典子
猪熊は鈴木の語る物語を黙って聞いていた。タブレットはスリープモードに入って画面は真っ暗だった。鈴木の話は続いた。
「典子はしばらくして帝都を去り、行方がわからなくなった。あとからわかったのは、アメリカで代理出産の手術を受け、そのままアメリカに住み続け、数ヶ月後に無事出産したらしいということだった。日本に帰国して、本来なら代理出産の母親としての役目を終えるはずだったのだが、正憲の妻が精神に変調をきたしてきたため、そのまま典子が子供を育てていたという噂も聞いた……しかし、事故に遭い、若くしてこの世を去った。その間際に知らなければいいことを私は聞かされてしまった」
※ ※ ※
二〇一〇年の五月。都内の病院の個室のベッドに木村典子が横たわっていた。かたわらには心配そうに見つめる幼いころの御手洗肇の姿があった。肇は九歳程度で、このときは木村肇という名前だった。ドアをノックする音がした。肇がドアに行き、ドアを開けた。一人の男が立っていた。鈴木だった。
「おや、坊やは典子さんの息子さんかな?」
肇は黙ってうなずいた。
「お母さんの具合はどうかな? おじさんはお母さんの古い友人だよ」
鈴木は病室に入っていった。ベッドの近くまで行き、傍の椅子に座り、木村典子に話しかけた。肇もベッドの脇にたたずんだ。
「典子。大丈夫か?」
典子が目を開けた。
「あ……鈴木さん、どうして?」
鈴木は生気のない典子の顔を見て悲しくなった。
「帝都グループには情報部門もあるので……それより大丈夫か? ひどい事故だったらしいけど」
「覚悟はしている」
「覚悟って……なにかしてやれることはないか?」
「やさしいのね、あんな仕打ちをした女なのに」
典子が肇に声をかけた。
「肇ちゃん、売店に行ってアイス買ってきて」
鈴木が自分の財布から小銭を出して肇に渡した。肇は小銭を握って病室を出ていった。
「仕打ちって言ったって、君のせいじゃないだろう。恨んだことはない。どこにいるのかわからなくて、会うこともできなかったのが心残りだ。やっと会うことができた」
鈴木の言葉に典子は力なく答えた。
「ごめんなさい、社長に言われていたのもあるけど、私はあなたに合わせる顔がなかったの」
「連絡くれて良かったんだよ。僕が君を悪く思うわけないだろう」
しばらく黙っていたが、典子は決心したように言った。
「そうじゃないの。私、あなたに言っていないことがあるの」
「え、なに?」
「私、あのとき、社長からの頼みを受け入れるかどうか悩んでいたの。あなたとのことがあったから。両親も倒産を覚悟していたからあなたと結婚する道はあったの。でも……迷っている私をあの人が無理やり……」
「え?」
鈴木にこれまで知らされなかったことが語られ始めた。




