて眼鏡の下で意地悪く微笑む。
無言の応酬の後、先に折れたのは当然のことながら鉄だった。
唐突に目を逸らし、鉄は乱暴にカップに手を伸ばしぬるくなった紅茶を一気に煽る。
それを見て結木は堪えきれなくなったように口元を歪めた。
「――なんてね」
「……へ?」
軽いノリの幻聴を聞いた気がして思わず振り向けば、したり顔の結木。
今まで自分の悪態を満足そうに観察していたはずだったのに。唖然としている鉄の前で結木は感慨深げに胸の前で手を組む。
「いやー、超超超淡泊な江川君にも春ですかぁ。良いですね、春爛漫。あ、季節的に今は秋ですけどね」
「はぁ、そうですね……って、はぁっ!?」
文字通り事態の急展開に付いて行けない鉄。だがやけに愉快そうにクツクツと笑っている結木を見てまたもや、そう、またもや、からかわれたことに気付く。
(またまたまたまたっ、やられたっ!)
本日この短期間に既に二回目。
結木と出会ってからを思い返せば、両手で数えられていたあの頃がとても懐かしい。鉄は自身の学習能力の低さを恨めしく思わずにはいられない。
だがここでいつものように噛み付いてしまってはこの腹黒神父の思うツボ。
今日こそは一矢報いたい鉄は暴れまわる腹の虫を宥めて抑えて冷静に、あくまで大人な態度を取ってみる。
「ま、前にも言いましたけど、超超超淡泊はいろんな意味で誤解です。俺は、列記とした正真正銘、健全な男子高校生ですからっ」
顎を上げて宣言する鉄。態度は大人でも、指摘所も言っていることもやはり高校生である。しかし、言わずにはいられない。だって大切な事ですから。
「そうそう、そうでしたね。ではそんな色欲に塗れた江川君に私から一つ、教えてあげましょう」
(マミレっ……)
そこまで言われてしまうと手放しには賛成できないが、全否定することも出来ない鉄は口元を引き攣らせるに留めた。
「カナンのことですが、心配無用と言ったのは何も彼女のことがどうでもいいと言うわけではありません。江川君が感じたように、私も最近のカナンの変化には気が付いていますし、それなりに気にもしています。ですが、あれはいつものこと。私達にはどうすることも出来ないことからです」
――いつものこと? どうすることも出来ない?
結木の言わんとするところを掴みかねて鉄は眉を顰める。
それを横目で見て結木は再びカップを手に取り、ふと陰った笑みを浮かべた。
「神に選ばれた者、セイント。江川君は、彼らがどのように選ばれると思いますか?」
唐突に思いがけないことを問われた鉄は短い逡巡の後、唯一知る聖者であるカナンから思い付く素質を言ってみた。
「正しい行いをしてる、とか、あとは心がキレイ、とかですか?」
「フフ、江川君がどんなふうにカナンを思っているのかが如実に伝わってきますね」
「えっ、そそっ、そんなことはっ」
――ある。
思い切り図星を指され狼狽する鉄。結木は淡く微笑んで、カップに入った紅茶の薄赤茶色に目を落とした。
「そうですね。正しい行いをしている、というのは当て嵌まっているかもしれません。少なくとも我々の知る限り、歴代のセイントは皆元々熱心なビリーバーでしたから。でもね、それだけではありません。セイントに選ばれるには、――資質ときっかけが必要なのです」
「資質と、きっかけ……?」
ぼんやりと繰り返してみた鉄だったが、口にしたところであまりピンと来なかった。すると結木は確認するように訊ねた。
「カナンが純潔の聖女と呼ばれているのは知っていますね?」
「はい、それはさすがに」
「ではなぜかは知っていますか?」
「……いえ」
(そう言えば、何でだろう?)
――カナン・マジェッツ。この世に三人存在する聖者が一人、純潔の白百合。
皆そう彼女の事を呼んでいる。
清く正しく美しくを人にしたようなカナン。彼女のイメージにぴったりと合うその通り名に、「なぜ」そう呼ばれているか鉄は疑問を抱いたことが無かった。鉄の無言の疑問に結木はそっと答える。
「カナンが純潔の聖女と呼ばれているのは、彼女がcastitasの聖痕を持つためです」
「カスティ……?」
「castitas――純潔を意味する古代語です。シンズは傲慢、憤怒、怠惰、嫉妬、強欲、暴食、そして色欲、七つの大罪の証と力をそれぞれ与えられます。それに対してセイントには、節制、純潔、忍耐、許容、勤勉、慈悲、正義――七つの美徳の中から、それぞれ最も適した資質に即して力として聖器とその証として聖痕が与えられるのです。力については江川君も既に知っているでしょう?」
「純潔の槍のことですか」
「えぇ。純潔の槍は、神からセイントに与えられる力の中でもシンズを裁くことのできる現在我々が持つただ一つの聖器です。カナンを除いた二人の聖者の力ではシンズへ復讐することはできません。単純に直接的な復讐を目的としない力なのです」
――カナン、あなたは我々の中でただ一人、シンズを裁ける武器を持っているのです。これからあなたには、シンズへの復讐という最重要ミッションに向け万全を期してもらわなければなりません。
だからあんなことを言っていたのか。先日新たなシンズの出現を預言した時に結木が言った言葉を鉄は思い出す。
「聖痕と言うのは、その名の通り神の力を与えられたセイントのみがその身に宿すものです。セイントは聖痕からその身に宿された聖器を呼び出します。聖痕と言えば聞こえは良いですが、……私に言わせればどちらかというと烙印みたいなものですかね」
そう言って結木はクッと露わに口元を歪ませた。
何気ないように付け加えられた最後の一言が、ひどく皮肉めいていて内心鉄は戸惑った。先ほど鉄をからかっていた時とは明らかに違う。結木から感じる確かな哀愁とも、自嘲とも言えない感情。
相槌を打つことさえもできないでいた鉄を結木は眼鏡の下から見やった。
「カナンはその昔、ある出来事をきっかけに純潔の資質を神に認められその身に純潔の聖痕を得ました。今彼女が塞いでいるのは、新たなシンズの出現に彼女がセイントとなるきっかけとなった事件を思い起こさずにはいられないからでしょうね。以前シンズが現れた時もそうでした」
「……何が、あったんですか?」
聞いてしまってもいいのだろうか。そう思いはしたが、鉄は聞かずにはいられなかった。
カナンの過去を本人ではなく結木に聞くことへの罪悪感はもちろんある。カナンの過去や触れられたくない部分を土足で踏み荒らすようなことをしようとしているのかもしれない。だが鉄は知りたかった。
――カナンを苛み続ける、セイントとなったきっかけ。
それを知れば、自分にできることが何か見つかるかもしれない。ただ遠くから見ているだけではなく、彼女のために何かができるかもしれない。そうしたい、否、そうしてみせる。
自己満足と言われてしまえばそれまでだが、鉄は純粋にカナンのために、何かをしたかった。
緊張した面持ちで答えを待つ鉄を結木は黙って見つめていたが、やがてにっこりと柔和な笑みを浮かべ首を傾げた。
「さぁ、何でしたかねぇ」
「え……えぇ?」
白々しく、そして爽やかにとぼけられて鉄は唖然とするしかない。
結木はチッチッチと舌を鳴らしながら楽しそうに人差し指を揺らす。
「駄目ですよー、江川君。言ったじゃないですか、一つ、と。まぁ、どうしてもと言うなら話さないこともありませんけど、これ以上はタダと言う訳には」
「タダ……って、金取るんですか!?」
「取るとは言ってませんよ、人聞きの悪い。あくまで、江川君がどうしてもと言う場合には、しかたなく、しょうがなく、断腸の思いで拝聴料を頂くと――」
「取るんじゃないですか! ってちょっと、神父がそんなことしていいんですかぁ!?」
ご尤もな反論に結木は指を顎に当てて思案顔をする。
「あぁ、確かにまずいかもしれないですね……では善意の募金ということにしますか」
「しますかって、サラッと募金を要求しないでくださいよ! ってかその時点でもう募金じゃなくなってるじゃないですか」
「えぇー、もう江川君は面倒ですねぇ」
フゥと結木はいかにも大儀そうにため息をつく。するとすかさず、
「『えー』って俺のせいですかっ! いいですか、だいたいですねぇ――」
やはり噛み付かずにはいられない。これはもう性というものなのだろう。
江川鉄、大人になる日はいろんな意味で遥か遠そうである。




