聖女と少女
「その手を、放しなさい」
カナンの纏う空気と放った言葉の一つ一つに異様な重みを感じたのは鉄だけではないようだ。突然現れた少女を前に男たちは怯んだ。
「な、なんだテメェ!」
自らを鼓舞するようにナイフを持った男がカナンに噛み付いた。
カナンはそれに応えることなく、一歩鉄たちの方へと踏み出した。そしてゆっくりと右手を腹部に当てる。すると、カナンの手のひらが淡く青白く光り輝き出す。
(違う、手じゃない……)
そう鉄が思った時にはカナンは緩やかに腕を上げていた。まるで腹から何かを引き抜くように。
「あれ、は……」
鉄はただただ目を見張った。
なぜならカナンがその身から抜いたのは彼女の身の丈は下らない槍だったのだ。
見覚えのある長槍。一度は鉄もその身を切られたことのある、あの槍だ。
――神に罪人を復讐することを許され、そのための力を与えられた者。
鉄は結木の言葉を思い出した。
あの槍こそが神からカナンへと与えられし力。復讐を実行するための力なのだ。
「あなたたちは罪を犯しました。これは罰。罪人は罰せられなければなりません。悪は神の名のもとに滅びるのが定め」
ビュッと鋭く風を切ってカナンは槍を構えた。
「――復讐するは、我にあり」
一瞬だった。
宣誓するように言い放ったカナンは驚くべき速さと無駄の無さで五人の男を次々に下し、小太りの男の前に立った。男は取り乱しながら後ずさる。
「な、何が望みなんだっ? ヤクか? 金か? いくらでもくれてやるぅっ! だから命だけは――」
「黙りなさい」
男の必死の懇願を冷たく一蹴するカナン。男はそれでも命乞いを止めない。
カナンは目を細め、問う。
「同じように懇願する人たちに、あなたはどうしたのですか? あなたは、自分が陥れた人々の苦しみや痛みを慮ったことはあるのですか?」
「そっ、それは……あいつらが、あいつらが悪い! 俺は金が無いやつに金を貸してやって、欲しいやつにヤクを売ってやっただけだ! 俺が悪いんじゃないっ」
開き直った男は地団太を踏みながら声高に言い募る。
カナンはその様子を静かに見つめていたが、やがて鋭い眼差しで男を見据えた。
「エガワ テツ。あなたは人にも劣る行為を繰り返してきました」
――エガワ テツ?
(俺と同じ名前……もしかして)
鉄は槍を高く掲げるカナンを見た。ちょうど、カナンと初めて出会ったあの夜のように。
「あなたはその償いをしなければなりません。これは裁き……これは、復讐っ」
見事な一撃だった。
槍は美しい弧を描いてエガワ テツを切り捨てた。
エガワ テツは僅かに天を仰ぐと、声を上げることもなく膝から崩れ落ちるように倒れていった。
槍を手にしたまま男を見下ろすカナン。その顔は表情が乏しいにもかかわらず、同時に様々なものを物語っているようだった。
ただ鉄にはその時、それが何なのか思いも及ばなかった。
「鉄くん……怪我は、ないですか?」
カナンの声で鉄は我に返った。
「ぁ、ないです。ちょっと手のひらを擦りむいたぐらいで」
「見せてくださいっ!」
切迫した表情で言われ、鉄はおずおずと右手のひらを突き出した。
一瞬カンナは鉄の手を取ろうとしたが、迷ったように手を止めると、胸の前で難く握りしめて組んだ。
いつの間にか彼女の手からはあれほどの得物が忽然と姿を消していた。
「ごめんなさいっ。私が付いていながら、鉄くんに怪我を……」
「いや、これは俺が自分で勝手に転んで出来ただけだから!」
形の良い眉を歪めて言うカナンに鉄は手をブンブン振って否定する。だがカナンはうなだれてしまった。
「償いが出来ればと思って鉄くんのフォロー役を買って出たのに……これじゃあ役に立っていないどころか、鉄くんを危険に晒してますね。ごめんなさい……」
「いやいやいや、しっかり命は助けてもらいましたから。……買って出た?」
(聖女がわざわざ俺のために?)
今回のパートナー指名はてっきり結木から言われての事だと思っていた。訝しがって聞き直す鉄。
カナンははっとして気まずげに頷いてから小声でおずおずと告白し始めた。
「実は……鉄くんがどうしても私に償わせてくれないと結木に相談したんです。そしたらいい方法があるって……。鉄くんはアルバイトをクビになって困っている。教会のミッションの仕事をしたいけど、まだまだ一人じゃ無理だから鉄くんをフォローしてあげたらって言ってくれて……。それがきっと鉄くんのためだし、償いにもなるって……結木に鉄くんには内緒って言われてたんですけど……」
(ぁあんのエセ神父ーっ!!)
ゴニョニョと言葉を濁すカナンを余所に、鉄は今頃万事予定通りとにんまりしていそうな男を思って拳を握りしめた。
踊らされた。それはもうクルクルと。
「勝手なことしてしまって本当にごめんなさい。迷惑だっていうのは前にも言われたので分かってはいたんですけど、どうしても鉄くんのためにできる限りのことがしたくてっ」
「謝らないでください! 俺はマジェッツさんに怒ってるとかじゃないんです。本当に違うんですよ」
慌ててした否定も空しく、カナンは「ごめんなさい」と目を伏せしゅんとしている。
おそらくカナンさえも結木の人形劇の一役なのかもしれない。ただ彼女はそうとは思ってないだけで。そう思うと先ほどとは別人かと思えるほど動揺し、目の前で縮こまるカナンに鉄は何も言えなくなってしまった。
だが同時に鉄はそんな彼女をどこか微笑ましく思った。
カナンと知り合って、まだ日はかなり浅いが鉄には気が付いたことがあった。
結木という神父の前を除いて、普段の彼女は隙がない。学校でも、街中でも、常に品行方正で、親切で、笑みを絶やさない。
――それこそ絵に描いた聖女そのもの。
だからこそ鉄は思う。
今の方が彼女らしいのかもしれない。慌てたり、落ちこんだり、オロオロしたり、十七歳の普通の女の子らしい。
鉄の口から自然と笑みがこぼれる。
「マジェッツさん、今日は助けてくれてありがとう。これからも……よろしくお願いします」
そう言って頭を下げた鉄。顔を上げればカナンは目を丸くして鉄を見つめていた。だがすぐに笑顔で答えた。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
今まで見たことのない、はにかむような笑顔。
しかし、それは江川鉄の人生史上、最も心拍数を上昇させるのに十分すぎる効果を発揮したのだった。




