act2-3
太平洋
航空護衛艦《かが》
September 21.2021
自衛軍に対し、遂に防衛出動が下令された。全艦放送でそれが改めて全乗員に伝えられると、《かが》に乗り込む千名近い乗員達の緊張が艦の中枢であるCICにまで伝わってくるようだった。
政府は中国政府に対し、呼びかけを続けていたが、対話による互いの妥協点を見出すことは出来ず、外交による解決には至らなかった。これから日本の反撃が始まることになる。
第二護衛隊群及び第五護衛隊群から編成された南西方面防衛統合任務部隊の一部である第二五任務部隊には改めて、「合戦準備」が発令された。
現代においても帝国海軍、海上自衛隊を前身とする海上自衛軍では戦闘準備ではなく、合戦準備の号令が使われている。これは、服装を正し、心を正し、身命を賭して国を守る決意と覚悟を持つため、という意味もある。各部署から配置に就き、準備が完了した報告が入る。
「いよいよだな……」
第二五任務部隊の旗艦たる《かが》の第二甲板に設置されたCICに隣接する旗艦用司令部作戦室に立つ福井海将補が呟いた。
福井はこの第二五任務部隊の司令官として指揮を執っており、第二護衛隊群司令がその補佐に当たる。一見して福井は落ち着いた様子だったが、その双肩にかかる責任は重い。《かが》の全乗員に対して責任を持つ岡本でさえその重責に悩んでいた。
《しまかぜ》の乗員を始め、すでに大勢の自衛官が命を落としている。遅すぎた下令だとは思っても、いざ発令されるとやはり発令されなければ良かったのにと思ってしまう。
兵士は決して戦争を望まないものだ。その悲惨さや凄惨さを理解しているのが兵士であり、いざ戦争となれば自らが苦しみ、傷つくことになる。戦争がしたくて軍に入った等と的外れなことを言う者もいるが、それは間違っている。
「航空隊の状況はどうですか?」
第103飛行隊長の布施一佐に岡本は問いかけた。常に落ち着き払った表情の布施は今度も淀みなく答える。
「飛行隊については一機が不調につき整備中ですが、他は搭乗員共に異状なし。全力の発揮が可能」
第103飛行隊のパイロット達はユニークだ。こうして常に冷静で明確な報告を行う優秀な指揮官がいる一方で、血の熱い人間味のあるパイロットもいる。この《かが》が就役した当初は海自と空自の隔たりを感じざるを得なかったが、今では頼もしく感じていた。
「《きい》の飛行隊との連携に関しても綿密に調整を行ってくれ」
「了解です」
日本人にとって戦争は総力戦を連想しがちだが、この戦争を総力戦に持ち込むわけには行かない。短期決戦で敵の戦意を挫き、国際世論を有利にし、戦局に寄与しなくてはならなかった。
「自衛隊から続く自衛軍の意地を見せる時だ。頼むぞ……」
戦後初の空母がこの戦争の行く末を左右する重要な鍵となる。岡本は予期せぬ大役に、胃が締め付けられるのを感じた。
戦後の日本が戦争をする。現実味の無いそれは、だがしかし今までもずっとあり得ない話ではなかった。こんなはずではなかったというのは、ただの想像力不足であり、想定外という言葉は言い訳だ。
「司令、防衛出動の発令で乗員達は不安がっています」
岡本の言葉に福井が振り返って頷いた。
「うん。君も重圧を感じているだろう」
福井はそう言ってしばらく沈黙する。防衛出動が発令され、乗員達が戸惑う中、ここは指揮官がしっかりと指針を示してやらねばならない。《かが》の乗員に対してなら岡本だが、ここはこの任務部隊の指揮官たる福井が行うべきだ。
合戦準備がかかった時、確かに乗員達は覚悟を決め、緊張感を高めた。その影響力が今の福井にはある。岡本がそう思っていると福井はようやくマイクを取った。
「第二五任務部隊指揮官、福井海将補より達する。これより本艦隊は沖縄及び南西諸島に侵攻する中国軍部隊を撃退し、現状を回復する。文字通り激戦となるだろう。だが、沖縄の人々は、我々が助けに来るのを待っている。日本もまた我々が中国軍を撃退し、その任務を果たすことを願っている。先人の言葉をお借りするならば、皇国の興廃此の一戦に在りだ。国民は各員がその義務に尽くすことを期待している。各員、一丸となり一層奮励努力せよ。以上だ」
戦闘空中哨戒中のF‐18EJの機内で第二五任務部隊指揮官となった第五護衛隊群司令の声を聞いた笠原は大きく深呼吸した。
薄くまばらな雲が低高度に存在するだけの晴れた夜の海には月明かりが反射して波間が輝いていた。第二五任務部隊となった艦隊はその海を、沖縄を目指して突き進んでいる。
コンバット・スプレッドを組んで警戒に当たっている黒江機の方を振り返った。無線を聞いて彼女も覚悟を新たにしているのかもしれない。
不戦の誓いを立て、戦後一貫として平和主義を掲げてきた日本も、戦火の火の粉が降りかかればそれを振り払わなくてはならない。政府は、これから行われる戦闘で死傷する自衛官や中国兵、そして巻き込まれるかもしれない民間人の犠牲をも覚悟して、国家が国民を守る責務を果たすべく決断したのだ。今こそ義務を果たす時だ。
黒江はどう思っているのだろうか。彼女もまた国防意識を持った戦闘機パイロットだ。戦争という言葉に怖気づくとは思えなかった。
『シャドウ』
そんなことを思っていると黒江が呼びかけてきた。
「どうした、ファル」
『まあ、相当シビアな戦いが待ってるだろうが、お互い頑張ろう』
黒江の軽い言葉に笠原は思わず苦笑した。
「もっと言う事があるんじゃないか」
『私に気の利いた言葉を求めるのはお門違いだ。とにかく生きて戻れ。それがお前の責任だ』
笠原は黒江の機体を見つめた。
それは違う。僚機を生きて返すのが俺の責任だ。
だが、そんな風に言われて笠原は胸が熱くなるのを覚えた。
「それはこっちのセリフだ。俺がリードだぞ」
『状況は絶えず変わる。それに、あまり背負い込むなよ』
「ああ」
我ながら良きウィングマンであり、良き友人を持ったと笠原は思った。黒江のような一はなかなか巡り合える人ではない。自分は幸運なのだ。
「沖縄の空を取り戻そう」
『ああ。そうしたらまた下地島に行こう。今度は観光で』
「そうだな」
笠原は改めて僚機を無事に連れ帰ることを心に誓った。