イーヴン
――否定できないから……?
自ら思い至った仮説に鉄はぐっと口を噤む。
人並み外れた、悪魔級の罪人が四人も世の中を闊歩するのだ。危機以外の何物ではないではないか。
結木は鉄の心の内を読み取ったかのように薄っすらと微笑んだ。
「あぁ、でもそんな顔しなくても本当に大丈夫ですよ。少なくとも当分は、ね」
「当分って……」
鉄が不満げに呟くと、結木は顔の横で人差し指を立てた。
「江川君は知らないかもしれませんが、シンズがこの世に存在することは今に始まったことではありません。先ほど言いましたが、この世には既に三人のシンズが潜んでいるのですからね」
確かにそうだ。鉄は言葉を呑み込んで結木の言葉を待つ。結木は満足げに微笑んで続けた。
「罪を犯す者はいつの時代もいつの世にも存在します。そしてその罪が重くなるほど、深くなるほど罪人はシンズへと堕ちて行く。罪人がこの世から消滅しないように、シンズがこの世にいないということはあり得ないのです」
「それじゃあ俺たちは知らない内に実はいっつも存亡の危機に晒されてましたってことですか?」
「んー?」
「だから! その、『んー?』は止めてくださいよ!」
とは言うものの、今回は間が無かった。これは、肯定と採るべきだろう。
――知らぬが仏。
昔の人は良く言ったものだ。こんな時にこんな形で古人の偉大さに気付くとは。鉄は一人大きく息を吐き、そのまま頭を抱えた。
結木はそんな鉄を気にすることなく、眼鏡を押し上げて続ける。蝋燭の淡い光が反射してレンズがきらりと光った。
「そう言う訳で、シンズの個々の存在自体はそれほど重大ではありません。問題なのは、何人のシンズが同じ時代に存在しているか、と言うことです。例えば五年前には五人、そして七十年程前には、史上最多六人のシンズが確認されたと我々聖教会の資料には残されています」
「ロクゥゥウっっ!?」
「えぇ。当時出現した六人のシンズによって誘惑された人々は互いをいがみ合い、憎み合い、そして殺し合いました。その結果沢山の人々が亡くなり、現に世界は危うく最悪の終末を迎えるところでした」
――七十年前。
誰もが知る人類史上最悪の戦争があったのは、確か七十年程前だった。歴史に明るくない鉄でも、さすがにそれぐらいは知っている。
今更ながらシンズの凶悪性と危険性を思い知った鉄。
四人目のシンズの出現は危険だ。
カナンが体を強張らせた理由が今なら分かる。トラブルセンサーが痛いほどに警鐘を鳴らす中、鉄は珍しく深刻な顔をして黙り込んだ。
小さなダイニングキッチンにしばし沈黙が訪れる。
そんな中、カチャリと結木はカップをソーサーに置いた。
「まぁまぁ、そんな暗い顔しないでください、江川君。過去六人のシンズが出現したにもかかわらず江川君も知っての通り我々は最悪の結果を免れ生き延び、今もこうしてカナンの淹れてくれたお茶を美味しく飲めているでしょう?」
「そう言われてみれば、確かに……」
鉄の応えに結木は頷いた。
「六人のシンズによっても世界は破滅することはなかった。それは偏にセイントたちの働きによるものです」
「セイントがシンズを止めたってことですか?」
「そうです。悪魔に魅入られた者に対抗できるのは神の加護を得た者のみ。シンズに対抗できるのはセイントだけ。当時この世に存在した同じく六人のセイントたちの力により、寸でのところで最悪の事態は免れたのです」
「セイントも、六人……」
思わず鉄の口から出た言葉を結木が真正面から肯定する。
「そう、その通り。罪人がシンズに堕ちる度に、我々には新たなセイントが授けられます。シンズの出現はセイントのそれに比例するのです」
「ってことは新しいセイントが生れるってことですか?」
「えぇ。四人目のセイントもいずれ現れるでしょう。シンズとセイントの出現がなぜこうも正比例するのか、我々にも詳しくは分かってはいません。ただ言えるのは多少のズレこそあれ新たなシンズが生れる時、必ず新たなセイントが現れます。我々聖教会では世界の均衡を保つため、シンズに対抗するための力を神が授けて下さると説いていますが」
現在この世に存在するは一人の聖者と二人の聖女。そこに一人聖者か聖女が加わって、セイントとシンズが四対四のイーヴン。
新たな情報に、先ほどまでの暗く重い絶望に一筋の僥倖が煌めく。
結木の言葉ではないが、世界の終末まで「まだ」余裕はあるらしい。
その昔六人のシンズをセイントが倒した時の様に、今回もまだ見ぬ聖者と聖女、そしてカナンの力できっと世は救われるだろう。カナンの強さを間近で見てきた鉄には言い表せぬ自信があった。
(……そう言えば、カナン以外のセイントはどんな人達なんだろう?)
行き当った素朴な疑問。
鉄が訊ねようとした時、結木が笑顔で結論に入った。
「と言うことで、今後江川君とカナンには別行動を取ってもらいます」
「別行動?」
その言葉に反応したのは、今までずっと口を開かなかったカナンだった。
「そうするのが良いでしょう。現在、既にビリーバー達によって新たなシンズの捜索が始まっています。堕ちたばかりのシンズならばこちらの手に余ることもないでしょうが、カナン、あなたは我々の中でただ一人、シンズを裁ける武器を持っているのです。これからあなたには、今まで通りのミッションではなく、シンズへの復讐という最重要ミッションに向け万全を期してもらわなければなりません」
分かっていると思いますが、と付け加える結木の目を避けるように、カナンは冷たくなったカップに口を付けた。再びカナンの表情が苦痛に曇る。
「江川君には、他のビリーバーと同じくシンズの捜索に当ってもらいます。当分おと……コホン、罪人を誘き出すアルバイトはお休みと言うことで」
(今、確実にオトリと言いかけたよな!? しかもコホンってワザと過ぎるだろ!)
ツッコミ所満載過ぎてさすがに一言言ってやりたいのは山々だったが、悲しいかな、実際自他ともに認める囮役である。鉄自身もそれは自覚しているので、結局口を開くまでには至らなかった。しかし、なんとなくフテてしまうのはご愛嬌だ。
「あぁ、囮役でなくてもしっかりアルバイト代は出ますからね」
「分っかりました! 全力で探しますっ」
先ほどの不機嫌顔はどこへやら。鉄はそう言って胸を張る。それを見てホクソ笑む結木。
「いやー、江川君は本当に頼もしいですねぇ」
「もちろん! 大船に乗ったつもりでいて下さい。アハハハ」
今日も策士・結木の人形劇で江川鉄はクルクルと踊っていた。




